課題は山積み
「裕哉ー!」
「んー? 何? 母さん」
「お友達来てるわよー、なんと女の子!」
学校の制服に着替え、リビングで今日の天気予報を見ていたところ、母親が俺にそんなことを言う。 まるで、幼馴染が来たような流れだ。 幼馴染の女子が居る人はこういう風に毎朝過ごしているのか。
「え? にぃにの彼女!?」
横で同じように、制服を着て天気予報を見ている妹、八乙女桜夜は目を輝かせ、勢い良く振り向く。 そんな桜夜の頭を掴んで無理やり前に戻しながら、俺は言う。
「ち・が・う」
こいつはこういうイタズラ心が動かされる物が大好きなのだ。 非常に迷惑な生き物だよ、本当に。
「ほら、裕哉! 早く来ないと可哀想よ。 もう!」
「分かった分かった! 今行くって」
てか、誰だ? こんな朝早くから俺の家を尋ねる女子なんて……。 思い出すのは、昨日の一件。
『うん。 また明日』
いやまさかな。
「……えーっと」
廊下を抜け、玄関へ。 悪い予感は的中し、そこには昨日の夜遅くにさようならをした彼女が居た。
礼儀正しく両手を前に鞄を持って、真っ直ぐ無表情で俺を見つめている葉月。 こうして改めて見ると、本当に人形のようだな。 目はまんまるで、髪は腰まで伸びた真っ黒な髪。 昨日見たアニメに出てきそうな姿形だなぁ。
「……何してるんですか? 葉月さん」
「何とは、何?」
「だから、朝からここで何してるのかって思って」
「待っていた。 裕哉を」
「……どうして?」
「また明日と言った。 だから、一緒に学校へ行こう」
こいつと一緒に登校かよ……。 俺的に言わせてもらえれば、どうせなら葉山の方が良かった。 話しやすそうだし。
「……分かったよ、それくらい良いか」
とは思う物の断る理由も特に無いし、俺と一緒に行動を取って葉月に知り合いというか友達というか、そういうのが出来たらそれは良いことだろうし。 昨日話した所為もあって、さすがに放ってはおけまい。
「なら、早く。 私はもう五分二十三秒も待っている」
「嘘つくな」
「……三分三十九秒」
「それも嘘だ」
「本当は一分十五秒」
「……本当っぽいな、確かに」
「嘘。 本当は三十二秒」
「どうでも良いわ! とりあえず準備して行くから、もう少し待っててくれ」
「うん。 命令、早くして」
「命令すんなっ!!」
「そういや、課題は終わったのか?」
並んで歩きながら葉月に問う。 俺がこいつを知る前は、話し掛け辛くて、他者を寄せ付けないオーラみたいなのを纏った奴だったが……こうやって話してみると、これが案外普通の奴なんだよなぁ、本当に案外。 まぁ、他の奴らよりも話が進まないところはモヤモヤするけど。
「課題? 何の話?」
「おいおい忘れたのか? 昨日渡しただろ? プリントの束だよ」
まさか、その存在すら忘れてるんじゃないよね? 俺が折角持っていってあげたんだぞ。
しかし、そんな思いはどうやら的外れのようだった。 葉月は俺の言葉に即答したのである。
「やった」
「おお、偉いじゃん。 結構あったのによく終わらせられたな」
「五分で終わる」
「……マジで五分で終わったの?」
「うん。 このペンで、五分」
そう言い、葉月は指をまるでペンを持っているような形にする。
「何やってるんだ?」
「馬鹿には見えない、ペン」
「……」
「いた、いひゃい。 ひっはららいれ」
「頬を引っ張られるのが嫌ならくだらない嘘をつくな。 で、実際は?」
頬を引っ張ったところ、暴れだしたので俺は渋々離し、再度葉月に問う。 それに対して、葉月は頬を擦りながら答えた。 そんな強くやった気はしないのだが、そうされると痛そうに見えるな。
「……やってない。 面倒臭い」
面倒臭いときたか! そう言われてしまっては手の打ちようが無いぞ!
「あのなぁ……。 おま、じゃなくて、葉月。 それだと留年するぞ?」
「大丈夫」
葉月は言うと、胸をドンと叩く。 いい音が鳴ったな、さすが板だ。 絶壁だ。
「なんだその根拠の無い自信は」
「いざというときは、これ」
ポケットをごそごそ漁り、出したのはしわくちゃになった一万円札。 一万円札をここまで雑に扱う奴を俺は今まで見たこと無い。
「……まさか。 葉月やめろ! 真顔で言うから冗談に聞こえねえ!」
「駄目?」
「駄目に決まってる! まさか入学するときもそれを使って……」
「試験はちゃんと勉強した。 こう見えて、やれば出来る」
「こう見えてってのはおかしいな。 葉月、見た目だけでいったらかなり勉強できそうだけど……」
優等生って感じだよな。 お嬢様って感じでもあるし。 とにかく育ちが良くて、頭が良さそうで、礼儀正しそうではある。 姫カットの黒髪に、この目鼻立ちがくっきりした顔立ちだし。 当初もそれで、葉山とどっちがクラス一なのかって話が上がっていたんだよなぁ。 勿論、当人たちは知らないはずだけど。
ま、結果的にはこの性格の所為でその座は葉山に取られたわけだけど。 それはこいつとしても良かったんじゃないかな、なんて思う。 人に囲まれるのはあまり好きそうに見えないし。
「そう? なら、見た目通りやれば出来る。 訂正」
「でもそれを言うならさ、葉月って見た目は可愛いんだからもうちょっと喋り方を変えたらどうだ? その機械みたいな喋り方よりさ」
「……」
しかし、俺の提案に葉月は返事をしない。 いつも若干伏せ気味の顔を更に伏せてしまう。
「おい? 葉月?」
「……そういうの、あまり言わない方が良い」
「そういうの? そういうのって?」
「……可愛いとか」
……あああ!? そういうこと!? てっきり「機械みたいな喋り方」ってのが心に刺さったのかと思ったら、そっちかよ!
「いや違う! 俺はただ一般的な感想を言っただけで、別に俺が特別そう思ってるとかそういうのじゃなくて!」
「別に、良い。 褒めてくれたのは、分かってる」
「そ、そうか……なら良いんだけど」
「裕哉が誰に対してもそう言うのは知ってる」
「言わないよ!? 俺って葉月の中だとそんなチャラいのか!?」
「イメージだと、そう」
「一体どんなイメージなんだ……」
「最初に葉山を落として、次は槇本。 そんな感じ」
「最低じゃねえか俺!」
自分で自分を殴りたいよ! いやでもあくまでも葉月の中のイメージだから、俺は悪くないよね? 多分、悪くないよね。
「裕哉、最低」
「それを葉月が言うな!」
結構元気良いな、朝なのに。 そういえば、こいつって昨日早退してなかったっけ? 体調が悪いとかなんとか。 昨日はそんなことすっかり忘れて普通に遊んでしまったな。
「私の方が……最低?」
「いやもうそれは良いって。 それよりさ、葉月。 体調はどうなんだ? 昨日早退したらしいけど」
「平気。 あれは仮病」
「おい」
「仕方なかった。 見たいアニメの再放送が、十五時からだった」
「……普通にしていたら、間に合わない。 昨日はギリギリセーフ」
「ギリギリどころか思いっきりアウトだ! 学校を何だと思ってるんだよ!」
「刑務所?」
「違う」
「……嫌がらせ、施設」
「それも違う」
「……勉強を」
「お、勉強を?」
「無理やり教えてくる、最悪の場所」
「今すぐ先生方に謝れ」
酷いな、こいつは酷い。 俺も真面目という程じゃあ無いけど、こいつよりは間違い無くマシだ。 というか、下手な不良よりたちが悪い。 全く……ん? なんか、おかしくね?
「あれ? なんか話逸れて無いか?」
「……」
「図星って態度をするな。 話題戻すぞ」
今更だけど、意外にも表情は一緒だが態度は微妙に変わっているようだ。 恥ずかしいと顔を伏せて、焦ると顔を背ける。 そして普通に話す時は、ちゃんと目を見て話してくれる。 存外、人見知りってわけでも無さそうだな。 というか、勝手に俺がそう思っていただけでそうでは無いのか? 口下手なだけで。
「それで、葉月の課題のことだけど」
「……あれは燃やした」
「だからすぐバレる嘘をつくんじゃない。 鞄の中には入っているのか?」
俺が聞くと、葉月は一瞬だけ目を俺の方へと向ける。 そして嘘はバレると判断したのか、再び視線を前に向けると本当の答えを返した。
「一応」
「なら、学校に着いたらやるぞ。 結構な量だけど……休み時間使って真面目にやれば、放課後には終わるだろ」
「それは、無理」
「なんで?」
「分からないから。 何一つ、分からない」
「授業聞いてないのか……ってああ、そうか。 絵描いてたのか」
「そっちの方が楽しい」
「そりゃ趣味の方が楽しいさ。 だけど、しっかり勉強するのも大事だろ?」
「遠慮しておく」
「しなくていい。 よし、分からないなら俺が教えてやるから、一緒にやるぞ。 それならなんとかなるだろ?」
俺が言うと、葉月は急に足を止める。 俺は若干それに気付くのが遅れて、少し前に出た後、振り向いた。
「葉月?」
「……」
「おい、早くしないと遅刻するぞ?」
「……どうして?」
「どうしてって……?」
毎度のことだが、何のことをこいつは言っているんだろうか。 まず最初に、それから考えなければならない。
ええっと、会話の流れから察するに、恐らく俺が一緒にやるって言ったことに対して……で合ってるよな? 多分。
「うーん、友達だから?」
「……友達?」
「そうだよ。 昨日一緒にアニメ見たし。 だから、友達」
「だけど、裕哉はやらなくても良いこと」
「確かにそれはそうだけど……なんて言えば良いのかな。 放っておけない?」
「……」
「……自分でも良く分からないな。 俺がそんな気分だからじゃ駄目か? それに、俺以外に教えてくれる奴も居ないだろ」
なんていうか、さすがにそんな状況に置かれているのを放っておけないよ、やっぱり。 後々になって俺の方が気になったりするだろうしな。
「……うん。 分かった」
「一緒に、やろう」
葉月は顔を上げて、しっかり俺の目を見てそう言った。 そして最後に。
「命令」
「だから命令すんな! 気分悪いなおい!」
相変わらず、こいつは良く分からない奴である。
「なあ、裕哉」
数学の授業中、配ったプリントを解いているときに、前に座る蒼汰が話しかけてくる。 ちなみに教師はプリントを配るだけ配り、居眠り中。 この学校にはまともな教師は居ないのか。
「なんだよその目は、蒼汰」
「いやさー、お前と神宮さんって仲良かったっけって思って。 昨日もなんか聞いてきてたし? 今日も学校一緒に来てたし? 授業と授業の間で、なんか二人して話してるし?」
「……色々あったんだよ。 あいつがさ、課題を大量に出されてたのは知ってるだろ?」
「ああ、出されてたな。 どうやったらそんな出されるのかが不思議な量」
「あれを手伝ってるんだ。 空いた時間でな」
「そりゃあ……なんつか大変だな、お疲れさん。 けど、どうしてまた?」
「放って置けないだろ、あんな状態を目にしたら」
「……そういやお前はそんな性格か。 ってか、だからこそってわけか?」
そんな性格。 これもまた、昔からよく言われることだ。 お節介でお人好し。 俺自身、そんなだとは思わないんだけどな。 ただ、困っているのを放っておけないだけで。 自分が嫌な気分になるから、それを予め止めているだけのことだ。
「やかましい。 それより、だからこそってのは?」
「美希ちゃんがお前にあの課題を渡した理由だよ。 家が近かったってのもあるかもしれないけど、お前のその性格を知ってて、お前ならどうにかするって思ったんじゃないか?」
「まさか。 高校に来てまだ一ヶ月ちょいだぞ? そんな短時間で分かるわけがないだろ?」
「おいおい、高校にはしっかりと中学三年間の記録が行ってるんだぞ。 少しその気になれば、そのくらい分かって当然だろ」
言われてみれば、そうか。 ってことは、俺は上手いこと乗せられているだけか? なんかそう考えるとムカつくな。
ムカつくけど、だからって葉月のことを放り出せはしない。 しっかり最後まで面倒は見てやらなければ。
「まあとにかく、頑張れよ裕哉。 神宮さんは何と言っても美人だからな」
「そんなんじゃないって。 いくら可愛くても、性格があれだろ」
ありえないね。 もしも葉月が彼女になったとして……無いな。 考えただけで物凄く面倒なことになりそうなのが目に見えている。 それに、あいつはアニメで頭がいっぱいだし。
「まあな、だけどそんなのはお前がどうにかして……って、もう終わりか」
蒼汰の言葉の途中で、チャイムが鳴り響く。 どうやら、昼休みの時間になったらしい。
「葉月、弁当か?」
みんなが購買に向かったり弁当を広げ始める中、俺はすぐに葉月の席へと行き、そう聞いた。
「うん。 お弁当」
「どうする? 俺は購買で買うけど……食べた後、続きやるだろ?」
「裕哉がそこまでやりたいなら、いいけど」
「なんで俺が出された課題みたいに言うんだよ! 葉月が出された課題だろうが!」
「良いツッコミ。 私も行く。 良い場所、あるから」
「……こういう場合は、なんて言えば良いんだ。 褒めてくれてありがとうって言っておいた方が良いか」
「早く行こう。 時間が無い」
誰の所為だよ! 調子狂うなほんと!
「ったく……」
頭をぼりぼりと掻きながら、俺はスタスタと歩き始めた葉月の後ろに付いていく。 そして、丁度廊下に出ようとしたところで。
「きゃっ!」
「うおっ!」
頭に衝撃が走る。 いたた……。 なんか、昨日も同じようなことがあったぞ。
「わ、悪い、大丈夫か? えっと……葉山さん」
昨日と違うのは、目の前に尻餅を付いているのがクラス一の美少女と言われている葉山歌音で、ぶつかった場所が頭同士ということだ。
「いてて……。 あ、ごめんなさい。 八乙女君」
「……いや、俺の方こそ悪かったよ」
こうして見ると、確かに言われるだけのことはあるな。 性格も良いし、何よりこの笑顔はかなりの武器だ。 正面からはまともに見れない……。
「あはは。 ならお互い様ってことで。 でも、八乙女君。 「さん」って付けられると余所余所しいし、私のことは呼び捨てで良いよ」
口を抑え、笑いながら葉山は言う。 ついつい比べてしまうな、あいつと。
「なら、葉山で。 ほら」
俺は言って、未だに尻餅を付いたままの葉山に手を差し伸ばす。 葉月とは違い、葉山はそれをしっかりと掴むと、立ち上がった。
「ありがとう。 優しいんだね、八乙女君」
「……別に、そういうわけじゃ。 ていうか、葉山の方も俺のこと呼び捨てで良いぞ?」
……何か良い雰囲気じゃないか? これって。 もしかして、こういうのを切っ掛けに始まったりする物なのか!?
いやいや、慌てるな俺。 まだ、ただのクラスメイトってだけだ。 大事なのはここからどうするかで……。
「あはは、私は良いの。 そっちの方が呼びやすいし、私が「八乙女」って言うの、何かイメージが違うでしょ? だから、八乙女君」
「そ、そうか。 はは、まぁ葉山が呼びやすい呼び方で良いよ」
「うん、遠慮無くそうさせてもらうね」
おお……噂通りの性格だ。 さすがに人気が高い女子は違うな。 俺が知っている一人の女子と全然違う。
「裕哉、何をしてるの。 時間が無いと言った」
その知っている一人の女子が早速現れやがった。 邪魔をするな、邪魔を。
「わ! 神宮さん?」
「葉山。 裕哉は今、私の命令に従ってる。 だから連れて行く」
「おい葉月! 引っ張るなって!」
……どうやら、どうしようも無い。 どうかする前に、どうにかなってしまった。 悪い方向でな!
「そうなんだ。 なら、またね。 八乙女君」
「あ、あはは……」
葉山は相変わらずの笑顔で俺に手を振る。 その笑顔は見事に武器となり、俺の心に大きなダメージを与えるのだった。
「裕哉、何をしてたの」
「何って……ちょっと出るときにぶつかっただけだよ」
「そう。 後で葉山に謝る」
「……さっきちゃんと謝ったよ、だから別に大丈夫だろ」
「裕哉じゃない。 私」
「葉月が? なんで?」
「……邪魔した。 話しているところ」
「それこそ大丈夫だろ? 葉月と約束してたのは事実だしさ」
「そうなの?」
「ああ、そうだよ」
「……良く分からない。 そういうのは」
うーむ。 これは口下手というよりは、今まで人とあまり関わったことが無いのか……? まだまだ分からないな、こいつのこと。
「ま、大丈夫だよ。 俺の青春の始まりだったかもしれないけど……」
「それなら、葉山に言わないと」
「……何を?」
「裕哉の青春を続けてあげてって」
なるほど! それならあの優しい葉山のことだ、どうにかして俺の青春を続けてくれるだろう! んなわけあるか! アホかこいつは!!
「それは絶対言うな! 言っちゃ駄目だ!」
「どうして?」
「どうしてもだよ! それを言われたら色々と終わるから絶対言うなよ!? 分かったな!?」
俺は念入りに言う。 葉月の肩を掴んで、体をぶんぶん振りながら。 なんなら、俺がずっと監視しておく必要もあるかもしれない。
「わわわかった。 わかったから、体を揺らさないで」
「本当に分かったか?」
「……分かっている。 大丈夫」
「なら、良いけど……」
一応、こいつの行動は注意深く見ておこう。 何かされたら堪ったものでは無いしな。
「ここ。 良い場所」
それから俺は購買でパンを二つ買って、葉月が言う良い場所とやらへ案内された。
「へえ、こんな場所あったのか」
校舎の裏で、人目にはあまり付かないであろうところだった。 大きな木が三本ほど並んで埋められていて、その木と木の間にあるベンチ。 そこがどうやら、葉月の言う良い場所ということらしい。
「ここなら、静か」
「まあ、そうだな。 てか、何でこんなところを知ってるんだ?」
「授業中、暇だから外を眺めたりする」
「その発言には色々と言いたいけど……なるほどなぁ」
葉月は横に座り、膝の上に弁当を広げ始める。 俺もそれを見て、パンの包装を剥がし始めた。
「焼きそばパン?」
「ああ、美味いんだよ。 この学校の焼きそばパン」
「不味そう」
「あのなぁ!」
たった今、ちょっとした良い情報を教えてやったのに、それを頭から否定して、更に俺が食べようとしているこの焼きそばパンにも同時にケチを付けるだなんて、どんな攻撃だ!? 俺に何か恨みでもあるのか!?
「ちなみに、私は毎日お弁当」
「そうですか……」
いっそのこと、こいつの弁当にもケチを付けてやろうか。 言われっぱなしは癪だしな。 えーっと、どれどれ。
「む」
「……なに?」
「普通に美味そうだな……」
葉月の体のように小さい弁当箱。 しかし、その小さなスペースには色とりどりの食べ物と、栄養バランスもきっちり考えられているようなセレクト。 そして何より、全てが手作りであろう見た目。
「……そう?」
「……まぁ、この焼きそばパンよりは」
事実である。 悲しい事実だけどな! さすがに人の焼きそばパンに文句を言うだけはあるって感じだ。
「ありがとう」
「は? どうしてお礼?」
「私が作っている。 このお弁当は」
「そうなのか? へえ、凄いじゃん」
ぶっちゃけて言うと部屋は綺麗とは言えなかったし、学校での生活態度もこの二日でダメダメなのは知っている。 だから、てっきりこういうのも出来ないんだろうな、なんて思っていたんだけど……。
「お母さんも、お父さんも、出張が多いから」
「だからか……。 確かにあんま見ないもんな、お隣さん」
「最後に会ったのは、入学式のとき」
「入学式って……それから会ってないのか? ていうか、葉月は一人で大丈夫なのかよ? 家事とかあるだろ?」
「大丈夫。 そういうのは詳しい」
「へえ……意外だな。 そんな出来る奴だったなんて」
「アニメで学んでいる」
「一気に微妙になったな!」
「勉強も、アニメでやってくれればいい」
「誰も見ないだろ……」
「そんなことはない。 お前を見てくれている人間は必ず、この世界のどこかに居る。 例えば、お前の目の前の人間だとかな」
「……どうした、急に」
「アニメの台詞。 昨日やってた」
「ていうか、今すっげえペラペラ喋ってたな」
「うん。 考えなくて良いから」
考えなくて良い? ってのは、ええっと……。
「アニメのはもう出来ている台詞だから、ってこと?」
「そう」
なるほど。 それなら、しっかりと事前に頭の中で組み立てておけば、すらすら話せるってことか。 それが出来ないからこうなんだろうけど。 ま、この件に関しては葉月にこれ以上言うのはやめておこう。 俺が相手になって、少しずつ練習していけばいいし。
それよりあれだ。 こいつと話していると、めちゃくちゃ頭を使うことが多いな……言葉の意味を考えないといけないから。 俺はどうやら、そっちの方を練習しなければならないみたいだ。
「でもさ、凄いよ」
「……凄い?」
「そうやって、好きな物があるってのが。 俺なんてなーんも無いからな」
「そうなの?」
「ああ、まあな。 本も読まないし、音楽だって聴かないし、テレビもあんま見ないし、ゲームはまあ、たまにやったりはするけどさ」
「そうなんだ」
「友達とだって、遊ぶにしても何をすればいいか分からないしなぁ。 どうせ遊ぶなら、面白いことの方が良いだろ? でも、それが無いんだよ」
「何が楽しくて生きているの?」
「酷い反応だなおいっ! 俺に死ねというのか!?」
「でも、つまらなそう」
「……そりゃな」
つまらないさ。 つまらないけど、皆そんな物じゃないのか? 趣味とか熱中できることがあるのは良いと思うけど、どうにも熱くなれないんだよ、そういうのに。
「なら、アニメ見よう」
「アニメ?」
「そう。 私の家にいっぱいある」
「……昨日みたいなの?」
昨日見たやつ。 純愛ラブストーリー。 非恋だったけどな。
確かにまあ、面白いとは思うけど……あれって、高校生の男女が二人で観賞する物では無いと思うぞ。 それこそ、そういう関係になってるなら良いかもしれないくらいで。
「他にもある。 どういうのが良い?」
「うーん……」
ジャンルってことだよな? アニメって一体どんなのがあるんだろう? 映画みたいにジャンルがいっぱいあるんだよな? 多分。
「ハリウッドアニメ?」
とりあえずそう言ってみたら。
「……は?」
という反応が返ってきた。 今のこいつの言い方、何を言っているんだこのアホは。 みたいな言い方だったな。 ちょっと傷付いた。
「じょ、冗談冗談。 はは」
「……」
ジッと見るな。 めちゃくちゃ恥ずかしいぞ、その視線。
「なら、そうだなぁ」
俺はしばし考え。
「ホラー系とか?」
その一つの案を出す。
「ある。 それなら、ある」
「おお……さすが」
「すごい怖いのが、ある」
「どのくらい怖いんだ?」
「私が、驚いて画面を割った」
「割ったのか!?」
「近くにあったコップで」
「そっちのがホラーだなおい! 一緒に見るときはやめてくれよ!?」
「大丈夫。 たぶん」
多分かよ。 もしもホラーアニメを見ていて、横で急にそんなことをやられたら、それこそ心臓が止まってしまう自信があるぞ。
「今日、見よう」
「別に良いけど、予定とか大丈夫なのか? 家事とかもあるだろ?」
「大丈夫。 大体は、朝にやっている」
へえ、偉いな。 俺はもう、朝は起きたら飯を食べて歯を磨いて顔を洗って、それから着替えて天気予報を見るだけなのに。 というか、それが精一杯だ。
「よし。 じゃあ帰ったら見るか。 俺もどうせ暇だしさ」
「うん」
「……言っておくが、しっかり課題が終わったらだからな?」
「……覚えてたの?」
「忘れねえよ! 誰の所為でこうなっていると思ってんだ!」
「頼んで無い」
「ぐ……。 ま、まあ、そうだけどさ……」
それを言われてしまったらぐうの音も出ない。 この課題に付き合っているのも、結局は俺が勝手にやっていることだしな。
「裕哉の我侭に、付き合っている」
「それはいくらなんでも言い過ぎだっ! そんな言われたら手伝う気無くなるぞ!」
「だめ」
「……一応聞いておくか。 なんで?」
「命令だから」
はいはいそうですか。 頼んで無いけど命令はしてるってことね。 全っ然! 納得いかねえ!
「よーし、命令なら仕方ない。 なら弁当も食べ終わったみたいだし、早速始めるか」
「……待って、その前に一つ」
「ん?」
「裕哉の家のこと」
「俺の家のこと? なんだ?」
「暖房?」
……暖房? 俺の家のことで暖房ってどういうことだ。 暖房は付けているのか? ってことか?
「さすがにこの時期では付けてないぞ?」
「そう。 それなら良い」
「……良いなら良いけど。 おし、なら早速始めるか」
「待って、その前に一つ」
「……今度は何だ?」
「裕哉の家族のこと。 妹が居る? 声が聞こえた、朝」
「今度は家族か……。 ああ、居るよ。 厄介な妹だけどな。 葉月は居ないのか? 兄弟とか」
「居ない。 お母さんと、お父さんだけ」
「ふうん。 寂しくないのか? 一人でさ」
「それなりに。 でも、大丈夫。 アニメは楽しい」
そういった理由もあるのだろうか。 葉月がアニメ好きになった経緯には。
「……まぁ、もしあれなら俺も毎日暇だし、一緒にアニメ見たい時は声かけてくれよ。 一人の方が気楽って言うならあれだけどさ。 折角隣同士だし」
「分かった」
小さくだけど、葉月はしっかりと頷いた。 それが何だか、少しだけ嬉しかった。
「よっし! んじゃあ今度こそ始めるか!」
「待って、その前に一つ」
「いい加減にしろよ!? さっきから何回目の一つだよ!? 課題やりたくないだけだろ!?」
「違う。 今度のは大事なこと」
今度のって言ったか今。 つまり、今までのことはどうでも良かったってことか。
「……はぁあああ。 分かったよ、なんだ?」
「どうして、パジャマ?」
……パジャマ? 何だ? 繋がりがさすがに無さすぎて、こればっかりはどうにも理解できない。 うーんっと。
「悪い、どういうこと?」
「裕哉、制服の下がパジャマ」
「……」
なんということだ。 今の今まで全く気付かなかった。 こんな中学生みたいなことを未だに俺はしているなんて! 普通気付くよな? やっぱり。 というか、そうだとすると葉山も俺とぶつかった時にそれに気付いていたとしたら……。 うわぁあああ!! 死にてぇえ!!!
「……いつから気付いてた?」
せめて、葉月が今気付いたならば俺とこいつは同等だ。 今日は朝から殆ど一緒に行動しているし。 そんな期待を込めて、俺は聞いた。
「朝から。 ずっと不思議だった」
「言えよ!! もっと早く言えよ!! なんで今まで黙ってたんだよ!?」
最悪だこいつ! 分かってて言わなかったのか! 分かってて言わなかったのか! ひどい!
「ゆゆゆゆゆらさないで。 ゆうやややや、や、やややめて」
……揺らすと意外と面白い反応をするな、葉月。 少し楽しいかもしれない。
「ああくそ! とりあえず……トイレで着替えるか。 脱げば良いだけだし」
「行ってらっしゃい」
「すげえ清々しい顔をするんじゃねえ!」
表情こそ変わらないが、何かキラキラとした雰囲気なんだ。 アニメでは無いけど、キラキラと光りが顔の周りに出ている感じ。 なんかムカつくから、後で頬を引っ張っておこう。
「悪いな、待たせた」
それから俺はトイレでパジャマを脱いで鞄へ仕舞い、葉月の元へと戻った。 で、俺が一度この場を離れた時と同じように葉月は腰を掛けていたのだが……。 なんと、課題として出されていたプリントを広げて、必死に書いているじゃないか。
「おお……先にやってたの……か?」
なんだ、何かがおかしい。 こいつがそんな積極的に課題に取り組むか? 今の今まで、ずっと課題を溜め込んでいた奴だぞ? 宿題もまともにやらないで、そのツケもずっとシカトしていた奴だぞ? それに今日だって、全然乗り気じゃなかったんだぞ?
「任せて。 もう終わる」
「……」
葉月は軽快にペンを走らせ、シュッと音を鳴らしながら、最後の一振りをする。 そして、今まで描いていた紙を俺に見せつけた。 ちなみに、書いていたでは無くて描いていた、だ。
「昨日のアニメ。 最後のシーン」
「……すげえ。 殆どそのまんまじゃん」
「好きだから、練習してる」
「結構努力家だよなぁ……ってそうじゃねえ! そんなの描いてる場合じゃないだろ!」
あまりにも絵が上手くて、危うく流されるところだった。 今日の本題はあくまでも課題を終わらせることだろうが!
「う……」
「葉月? どうした?」
葉月は小さく呻き声をあげると、体を丸くする。 長い髪が顔にかかって顔は全く見えないが、声色はいつものそれとは違う。
「お、おなかが」
「……痛いのか? 保健室行くか?」
「多分、帰れば大丈夫」
「そうか……ん?」
葉月の制服、その上着ポケットから何か紙が飛び出している。 そういえば、さっき俺が戻ってきた時に仕舞ってたっけ?
俺はその紙をひょいと取り出し、広げてみた。 葉月は体を丸めたままなので、それには全く気付かない。
「……えーっと」
今日の午後一時、アニメ再放送あり。 課題を裕哉にやらせ、見るのが最善だと思われる。 その為の作戦は仮病、裕哉には申し訳無いが、それが最善。
「おい」
「……裕哉、具合が悪い」
「そうか。 なら一度叩いた方が良いかもな」
「それは駄目。 余計悪化する」
「やかましいわ! 葉月、俺に課題を押し付けるのは楽しいか? ん?」
「……え?」
そこでようやく、葉月は顔をあげる。 俺が持っていた紙と、自身がポケットに入れたはずの紙を交互に見て、それから。
「治ったみたい」
キラキラした顔で、葉月はそう言った。
「そうか良かったなそれじゃあ課題をやろうな葉月」
「……くそ」
「今「くそ」って言ったか!? 案外口悪いよな葉月って!」
「裕哉の方が悪い。 私をいじめる」
「いじめてないだろ……。 そんな課題やりたくないのかよ?」
「やりたくない。 つまらない」
「でも、だからって楽しいことばっかやってたら駄目だろ?」
「どうして?」
「どうしてって……」
どうして、だろうな。 言われてみれば、俺はそれにしっかりと答えることが出来ない。 どうして、楽しいことだけをやっては駄目なのだろう? 勉強はしないといけないことだし、そう教えられてきた。 将来の為でもあるし、しっかりとした人生を歩く為にも。
でも本当に、本当にそれでしっかりとした人生は……歩けるのだろうか。
「……どうしてもだよ。 もしも留年とかしたら、両親に迷惑をかけるんだぞ? それは良いのか?」
「それは、やだ」
「だったらやるぞ。 ほら」
「……終わったら、報酬が欲しい」
「……お前なぁ」
普通におかしな話だ。 俺はただ、こいつの課題を手伝ってやっているのに、それが終わったら報酬を渡せと言われている。 俺が貰っても良いくらいなのにだ。 まぁ、ただの押し付けの善意なのかもしれないけどさ。
「それ、なに?」
「ん? それって……ああ、これか」
俺のポケットに入っている紙。 さっきの葉月が持っていた紙とは違う物だ。
「昨日、蒼汰が俺に渡してきたんだよ。 なんでも、二人三脚で町内を一周するイベントらしい。 ほらよ」
俺は葉月に説明しながら、その紙を手渡した。 葉月はそれを受け取ると、しばし食い入るように見つめる。
走るのが好き……なわけないよな。 もしもそうだったら、昨日の体育の授業だって出てそうだし。
「裕哉、これが良い」
「これが良いって……走れってこと?」
「別に走らなくてもいい。 これが欲しい」
葉月は言い、紙に書いてある一位の賞品を指さす。
「ええっと? ワルキューレ・ダンシング、B2タペストリー? なんだこれ?」
「アニメのグッズ。 これが欲しい」
「そういうことか……ってか、なんでそんなのが賞品に?」
「気になる?」
こいつにこうやって言われると、なんか素直に頷きたく無いな……。 でも、気になるのは確かだし……。 ええいくそ!
「……一応、ほんの少し」
出来るだけ興味が無さそうに返事をすると、葉月は小さく頷いて口を開く。 いつもより気持ち、すらすらと。
「実は、この学校は舞台になったの」
「舞台?」
「このアニメ、ワルキューレ・ダンシングの舞台。 この学校に、主人公たちが通ってたの」
「そうなのか!? それってすごくないか!?」
「それで、どこかからの寄贈品だと思う。 それが、余ってる」
さり気なく、俺の驚いたリアクションがスルーされた。 少し悲しい。
「なるほどねぇ。 それで、二人三脚大会の賞品にしちゃおうってことか」
「……」
葉月は無言でこくこくと頷いた。 しかしちょっと待て、例えこのタペストリー? とかいうのを葉月が欲しがっているとして、俺にそれを取る義理があるのだろうか? 答えは簡単、無い。
「持ってないから、欲しい」
「そうか、でも」
「限定品で、手に入らない」
「……いやでも」
「約束してくれるなら、課題がんばる」
「……はぁ分かったよ! そこまで言ったならしっかりやれよ!? 二人三脚大会に参加してやるからさ!」
「ほんと?」
「本当だ。 ただし、葉月こそ本当にちゃんとやれよ?」
「うん。 頑張る。 私も本気で走る」
「……ん?」
俺は課題のことを言ったつもりだったのだが、何だか違う返答が来たな。 走るって言っているが、まさかこの女は。
「二人三脚だから、一緒に走る」
「いやいやいや! 絶対走るの苦手だろ!?」
「苦手。 だけど頑張る」
確かにそのガッツポーズからは頑張るとの気合いを感じるのだが、苦手って言い切っちゃったよこいつ。
「そうは言ってもな、身長だってかなり違うし、俺は男子で葉月は女子だろ? 多分、相当やり辛いと思うんだけど」
「心配いらない。 問題無い」
「俺じゃなくても、二人で別々に参加した方が良いだろ……。 俺は蒼汰辺りに声掛けてさ、葉月の方も誰か誘って」
「無理。 私には友達が居ない」
自信満々に言うな! 大分悲しい台詞だからな!
「けど、葉月と俺でか……。 やっぱ無謀だと思うんだけど」
「そうじゃないと、駄目」
「どして?」
「裕哉にばっか、やらせてる。 私も、何か手伝う」
「元はと言えばこれも葉月さんの所為ですからね……。 だけど、そう言われるとなぁ。 仕方ない、か」
「……よし! 分かった。 一緒に参加するぞ、葉月。 大会までまだ日にちはあるし、空いた時間で練習だ。 良いか?」
「分かった」
「葉月の言う「分かった」程、不安な物は無いな」
「大丈夫。 裕哉は強い」
「俺の名前を出してくる所為で余計心配になってくるなおい。 まあ、やるからには全力でやる。 それでも駄目だったら、まあ……どうするかな。 約束はしたわけだし、何か他の形で詫びるよ」
「了解。 その時は死んでもらう」
「俺の命軽すぎ無いかっ!? 約束を守れなかったから死ねって、そっち系の人なのか!?」
「冗談。 その時はまた考える」
「……ったく。 はいよ、そうしてくれ」
葉月は多分、笑っていたと思う。 表情ではなくて、雰囲気で。 心の中はきっと、笑っていたはずだ。
「なあ、葉月」
「なに」
「あれやってくれよ。 命令って奴」
「命令、されたいの?」
「……なんか誤解を招く言い方だな、それ。 なんとなく、そっちの方がやる気出るんだよ。 面白くて」
俺は隣に座る葉月にそう言った。 それは事実で、葉月は俺の中ではもう面白い奴だから。 一緒に居ると、多分楽しい。 つまらない物だらけの中で、一つだけ。
「……面白い」
葉月は言い、立ち上がる。 立ち上がって、俺の真正面へ来ると真っ直ぐと俺のことを見つめた。
「あ、出来れば可愛くな。 ぶっきら棒に言うんじゃなくて」
「分かった」
少し緊張しているのか、葉月は一度深呼吸をする。 そして、口を開く。
「裕哉」
「なんだ?」
「命令、二人三脚大会に」
そして葉月は言う。 俺が頼んだように、可愛らしく。
「一緒に出ろ」
ねえ!!
「普通に命令じゃねえか!! それのどこが可愛いんだよ!?」
全く、無理難題は言う物では無いな。 少しだけ期待した自分が馬鹿みたいだ。
「一緒に……出よう?」
葉月は首を傾げながら言う。
「……はいはい、了解了解」
正直、最後のそれは少しだけ可愛かった。