少しずつ、動き出す
あの日から今日まではあっという間で、ついに明日が大会本番。
早めに寝ておこうと、夜の九時にはベッドに横になったのだが、こういう時に限って中々寝付けない。 確か葉月と夜中にアニメを見る約束をしてた時もそうだったっけ。
「裕哉ー! お客さんよー!」
そんな風に困っていた時、母親が俺の部屋をドンドン叩きながら言う。 葉月……では無いよな? あいつだとしたら、こっちの秘密の通路を使うだろうし。
ってことは、誰だ?
「はいはい今行くー!」
母親に言い、時間も時間だし寝間着でも良いかとの結論を頭の中で出して、俺は玄関へと向かう。
そこに立っていた人物は少し、予想外の奴。
「よ。 ちょっと付き合いなさいよ。 話したいことあるから」
「葉山? てか、何でこんな時間に?」
「だから話したいことがあるって言ったでしょ。 神宮さんが気付く前に早くしろ。 ノロマ」
酷い言われようだ。 俺はこれから寝る所だってのに、急に訪ねてきて話があるとか、どこのヒロインだよお前。
……ああ、いかんいかん。 葉月の影響でアニメ脳になりつつあるかもしれない。
「はいはい分かりましたよ。 着替えてくるから、少し待っててくれ」
「一分だけ待ってあげる」
「……お前、本当に葉月そっくりだよな」
「私とあの黒髪人形を一緒にしないで。 どこをどう見たらそうなるのよ」
その偉そうな物言いとか、急に家に来ることとか、そっくりじゃん。
「ああ、まぁ、良いや。 出来るだけ急ぐから、悪いけど待っててくれるか。 なんなら中入ってても良いからさ」
「良いわよ別に。 ったく、どこまでお人好しなんだか」
「……ほっとけ」
「で、話ってのは?」
それから俺は軽く着替え、外を歩く葉山に付いていく。 これと言って目的地は無いようで、適当な公園を見つけると葉山はそこのベンチに腰を掛けた。
確か、葉月に気付かれる前にって言ってたよな? だとすると、あいつに聞かれたく無い話ってことだろうか?
「その前に、足の具合はどうなの? 明日本番だけど」
「ん? まぁ、普通に走る分には問題無さそうだよ。 なんだ、心配してくれてるのか?」
俺はからかうように言う。 しかし、それに葉山は表情を曇らせながら答えた。
「一応はね。 半分くらいは私の所為だし」
なんか、こいつがこういう態度を取ると調子が狂うな。 いっそのこと「片足より両足の方がバランス良いでしょ? 私に任せて」とか言ってくれた方が良かった。
「……気にするなって。 俺が勝手にしたことなんだからさ」
「私もそれは一緒。 で、まー足が大丈夫ならいっか。 本題に入って良い?」
俺が頷くと、葉山は足を組み、小さく息を吐くと話を始める。
「あのさ、あの子……一緒に居るとすっごい分かるんだけどさ、人と一緒に居るのが、本当に苦手なんだね」
「あの子? あの子って、葉月のことか?」
「それしか無いでしょ。 ったく」
「悪かったな。 それで、一緒に居るのが苦手ってのは?」
「そのまんまの意味。 なんだか、人と凄い距離を取ろうとしてる感じ。 分かる?」
「……別に普通だと思うけど。 そりゃまぁ、あまり積極的には関わろうとしてないけどさ。 俺と葉山以外には」
「やっぱ八乙女君には分からないかぁ。 人に優しいからね、八乙女君はさ」
葉山は言って、空を見上げる。 そこには綺麗に輝いている星がいくつも、いくつもあった。
「どういうことだ? 俺には分からないとか、優しいとか。 俺は優しいっていうより、ただの自己満足なんだよ。 人が困ってるのとか見てるとモヤモヤしてさ、そんなの放って置けなくて」
「へえ。 だったら、こういうのはどう?」
「神宮さんと私が「あいつを殺して」って二人してお互いのことを指さしながら言ったら、どうするの? 私を殺す? 神宮さんを殺す?」
最初は冗談だと思った。 だけど、葉山の目は真剣その物。 なら、俺もそれには真剣に答えないと駄目だろう。
「……そんなの選べるわけ無いだろ。 俺に取ってはお前も葉月も、大切な友達なんだし」
俺の言葉に、葉山は笑う。 優しそうに、笑った。
「だから優しいんだよ。 八乙女君は」
「でも、覚えておいて。 きっと、いつか八乙女君が経験することになると思う。 優しさってさ、貰った人は嬉しいんだけど、横で見ている人は嫉妬するんだよ。 そうやって、傷付けることもあるって覚えておいて」
「……傷付ける」
「そう。 それともう一つ。 これは多分、もうすぐだけど……一応事前に言っておいてあげる。 八乙女君がいくら優しくして、頑張って、誰かの為にやっても、それで心が痛くなる人も居るんだ。 絶対にね」
「……ああ、分かった。 ちゃんと、覚えておくよ」
「うん。 それじゃあ話を戻すけど」
「あの子、神宮さん。 多分ね、多分だけど」
「前にさ、私と話した時のこと覚えてる? 神宮さんが、葉山がやったって言った時のこと」
「覚えているよ。 めっちゃ衝撃だったからなぁ」
「あはは! ん、んん」
「……八乙女君、あのね。 私、実は……八乙女君のこと、好きなの」
「や、やめろアホ。 嘘って分かってても、お前がやると威力あるぞ」
「あははは! やっぱ八乙女君は騙し甲斐があるなぁ。 一応、褒め言葉として受け取っておくよ」
全く。 冗談でもやめて欲しい。 ちょっとはドキッってするんだからな。
「で、その時の神宮さんだけど」
「私のことも、八乙女君のことも、分かってたんだよね。 あの子」
「分かってたってのは……顔を見たら分かるって言ってたあれか?」
「そ。 人の表情から心の中を見るのが得意って言うのかな。 多分、そういう子なんだと思う」
「……へぇ。 で、それが人を苦手になった理由ってこと? 葉月もそれが嫌になったって言ってたし」
「さぁ、それは神宮さん本人に聞かないと分からないよ。 だけど、皆の考えてることがもしも顔を見ただけで分かっちゃうならさ、それって」
「物凄い、辛いんじゃないかな」
……ああそうだ。 そりゃ、そうだろ。 人の心が全部見えてしまったら、それほど恐ろしい物は無い。 葉月はハッキリと言っていたじゃないか、怖いと。 嫌いだと。
だけどあいつはきっと、それを我慢していて。 その結果があの閉ざされたような形になってしまったのだろうか。
「でも、でもね八乙女君」
「ん?」
「それでも、神宮さんは今、幸せだよ」
「……どうして?」
「八乙女君に会えたから。 話して、遊んで、何日一緒に居ても、八乙女君は神宮さんに対して嫌なこと、思わなかったんだ。 だから、神宮さんは八乙女君といつも一緒に居るんじゃないかな」
「それを言ったら、お前もってことになるぞ。 葉山」
「……私の場合は、まぁ、色々あったし。 神宮さんにはバレてるかもね、私のこととか、色々」
「色々?」
「うーん、気になる?」
「まぁそりゃ、そういう風に匂わされたら気になるかな。 やっぱり」
「それじゃ、少しだけ」
葉山は言って、足を組み、手で膝を支えて、話し始める。
「私のさ、ママもパパももう居ないって話をしたの覚えてる?」
「……ああ、覚えてるよ」
「昔のことなんだけど、本当に私が小さい時でね。 死んじゃった後も全然状況を飲み込めて無かったんだ。 気付いたらお婆ちゃんの家に居て、それで気付いたらこうやってここに居る。 だから、私の中だと両親ってのは本当に曖昧な存在なんだよ」
「曖昧で、ボヤケてて、ハッキリしない存在。 それが私の両親」
葉山は月に手を重ねる。 指の間からその光を見ながら、続けた。
「三人で遊園地に行ってたらしいの。 で、途中の高速道路で事故起こしちゃって。 凄かったらしいよ、車がぺしゃんこだったんだって」
「ま、私は体がまだ小さかったからさ、隙間に入って奇跡的に軽傷。 その代わりって言っちゃあれだけど、ママもパパも死んじゃった」
あっけらかんと葉山は言う。 少しだけ、悲しそうに。
「それでさ、覚えているんだ。 その時の事は少しだけ。 私が潰れた車の中で泣いてて、ガソリンの臭いとか焦げた臭いとかする中で、ママがまだ生きててさ。 私に言ったの」
「ごめんね。 だって」
葉山の言葉の一つ一つは、まるで鋭利な刃物だった。 聞く度にそれは俺の心を刺して、刺して、刺してくる。 葉山に何も言えない自分が情けなく、悔しい。
「なに辛そうな顔してるのよ。 言ったでしょ? 私の中では二人共曖昧な存在だって。 今となってはもう、これっぽっちも気にしてないわよ」
「てか笑っちゃうよね。 最後に謝ってどうすんだって話だし。 それに別に謝られたって、私は何も思わないし。 だけど」
「だけど、小学校とかで私だけお母さんもお父さんも居ないってのは、悔しかったんだ。 私だけが省かれているみたいで、私だけが異端みたいで。 それが悔しかった」
「八乙女君から見てさ、私ってどう見える? 普段の私」
「俺から見て、か。 まぁ、皆から人気あって、皆と仲良くて、クラスの中心って感じかな。 一応表向きは誰にでも優しいし」
「そっか。 でも、優しさで言ったら八乙女君には敵わないかなぁ。 私のは所詮、偽物の優しさだからさ」
「そんなのに種類なんて無いだろ? 受け取る側からしたら」
「……確かにそうかもね。 けど、そうやって作って、偽って、騙して。 結局、何も変わらなかった」
「変わらなかった?」
「うん。 皆が好きなのは、さっき八乙女君が言ってた葉山歌音。 皆に人気があるのは、私じゃない葉山歌音。 本当の私は、一人ぼっちの寂しい奴」
そう言い、葉山は顔を下に向ける。 寂しさを紛らわす為に自分を作って、結局その寂しさからは逃げられなくて。 そうやって、葉山歌音は今ここに居る。 俺が、言ってやれるとしたら。
「だけど! だけど、葉山。 俺と葉月はお前と友達だぞ! お前の性格を知っても友達だろ? 本来の葉山と、俺達は友達なんだ。 な?」
「だから怖いんだ。 私は」
俺の言葉を聞いて、葉山はすぐさま言う。 間髪を入れずに、俺がそう言うのを分かっていたかのように。
「皆、結局は何かに怯えながら生きてるのかな。 神宮さんも、私も」
「……八乙女君は、一体何に怯えることになるんだろう」
「俺は別に、怯えてなんて無いって。 それにもしもそうだったとしたら、皆で何とかしよう。 お前が怯えてたら俺も葉月も手伝うし、葉月が怯えてたら俺とお前で助けてやろう。 友達だろ?」
「友達かぁ。 私さ、生まれて初めてだったよ。 面と向かって友達だって言われたの。 仲の良い子は沢山居るけど、仲が良くなればなる程、私のことに気付くんだよね、やっぱり。 最後には皆離れていってまた独り。 それでも私はまた同じ事を繰り返す。 だけど」
「それで、そんな私を見ても友達って言ってくれたんだ。 二人は」
「後にも先にもきっと、八乙女君と神宮さんだけだよ。 そんな馬鹿なのって」
「だからこそ……私は怖いし、嫌なんだ」
「……葉山、お前は一体、何に怯えているんだよ? そこまで怖い物って、何だ?」
「んじゃあさ八乙女君、私が怖い物を知りたいならこうしよっか。 私、実は神宮さんと友達になれて凄い嬉しいんだ。 これでもかってくらい、嬉しいんだ。 もっともっと仲良くなって、もっともっと沢山遊びたいんだよね」
「何かのナゾナゾか? それって」
「そんな感じ。 で、八乙女君が受けた感想は?」
「うーん。 これでもかってくらい嘘っぽい台詞……って感じかな」
「あはは、やっぱそうかな。 けど、そう言って貰えてスッキリしたよ。 ってわけで、この話の続きはまた別の機会ってことで」
「なんだそりゃ。 ま、別に良いけどさ……本当に困った時は遠慮無く言えよ?」
「はいはい。 分かった分かった。 今は少しそうやって休むのも良いかもね」
「それより良いのかよ、葉山の家って結構遠いだろ。 こんな時間にこっち来ててさ。 明日だって早いし、もしあれならうちに泊まってくか?」
「女子にそういう事を言うと、そういう物だと思われるよ? まぁでも、八乙女君の場合は違うんだろうけど」
「そういう物って……そんなつもりじゃないぞ」
「分かってるっての。 八乙女君の心配事だけど、私は元々短眠だし問題なーし。 八乙女君は私の心配より自分の心配することね。 さっきはスルーしてあげたけど、歩き方まだおかしいでしょ。 気付いてないとでも思った?」
「……返す言葉も無いな」
「ったく、そんなんで本当に明日大丈夫なわけ?」
「頑張るさ、やれるだけやって、駄目だったらどうにか埋め合わせするって」
「……はぁああああ」
「なんだよ? 急にそんなため息吐いて」
「もう良いや、私は八乙女君を諦めた。 後はまぁ、経験しかないって感じかな。 ってわけで、私はそろそろ帰ろっと」
「また急だなおい! 人を呼び出したと思ったらいきなり帰るって!」
「別に良いでしょ? 私なんだし」
「……あー、そうだったな。 お前は葉山だった。 俺が間違えてたよ」
「うんうん。 それで良し。 んじゃ、また明日」
葉山はベンチから立ち上がり、俺に背中を向けたまま手を振って歩き出す。 俺はその背中に声を掛けた。
「送っていくか? 夜遅いし、駅くらいまで」
「だーかーらー。 自分の足治してからそういうことは言えっての。 次言ったら、その足蹴り飛ばすわよ?」
振り返って、偉そうに腕組みをして葉山は言う。 それはいつも通りの葉山。
「怪我人に向けて言う言葉では無いな、それ」
「あは。 とにかく明日、あんま無理してお友達を悲しませないようにね。 分かった?」
「……お前のことか?」
「バーカ。 私なわけないでしょ。 もう一人の方よ、もう一人の」
葉月か。 けど、あいつこそ俺が頑張らないと悲しむんじゃないかな。 賞品だってそうだし、何よりあいつは約束通り、課題も頑張っていたし。
「あいつが悲しむかどうかは置いといて、分かったよ。 なんか色々ありがとうな、葉山」
「私はただ、なんとなく八乙女君と話したかっただけ。 本当だったらこんなこと、話す予定じゃなかったんだけどね」
そう言って、葉山は再び俺に背中を向けて歩き出す。 そして、葉山はこう、呟いた。
「やっぱり、私も病んでるのかな。 こんなことするなんて」
そして迎えた、大会当日。
事前にルール確認があり、それによればまず、参加者の人数は五十人程。 町内を五周して、一番最初に元の場所に戻ってきた人が優勝。 賞品は一位から十位まで用意されており、一位の物は葉月によるとかなりのレア品らしい。 十位まで行くと、さすがにおもちゃっぽいペンダントくらいしか無いが……。
「よ! 割りと大丈夫そうじゃん、足」
「葉山か。 まぁ、テーピングとかも妹にしてもらったし、多分大丈夫だよ」
見た感じ、昨日の少し変わった雰囲気は無くなっている。 こうやって気軽に接してくる葉山はえらくいつも通り。 こうなってくると、昨日のあれは夢だったんじゃないかとも思えるな。
「てか言っとくけど、あんたらの為に走るわけじゃないからね。 あくまでも、私が納得出来ないから走るだけだから」
「はいはい。 分かった分かった」
「チッ。 なんかムカつくなぁ、その態度。 ま良いや、それより神宮さんは?」
「あそこ。 テント張ってあるところだよ」
「うわ、影うっす! というかああやって無表情で遠くに居ると、本当に幽霊みたい」
「お前、それ本人の前で言うなよ。 絶対喧嘩になるから」
「分かってるって。 私から喧嘩売ったことなんて無いでしょ?」
いやあるでしょ。 というか殆どお前からでしょ。 何言ってるんだこいつは。
「はいはい。 とりあえず葉月のところ行くか?」
「うん。 まだスタートまで時間あるし、話し相手になってあげようかな」
とか言って、ただ葉月と話したいだけだろう。 葉山と葉月が話す時って、大体が葉山の方から話を振っているし。
「よ。 黒髪幽霊さん」
葉山は足取り軽く葉月の元まで行き、一言目から喧嘩を売る。 さっき言った事をまるで聞いてねえ。
「裕哉、この人は知り合い?」
「あっれ? なんか今声聞こえたような。 うわ、こんな所に幽霊居るよ八乙女君!!」
「お前らな……」
会ってから一秒も経って無いのに始まってしまった。 最早慣れてきたけど、疲れるのには慣れないんだよ。
「……ま、今日くらいはいっか。 神宮さん、私が一位取ったらしっかりひれ伏してね」
「それは無理。 葉山がひれ伏す」
「私がひれ伏して「これ貰ってください、神宮様」って言うの!? おかしいでしょ!!」
「ついでに裕哉も」
「俺も!? 俺はどうしてだよ!?」
「冗談。 葉山、頑張って」
「へ? あ、ああ……うん。 分かった」
突然素直に「頑張って」と言われ、葉山は焦る。 いや、勿論俺も焦ったけどな。 だって、葉月がそんなことを素直に言うなんてかなり珍しいことだから。
「ん? てか、俺にはそういうの無いのか……」
「裕哉は、別に良い」
「酷いなおい。 まぁ、葉山が相手だと勝て無さそうだけど……やるだけやるさ、だからしっかり応援しろよ、葉月」
俺は葉月の頭をくしゃくしゃ撫でながら言う。 で、こいつはこう返す。
「気安く触らないで」
「可愛く無いな……」
本当に全く可愛く無い。 なんで俺はこんな奴の為に頑張っているのか少々疑問に思えてくる。
「それでは、参加者の方はスタート地点に並んでくださーい!」
葉山と葉月と談笑していたところ、そんな声がスピーカーを通して聞こえてきた。 それに従い、葉山と俺は顔を見合わせ、スタート地点へと向かう。
「一応、足のこともあるし……最初の一周は付き合ってあげる。 もしも何かあったら気分悪いし」
「おう。 ありがとうな」
「別にお礼を言われる程の事でも……。 ま、良いか。 その代わり一周終わったら私は先に行くから」
「ああ、それだけで充分だよ。 お前ってやっぱり、結構優しいよな」
「どこがよ。 私がこうしてるのは、全部私の為。 神宮さんや八乙女君と一緒に居るのも、ね」
恒例のイベントと言っても、今年はただ走るだけ。 なので、色々とハプニングが発生する二人三脚とは違い、面白半分で見学する人たちや応援する為に見学している人達は少ない。 殆どが関係者であったり、参加者であったりといった感じ。
蒼汰が初めに言っていた通り、学校で見慣れた顔もちらほらとある。 老人だらけならまだしも、こうなると厳しい戦いにはなりそうだ。
「ま、一位取れたら……その時は賞品くらい、神宮さんにあげるわ。 私にはいらない物だし」
「さり気ない死亡フラグだなぁ、それ」
「しぼ……え? 何?」
「何でも無い。 気にするな」
葉山はそっち方面の知識に関しては本当に疎いようで、葉月だったらすぐに伝わる言葉でも葉山に対しては伝わらなかったりする。 まぁ、そう言う俺もついこの間まではそっちの知識なんて全く無かったけど。
今となっては、葉月に付き合っていた所為で随分詳しくなってしまった物だ。
「それでは、位置について……」
参加者が並び終え、しばらくの間時間を置いて、スピーカーから再度聞こえる。
いよいよ、始まる。 葉月とした約束を守る時。 葉月はしっかりと約束を守って、今度は俺が約束を守る番だ。
「よーい、どん!」
「っ!」
開始の合図と同時に、一斉に並んでいた全員が走りだす。 町内三周の短い距離ではあるが、ただの短距離とはわけが違う。 いきなり全力で走っても後半で体力が尽きてしまうので、全員が全員、ほぼ同じ速度で走り出す。
「どう? 行けそう?」
「ああ、まぁな。 案外大丈夫そうだ」
「そ。 なら良いんだけど」
走りながら話すってのも無駄に体力を使うけれど、葉山は本当に余裕っぽいな。 短距離でかなりのタイムを持っているだけある。 体力も結構あるのだろう。
一応俺もそれなりには練習とか、体力作りをしていたおかげもあって、そっちの方は問題無いのだが。
……ああやっぱめちゃくちゃ足痛え! 走れないことは無いけど、足を地面に付ける度に、ジンジンとした痛みが広がって、ぶっちゃけかなりキツイ!
葉月にも葉山にも無駄な心配は掛けたくなくて黙っていたけど、これじゃあ終わった後はしばらくまともに歩け無さそうだ。 それでも、今回だけはやり切らないと。
「私さ、八乙女君のこと少し誤解してたかも」
「は? 何だよいきなり」
「最初は、ただ単に一人ぼっちな神宮さんに構いたいだけの人だと思ってた。 そういう風にヒーローを気取っているのかなって」
「……まぁ、そう思われても仕方ないっていうか、はぁ……はぁ……。 昔からの癖だしもう諦めてる」
「あはは。 てか、疲れるの早くない? 息荒いけど、体力無さすぎじゃない?」
そういうお前は随分楽しく走るんだな。 こいつひょっとして、あの槇本よりもスポーツ万能なんじゃ。
「悪いな体力無くて……! どうせならおぶって走ってくれよ……はぁ、はぁ」
こっちはもう、足が痛くて痛くてそれどころじゃないって。
「……もしかして、やっぱ足痛い?」
「……だから大丈夫だって! 何でも無い!」
「はぁ、これだから男子って嫌。 普通に素直に痛いって言えば良いのに、痩せ我慢してさー」
「うっせ! 俺は大丈夫だから良いんだって! それにこれは約束なんだよ!」
「約束約束って。 そんなにそれが大事?」
「……当たり前だ! 葉月はしっかり守って……! だから、俺も守らないといけないんだよ!」
「……ふうん。 ま良いけど。 でも八乙女君、それならスタート地点を通過する時くらい、普通に走ってね。 神宮さんが居るんだから」
「ああ、分かってるって……。 あいつに心配掛けたく無いし」
「私が言っている心配と、八乙女君が言ってる心配って、きっと違うよね。 ほんと、何も分かってないんだから」
「……はぁ、はぁ。 何の話だよ? 一体」
「別に。 分からないなら分からないで良いし。 そんなことよりほら、もうスタート地点着くよ」
「ん、ああ。 分かった」
痛む足を庇いながら走っている所為で、走り方がぎこちない。 しかし葉月にそれを見られて、賞品が取れないんじゃないかと心配されては嫌な気分だ。 だから、せめてここを通る間だけは痛みを我慢して、走ろう。
「あー、痛い痛い痛い痛い痛い」
足は普通に、だけど聞こえないようにぼそぼそと俺は感情を表に出す。 ほんといてえ。
「うっさ! それだけ痛いなら止めれば良いのに。 馬鹿でしょ」
「馬鹿でいいんだよ別に! だってあいつめちゃくちゃ不安そうに見てるじゃないか」
見えてきた葉月の顔。 遠い場所からではあるが、どこか不安そうに俺と葉山の事を見ているが分かる。
「無表情じゃん」
「手を組んでるだろ。 あいつ不安な時はああいう風にそわそわするんだよ」
「一心同体ね、あんたら」
「……ほっとけアホ」
アニメを見ている葉月を観察していたりする所為で、そういう感情は大体読めるようになってしまったんだ。 ちなみに怒った時の事は未だに分からない。 仕草を出す前に、手か足が飛んでくるから。
「よっし、とりあえず一周。 それじゃ私は約束通り先に行くけど、本当に大丈夫?」
「だから大丈夫だって。 それよりお前は先行ってろ。 一位取るんだろ」
「それは余裕。 だけど、八乙女君も一位狙うでしょ? 当然」
「当たり前。 五周目になったら無理にでも全速で走るさ」
「そ。 ま、それなら良いや。 じゃあまた後で」
そう言い残すと、葉山はぐいっとスピードを上げる。 本当に足が速く、あっという間に視界から葉山の姿は見えなくなった。
本当に、葉月と会うまではこんなことになるなんて思いもしなかった。 あいつと会わなければ葉山とこうして仲良くもなれなかっただろうし、部活にだって入らなかっただろう。 今、こうして足を痛めることも無ければ、無理して大会に出ることも無かったはずだ。
だけど、どうしてだろうな。 普通に考えたら嫌な事だらけでうんざりとしてしまいそうなのに。 とっとと厄介な葉月とは距離を置いてもおかしくないのに。
何でこうも、楽しいんだろう。 痛いけど、疲れるけど、辛いけど、それでもやっぱり、楽しい。
面白研究部とは良く言った物で、その部活自体が俺に取っては面白い物なのかもしれない。 理由は良く分からないし、やってることと言えば部室で喋ったり、お茶を飲んだり、トランプやったり、ウノをやったり。 最近では葉月がブルーレイレコーダーを持ち込んでアニメまで見始めている。
そんな、本当にどうでも良い遊びしかしてないのに、どうしてこんなに楽しいんだろう。
葉山は前に、いつも通り雑談をして、いつも通り葉月と喧嘩をしている時に、こんなことを言っていた。
『神宮さんは、八乙女君に屈服するレベルで感謝しないといけないよね』だとか。
でも、俺はそうは思わない。 だって、俺が葉月に会ってからやってあげたことなんて些細な物だし、俺が勝手にやってることだ。 むしろ、それで俺の日常は随分面白い物になっているんだから、感謝しなければいけないのは俺の方だろう。
だから、今回のはそんな恩返しの気持ちもある。 約束ってのが一番あるけれど、葉月に対する感謝の気持ちで、俺がやらなければいけないこと。
「……っ!」
しかしまぁ、人生ってのはそう上手く行かない。 ボロボロになった人がそのまま野垂れ死んだり、巡り合わせが悪かったってだけで、命を落とす人だっている。
そして今回は、そんな巡り合わせが俺に回ってきた。 全く以て、俺には運というのが無いのかもしれない。
二周目も終盤に差し掛かった辺りで、足に激痛。 その所為でバランスを崩して、見事に地面に倒れてしまう。
「……くそ」
転んだ拍子に何ヶ所か擦りむいたのか、ヒリヒリと痛む。 だけどそれだけだ。
捻挫している足も、ズキズキと体の芯まで響いている。 だけどそれだけだ。
足の痛みの所為か、変に庇う走り方をしていた所為か、息は荒い。 だけどそれだけだ。
俺は一体何をやっているのだろう。 こんな無茶をして、こんな馬鹿みたいな事をして。 全ては、約束を守る為。
それだけだ。
「八乙女君!」
なんとか立ち上がろうとした時だった。 後ろから、そう叫ぶ葉山の声が聞こえてきた。