表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 二学期
88/156

書道部の見学

 総一郎が、書道部の活動を見せてくれるという。わたしは王先輩のことを思い出してどきりとしたが、前々から望んでいたことだったので、喜んでうなずいた。渚も一緒に行くと張り切っている。総一郎は、

「普通の地味な文化部だよ。教室も美術部と兼用で狭いし」

 と笑う。わたしたちは一旦総一郎たちの教室に集まってから、渡り廊下を歩いて隣の棟に向かっていた。文化系の部員があちらこちらを歩いたり話したりしている。書道部の教室は三分の一ほど美術部のものらしく、総一郎曰く「美術部は教室を一つと三分の一持ってる」らしいから、美術部にはもう一つ教室があるのだろう。渡り廊下を渡りきって建物内の廊下に入ると、途中で夏子とすれ違った。わたしと渚を見て手を振った。手にはパレットナイフを持ったまま、ぶんぶん振る。

 書道部は書道教室にあった。わたしは選択芸術で音楽を選んでいるが、書道を選んだ人はこの教室で授業を受ける。普段、中には机が整然と並んでいるが、覗くと全く雰囲気が違っていた。机は隅に積み上げられ、部屋の奥の半分くらいで美術部員らしい生徒が数人、一人の女子を囲んでデッサン画を描き、その周りで三ヶ所ほどに白い大きな紙が広げられて書道作品が書かれていた。

 総一郎が自然な様子で中に入り、「お疲れさまです」と声をかけた。わたしと渚もそろそろと足を踏み入れる。王先輩は、いた。顧問の白髪の男性教師や、数人の生徒が見守る中、床に敷物を敷いて紙の上に座り、見事な緩急で文字を書いていく。かすれたり太くなったりしているのに、その字は素晴らしいバランスを保っていた。わたしは王先輩が最後の文字を書き終わるのを見守った。王先輩は、最後の横向きの画をぎゅっと引くと、全体を見てからふう、と息をついた。横顔が美しかった。

「『桜梅桃李』ですね。うまく行きましたね」

 総一郎が声をかけた。王先輩ははっとして顔を上げ、あの熱っぽい目で彼を見た。どきっとした。総一郎はわたしと渚のほうを見ると、

「『桜梅桃李』は桜、梅、桃、すももなんかの春の花木を表した言葉で成り立っていて、それぞれが独自の花を咲かせるって意味なんだ」

 と説明してくれた。わたしはうなずく。いい言葉だけれど、王先輩が総一郎を見ていることのほうが気になって仕方なかった。王先輩は彼をじっと見たあと、

「ソウも出せばいいのに、春の書道展」

 と言った。寂しそうに笑いながら。総一郎はうなずき、

「うちの部からはケイ先輩と何人か出すし、充分だと思いますよ」

 と言った。王先輩は笑ったまま黙り、彼を、彼だけを見つめた。わたしはもどかしくてたまらなかった。二人の間に飛び出したかった。そう思ってじりじりしていると、顧問の先生が口を挟んだ。

「篠原みたいにサボってばかりの部員もいれば、王みたいに引退しても通ってくる部員もいる。色々いるもんだな」

 書道部の生徒が軽く笑った。総一郎は苦笑いしている。そう言えば、王先輩は三年生なので、もう部活は引退しているはずだ。受験はどうするつもりなのだろう。わたしは王先輩をちらりと見た。彼女はわたしの視線に気づくと、妖艶に微笑んだ。わたしは慌てて目を逸らした。

「篠原、元気になったな。よかったよ」

 先生は顔をしわくちゃにしてにっと笑う。総一郎は、かすかに笑って「はい」と返す。わたしは、ああ、先生は知っているのだな、と思った。総一郎の様子がおかしいことに、もう気づいていたのだ。総一郎を見守ってくれる人がいることにほっとしながら王先輩を見ると、彼女は唇をぎゅっと閉じて総一郎を見ていた。

「総一郎、何か書いてよ」

 渚が声を出した。目立つ彼女は書道部や美術部の男子たちからちらちら見られていたが、それに臆することなく元気に振る舞っていた。総一郎は「やだよ」と嫌がる。わたしも書いてほしかったので、手を合わせて頼んだ。

「わたしも総一郎が書いてるところ、見たい」

 総一郎は腕を組んで悩み、すぐに「いいよ」と笑った。渚が扱いの違いをぼやくので、わたしは笑う。書道部の生徒たちは、わたしのほうを見ながらひそひそ話していた。どうやらわたしと渚のどちらが総一郎の恋人なのか、判断がついたらしい。わたしはくすぐったい気持ちになる。

 総一郎が、細長い紙を持ってきた。隅に敷物とその紙を重ね、長い銀色の文鎮を載せ、硯石と太い筆、水の入った小さなボトル、すり減った墨を横に置き、水を加えながら墨をする。墨が濃くなったところで筆を手に取る。どきどきした。紙の上に乗り、墨に浸した筆を紙に置き、さっと線を引く。総一郎は王先輩よりも書くのが早い。字の感じも王先輩と違っていて、彼の字はとても几帳面な感じがする。終わると、彼はそれを見てうなずいた。

「こんなもんかな」

 総一郎はこちらを見て微笑んだ。文字は「晴雲秋月」。見たことのない熟語だが、「秋」の一字が入っているから、春の展覧会に出す王先輩たちと違って、今現在のことを書いているのだろう。

「秋じゃなく春の言葉を書けよ。展覧会に出せないだろ」

 先生が苦笑する。総一郎は澄ましている。

「どういう意味なの?」

 渚が訊く。総一郎は一瞬ためらい、

「秋の夜空に例えて、純真で、心が澄みきっているって意味だよ」

 と答えた。わたしたちはうなずく。わたしはよくこんな言葉を知っているなあ、と思っていた。そこに先生が割り込む。にやにや笑っている。

「誰のことを書いたんだよ」

 総一郎は少し赤くなった。渚がにやっと笑ってわたしを見る。王先輩も、他の部員も見る。わたしは驚いた。まさか、わたし? 嬉しさをかみ殺すように唇に力を込めた。一方で、総一郎の中のわたしが純真であることに狼狽した。わたしはそんな風じゃない。

 総一郎は作品がある程度乾くまでさらし者になるのが恥ずかしいようだった。何となくその前に立ち尽くしている。わたしはそれをじっと見ながら、何と反応すればいいのか迷っていた。

「町田さん」

 後ろから声をかけられた。振り向くと、王先輩だった。彼女は微笑み、わたしの手を引く。

「ちょっと来て」

 その手にこもった優しい力に、わたしはぞっとした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ