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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 二学期
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三回忌法要の日

 あれから数日が経った。総一郎は段々不安定になってきた。岸の何気ない冗談に大笑いしたり、かと思えば全然話を聞いていなかったり、ぼんやり窓の外を眺めていたりする。岸の言うことは当たっているのかもしれない。総一郎は不安なのだ。

 毎日の昼食で、総一郎はいつもそのように振る舞った。わたしと一緒に帰るときも、そうだ。わたしに興味津々だと思ったら、急に目が遠くを見つめていたりする。わたしは心配でたまらず、一際彼がぼんやりしているある日、総一郎に訊いた。一言、どうしたの? と。総一郎は喉仏を上下させてから、わたしを見た。目に膜がかかったような虚ろな目だった。校門の外を歩いていた。商店街の喫茶店に向かっていたのだ。

「今日、母親の命日なんだ」

 総一郎はそう言った。わたしは驚かなかった。そうだろうなと思っていた。

「総一郎、不安なんでしょ? いいよ。言ってくれたって。わたし、聞くだけだから。何でも言ってくれていいよ」

 わたしが言うと、総一郎は微笑んだ。

「ありがとう。大丈夫だよ。不安なんてさ。大丈夫」

 そう言いながら、彼はぼんやりと遠くを見る。夕焼けは上のほうほど青く、街に接する辺りはピンク色だった。うろこ雲が広がっている。美しい夕焼け。わたしは総一郎の手を握った。総一郎がびくっとしてわたしを見た。商店街の通りの中で、わたしたちは少し目立っていた。

「お母さんの三回忌なんだよね」

 わたしは総一郎の目をじっと見る。総一郎はうなずく。

「法事があるんだ。今度の土曜日。親戚とか母親の友達とか集まって、坊さんがお経読んだり、母親の写真見ながら食事したりするんだ」

「行きたくない?」

「できれば。でも、そういうわけにもいかない」

「わたし、一緒に行っていい?」

 総一郎はびっくりした顔をした。それからゆっくりと首を振り、

「ごめん。席が決まってるんだよ。食事の手配も済んでるし。それにおれの身内や母親の友達ばかりだから、歌子が来ても浮くと思うよ」

 と答えた。わたしは地面を見つめてうなずいた。

「そっか」

「ありがとな」

 総一郎は微笑んだ。彼の微笑みを見ながら、わたしは複雑な思いでいた。こんなに元気のない総一郎を、わたしは見たことがなかったからだ。


     *


 土曜日が来た。わたしは何となく落ち着かなくて、いつもは寝坊するのに早起きをした。メールが届いていた。総一郎からだった。

「法事の準備中。喪服を着ていく。大丈夫だよ」

 メールの文面を打つのが上手になった今も、総一郎は筆無精だった。それなのにこちらから何も送っていないにもかかわらず自分からメールを送ってくるなんて、やっぱり変だった。今日という日が過ぎれば、彼は元通りの落ち着いた様子に戻るのだろうか? それだけでは足りない気がする。それだけでは、毎年この時期が来るたびに同じことを繰り返すのではないかと思うのだ。何か、できないだろうか。彼のための何かを。

 家族皆で朝食を済ませて、父や母の顔を見ながら、二人のうちどちらかが欠けたらどうなるのだろうと考えた。それだけでぎゅっと胸が苦しくなった。いつもわたしをからかってばかりの明るい父がいなくなったら、わたしを甘やかしてばかりの優しい母がいなくなったら、わたしは何年も立ち直れないと思う。じっと二人を見ているわたしを、父がにっこり笑って見つめ返した。箸をかちゃかちゃ鳴らしながら納豆ご飯をかき込むと、父は立ち上がって食器をシンクに運びながら、わたしの頭を指でつんとつついた。

「何ぼーっとしてるんだ? さっきからご飯が進んでないぞ」

「そうよ、歌子ちゃん。何かあった?」

 母も心配そうにわたしを見る。わたしは首を振り、

「ううん。お父さんとお母さんがいて、よかったなあって思ってさ」

 それを聞くと、二人とも案の定ぽかんとした顔をした。わたしはかあっと顔が熱くなった。言わないほうがよかっただろうか。父はシンクに食器を運び終わり、戻ってきてわたしの背中をぽん、と叩いた。

「お父さんも歌子がいてくれてよかったと思ってるよ」

「お母さんもよ」

 母が微笑んだ。わたしは何だか照れくさくなって、ご飯を慌てて食べた。今日の朝食は味噌汁に焼き鮭だった。納豆もついていたが、苦手なので食べていなかった。何となく、用意してくれた母に悪い気がして、わたしは最後にそれを食べた。

 父は仕事の準備に行き、母は食器を洗い始めた。わたしは自分の親が自分に注いでくれる愛情の大きさを感じていた。総一郎の不器用な父親の愛情も同じだと思うし、母親のそれもそうだったに違いないのだ。

 でも、総一郎にはそれを確認する手段がもうないのだ。彼の母親はもういないのだから。

 わたしは胸が痛くなった。慌てて食器を持って母のところに行き、洗い終えた食器をふきんで拭いた。母は微笑みながらわたしを見、

「珍しいわね。歌子ちゃんがお手伝いなんて」

 と言った。わたしは皿を割らないように注意しながら白いふきんで丁寧に拭いた。

「総一郎がね」

「総一郎?」

 母がきょとんとした。

「この間勉強を教えに来てくれた、篠原君」

「ああ」

「今日、お母さんの三回忌法要なんだって」

 ぴたっと水がとまった。母が蛇口のレバーを下ろしたのだ。母もふきんを取り出し、積み上がった食器を拭いた。

「そうなの」

「十五歳になったばかりでお母さんが亡くなるって、どんな気持ちなのかなあって思ったんだ」

 母は黙った。少し考えている様子だった。

「おばあちゃん、亡くなったでしょう。歌子が生まれる前に」

 母が話し出した。母方の祖母は、まだ五十代で亡くなったのだった。わたしは祖母のことを写真でしか見たことがない。母によく似た、愛情深そうな人だった。

「わたしはもう二十代だったけど、すごく悲しかったし、寂しかったわね。これからもずっと一緒にいるつもりだったのにって」

 母の声は、いつの間にか淡々としたものになっていた。わたしは食器を拭きながら、母をじっと見た。横顔の母は、突然こちらを真っ直ぐに見た。そのときに戻ったかのような力のない目をしていた。

「篠原君は、きっともっと寂しいし、悲しいし、もしかしたらまだ立ち直れてないかもしれないわ。歌子ちゃん、支えになってあげないとね」

 わたしはうなずいた。母はもう立ち直れたのだろうか、と考えながら。

「じゃあ、行ってくる」

 父が台所に続いている居間に顔を出した。わたしが母の手伝いをしているのを見て驚いた顔をし、次に微笑んだ。わたしと母は二人揃って父を送り出しに行った。玄関で靴を履きながら、父は嬉しそうだ。

「歌子が見送ってくれるのなんて、何年ぶりかな」

 そう言ったあと、父は行ってきます、と言って出ていった。わたしたちは行ってらっしゃい、と声を揃えた。

「お母さん、法事ってどれくらいあるのかな」

 居間に戻ってから、わたしは母に訊いた。母はしばらく考えて、

「お昼頃から始まって、大体三時間くらいじゃないかしら。お経を上げて、食事したら大体それくらいになるから」

 そっか、と答え、わたしはぼんやりと窓の外を見た。驚くほどきれいに晴れていて、わたしは気分と空がちぐはぐであるように感じた。

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