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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 二学期
84/156

誕生日のデート

 駐輪場に自転車を停め、待ち合わせ場所であるファッションビルに向かうと、総一郎はすでに待っていた。手持ちぶさたにアーケード街の外の車道を眺めている。いつものようにジーンズに黒っぽいTシャツを着ている。土曜日なので待ち合わせの人が多いのだが、背の高い総一郎はひどく目立っていた。

「そーおいちろーう」

 と名前を呼ぶと、彼はにこにこ笑って手を振ってくれた。騒がしく靴音を鳴らして駆け寄る。わたしは三センチほどかかとが高いパンプスを履いていたので、本当に響く。この靴をいつ履こうかと楽しみにしていたので、最初に見せるのが総一郎であることが嬉しくてたまらなかった。はっきりしたグリーンの、ぴかぴかのエナメル製だ。総一郎が最初に注目したのは当然ながらこの靴で、開口一番、

「音すごいな。目立ってるよ」

 と言って笑った。わたしは微笑む。

「この靴かわいいでしょ?」

「まあ、歌子らしいよな」

「デートだから下ろしたんだよ」

 総一郎はそれを聞くと急に態度を改めた。何度もうなずき、

「かわいいと思うよ」

 と言ったのだ。現金なものだ。わたしは総一郎と一緒に歩き出した。楽しいデートが始まったのだ。わたしは総一郎を見上げ、彼がわたしを見下ろして視線を合わせるのを楽しみながらいつもより半オクターブほど高い声を出す。いつの間にか気分が高揚していたらしい。

「総一郎さー」

「何?」

「黒ばっかり着てない?」

「青も着るよ」

「もっと色々着ようよ」

「だって、ファッション誌読んだりしないから何着ればいいかわからないし」

「わたしが選ぶからさ」

 総一郎はびっくりした顔をし、次に微笑んだ。嫌がられるかと思ったが、笑ってくれたので安心した。総一郎はむしろ積極的だ。

「どういうのが似合うと思う?」

「そうだなあ。これから寒くなっていくから売ってるのは完全な秋物なんだよね。カーディガンとか」

「着たことないな」

 総一郎は一瞬躊躇した顔を見せたが、すぐにうなずき、

「じゃあ、歌子に選んでもらう」

 と笑った。わたしは総一郎の腕に軽く触れ、先ほどのファッションビルに向かった。メンズファッションの店が入っているからだ。

 全面ガラス張りの一階はレディース小物の店ばかり集まり、二階と三階はレディースファッションの店が入る。わたしたちはエレベータを使わずエスカレータで上に向かっていたので、それらが目に入った。秋物の色の濃い服があちこちに陳列されている。今着たら少し暑そうだが、新鮮な感じがする。四階に着くと、そこはレディースに比べて品物の色が抑えられたメンズフロアだ。わたしは一度も踏み込んだことがない。

 わたしたちは四階をうろうろし、総一郎に合った秋服を探した。総一郎はどうしても黒か黒に近い色の服を手に取りたがるので、あえてピンクのカーディガンを見せたら嫌がられてしまった。おまけに総一郎は背が高いので、Lサイズですら小さい場合もある。

「あ、これいいよ」

 わたしはベージュのカーディガンを総一郎に合わせてみた。丈も合いそうだ。彼の鋭い雰囲気が柔和になって、かつ奇抜ではない。

「そう? じゃあこれにする」

 総一郎はあっさりと決めてしまった。よほど気に入ったらしい。にこにこしながらカーディガンを眺めている。下に着る白いプリントTシャツも買って、わたしたちはビルを出た。総一郎はずっと機嫌がいい。

「そんなに気に入った?」

 わたしが訊くと、総一郎は子供のようにこっくりうなずく。

「歌子が選んだ服なんて初めてだからさ」

「ちゃんと着てよ。箪笥の中に入れっぱなしにしないで」

「大丈夫。着る」

 会話の間、ずっとにこにこしていたので本当だと確信した。わたしまで気分がよくなるくらいだ。

「次、どこ行く?」

 わたしが訊くと、

「歌子の好きなところ」

 と総一郎が答える。そこでわたしは総一郎をアーケード街の外に近い場所にある雑貨屋に連れていった。女の子ばかりの店だ。総一郎がひどく目立つ。でも、彼は少なくとも一度ここに来ているのだ。

「総一郎」

「ん?」

「これさ、ここで買ったんでしょ?」

 わたしは総一郎に、携帯電話のイヤホンジャックを見せた。オレンジ色のコウモリの形。小さな目があったはずなのに、消えている。おまけに薄汚れてしまった。わたしが撫ですぎたせいなのだが、それでも捨てたくはない。総一郎は目を細めた。

「そうだよ。本当、大事にしてくれてるよな。新しいの、ほしくない?」

 彼の指さす先には苺や林檎の形をしたイヤホンジャックが並ぶ売場があった。わたしは首を振り、

「やだ、これがいい」

 と言った。このコウモリがかわいくて仕方ないのだ。壊れない限り、替える気はない。総一郎はうなずき、嬉しそうに笑った。

 しばらく雑貨を眺めてから、店を出る。わたしは本屋に行きたがっていた総一郎のために、そちらを指さして先に歩き出した。それががくんととまる。総一郎が手を握ったのだ。わたしは周りの中高生に少し見られていることに気づいたので、顔を赤らめながら総一郎に並んだ。そのまま再び歩き出す。総一郎を見上げると、少し赤い。

「結構恥ずかしいな」

「珍しいよね、人前でさ」

 わたしが照れながら言うと、総一郎はわたしを見てにやりと笑い、

「だって歌子の誕生日だしな」

 と言う。そうだった。誕生日なのだった。すっかり忘れて楽しんでいた。

「いい誕生日だなあ」

 昨日渚からもらったブレスレットが、総一郎の手首にぶつかってぱちぱち鳴る。わたしたちはしばらく無言で歩いた。

「総一郎さ、最近お父さんとうまく行ってるんでしょ?」

 わたしはやっと口を利く。ようやく緊張がほぐれてきたのだ。総一郎はうなずく。

「まあ、どっちも無口だから会話ははかどらないけど、優二を交えて三人で話したりはするようになってきたかな」

「よかったねえ」

「うん」

 総一郎は前を向いたまま微笑む。

「お父さんのご飯、おいしい?」

「元々料理する人だったんだよ。まあ不味くはない」

「またー。おいしいって素直に言えばいいのに」

 わたしが言うと、総一郎は笑う。声を出して。ああ、本当にお父さんといい関係なんだな、とわたしは安心する。それからわたしたちはアーケードとアーケードの間にある横断歩道の前で、立ちどまる。車や路面電車がどんどん流れていく。

「あのな、今度母親の三回忌なんだ」

 総一郎の声色が変わった。少し強ばって聞こえる。

「そっか」

 わたしが答えると、総一郎はわたしを見下ろして意外そうな顔をする。

「知ってた?」

「岸から聞いた」

「そっか。だろうな。あいつ、おしゃべりだからなあ」

 総一郎は軽く笑った。わたしはそれが全然大丈夫じゃないことを隠す仕草に見えた。そっと訊く。

「まだ、悲しい?」

「ううん。大丈夫だよ。もう二年も経とうとしてるんだから、平気」

 総一郎は繋いでいる手に力を込めていた。大丈夫じゃないじゃん、とわたしは心の中でつぶやいた。信号の砂時計が落ちて、わたしたちは横断歩道を歩いた。しばらく黙っていた。わたしは上の空の総一郎を見ながら、キスしてあげたいな、と思った。キスしたら、悲しくなくなるかもしれない。

「あ、総一郎。アイス食べよ」

 路地の途中に人気のない空き地があり、入り口にアイスクリーム屋があるだけだったので、わたしは総一郎を誘った。奥のプラスチックテーブルで一緒にアイスクリームを食べ終えてから、わたしは総一郎に体を寄せた。総一郎が体をびくっとさせる。

「な、何?」

 総一郎は珍しくどもっている。わたしはどきどきしながら、

「キスしようと思って」

 と彼を見つめた。総一郎は赤くなった顔を隠すように手を振り、

「いやいや、いきなりすぎるよ」

 と抵抗した。わたしは口を尖らせる。

「いいじゃん。わたしは総一郎とキスするの、好き」

 総一郎が手をとめた。それから思い悩んだように横の何もない場所を見つめ、「じゃあ……」とわたしを見た。

「じゃあって何?」

 わたしは思わず笑う。総一郎はますます赤くなり、それでも勢いづいたかのようにうなずく。

「いいよ、キスして。どうぞ」

「どうぞって言われてもねえ」

 わたしが渋ると、総一郎が弱ったな、と言わんばかりに苦笑いする。そして何かを言おうとしたとき、わたしは彼の首に手を回し、引き寄せてキスした。総一郎の、はっと息を呑む気配が伝わった。すぐに唇を離したが、総一郎はわたしの肩を掴んで自分からキスした。

 唇同士のキスは居心地がいい。相手と繋がっている気分になれるし、少し気楽だからだ。総一郎もすぐに唇を離した。わたしは総一郎の首から手をほどき、総一郎も手を下ろした。真っ昼間から外でキスするのは何だか妙な羞恥を覚えさせる。すぐに周りを見たが、コンクリートの地面が三面の壁で囲まれた空き地の入り口に向かって続いているだけで、誰も見ていなかった。

「セーフ」

 わたしが言うと、総一郎は、

「セーフかどうかは問題じゃないよな」

 と呆れた顔をする。自分からもキスした癖に。それから手にしていた黒いバッグから何かを取り出した。箱だ。つまり、プレゼントだ。

「誕生日おめでとう」

 総一郎はその黄緑の箱をわたしに渡した。お礼を言って、慌てて開く。ホワイトデーとは違う大きめの箱からは、黄色いステゴザウルスのフィギュアが出てきた。てのひらにやっと載る大きさで、微笑んだような顔をしている。たてがみのような背中の板は一つ一つ根本が赤くグラデーションになっていて、とても丁寧な作りだ。

「かわいい! どうしてわたしが恐竜好きだってわかったの?」

 わたしは恐竜のおもちゃを買い与えられたことはないが、きょうだい同然の拓人が持っていたので大好きだったのだ。子供のころは、恐竜のグッズを買ってもらえる拓人が羨ましかったものだ。総一郎は得意げに笑い、

「トカゲ好きなら恐竜も好きだろうなって思って」

 と言う。総一郎は本当にわたしの好きなものを見抜いている。わたしは嬉しくてたまらない。

「総一郎、お礼にキスしていい?」

 わたしがそっと言うと、総一郎は慌てて辺りを見渡し、

「じゃあ、素早く済ませよう」

 とわたしに身を寄せた。わたしはくすくす笑う。それから、わたしたちは軽いキスをした。離れてから、顔を見合わせて笑った。

 本当に、素敵な誕生日だった。これ以上素敵な誕生日なんて、起こり得ないんじゃないかというくらい。

 夕方になってから総一郎と別れ、家に帰り、ステゴザウルスを部屋の本棚の真ん中に飾った。美登里からもらったガラスの兎もそこに並ぶ。夏子からもらったポストカードブックは同じ本棚にある。堂々と置かれたステゴザウルスは、どこか総一郎に似ていた。わたしは彼に感謝し、彼の幸せを願った。

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