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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 二学期
73/156

上演

 開会式が済み、いよいよ劇が始まるところだ。この学校の文化祭では、最初に劇が上演されてから投票を済ませ、あとは自由行動ができるようになっている。自由行動の時間、生徒はそのまま体育館でバンドや歌やダンスなど個人や部活の発表がされるのを見たり、文化部や一、三年生の展示物を見に行ったりする。展示物は、文化祭でのお金のやり取りが禁じられているので模擬店ができず、簡単な無料のカフェやお化け屋敷などが定番のようだ。衛生上の問題で食べ物を作って配ることもできない。制限は多いが、うちの学校の文化祭はそれなりに盛り上がる。体育館で発表されるパフォーマンスは特に好まれるようだ。一番盛り上がるのは二年生の劇の時間で、投票で最下位になるのは恥とされているのでどのクラスもかなり必死に練習する。去年一位になったクラスの作品はしばらく学校中で話題にされ続けたものだった。

 体育館に集まった全学年と教師と保護者によって、わたしたち二年生にはひどい緊張が生まれていた。これから劇の本番があるのだから当たり前だろう。でも、わたしは大丈夫だ。さっき総一郎に会ってから、心臓の音はずっと一定の落ち着いたリズムを打っていた。二組のほうを見る。男子の列の黒い頭の連なりに、総一郎の顔がにょきっと出ていた。わたしがじっと見ているのに気づいたらしく、前を向けと指で前方を示す。わたしはにっと笑って小さく手を振り、ちゃんと前を向いた。

 一組の劇が始まった。女装した男子が様々なおとぎ話のヒロインをする、うちの学校では定番のコメディーだ。劇は一組から順番に上演されるので、わたしたちのクラスの順番は後半に回ってくる。劇を観ながら皆が笑っているのに、少し前のほうの久山さんが真顔で見ているのが気になった。きっと緊張が取れないのだろう。

 総一郎たちの二組の劇は、とても面白かった。岸が演じる大柄な王子が背中を見せて飛び出てきたかと思うと、大袈裟な動きで見せた顔が白塗りの赤いおちょぼ口だったからだ。友達がやっているので余計おかしかった。王女も出てきた。岸とは反対側の袖から出てきて、彼と全く同じ動きをしたと思ったら顔まで同じ白塗りだった。踊りと歌を交えたコメディー劇は、大受けしていた。王女役は渚が断ったとのことだが、彼女はここまで剽軽ではないのでやるのは絶対に無理だっただろう。この役に渚を推薦した岸は、ただ単に渚と一緒に何かしたかっただけだと思う。

 三組の劇は、これまでと一変して感動もので、わたしたちが選択肢として挙げていた「最後の一葉」だった。なかなか上手いのでうっかり泣きそうになってしまった。次がわたしたちなので、どきどきしつつ観た。わたしたちは一体何位になるだろう。三組の作品は体育館の人々が皆吸い込まれるように観ているのがわかった。わたしたちは、勝てるだろうか。

 三組の作品が終わり、拍手が鳴り響く中、わたしたち出演者や何人かの裏方の生徒たちが静かに立ち上がって三組と入れ替わるように控えの部屋に入った。ちらっと見ると、総一郎がわたしに笑いかけていた。勇気が出た。

「歌子、おれ死にそう」

 拓人が深呼吸をしながらわたしを見た。わたしは元気に「大丈夫!」と拓人の肩を叩いた。彼は眉尻を下げてひどく不安げな顔で、「大丈夫じゃないよ」とため息をついた。

「久山、大丈夫だって」

 北島君の声が聞こえたので振り向くと、久山さんが自信をなくした様子でしょげかえっていた。いつもは冷たい印象の彼女だが、このときばかりは子供のように頼りなげに見えた。北島君は笑った顔を作り、

「久山が失敗しても、おれと中田がどうにかするよ。おれたちは久山が演じる『マザー』の子分なんだし」

 一緒に久山さんを慰めていた中田君が、「子分って」と呆れながら北島君を見、久山さんに向き直った。

「大丈夫。久山はできるよ。おれたち皆が久山についてるから、自分に負けないで」

 久山さんはうなずいた。そこに拓人が割り込み、

「皆で深呼吸しよう」

 と呼びかけた。なのでわたしたち出演者は立ちどまり、全員で深呼吸をした。わたしは久山さんが自信を持てるよう、精一杯演じようと思った。大谷さんはずっと無言で立っていたが、わたしたちのところにやってきて、こう言った。

「皆、ここまでわたしの口やかましい指示を聞いてくれてありがとう。わたし、やりすぎだってくらい熱心に皆に口出ししたよね。実はわたし、ずっと演劇の仕事がしたくて、田中先生に頼んで監督にしてもらったんだ。学校には演劇部がないし、高校でのチャンスは文化祭の一度きりしかないって思ったから。町田さんや浅井君が流されるように主役になって、どうなることかと思ったけど、二人とも本当に頑張ってくれた。加藤さんも津村さんも久山さんも、北島君も中田君も木田君も、立候補してくれて本当に嬉しかった。うちのクラスの劇は、本当にいい劇だと思う。わたしたち、努力したもんね。皆、本当にありがとう」

 大谷さんは深々と頭を下げた。わたしたちは外に聞こえないように小さく拍手する。大谷さんは笑みを浮かべた。

「じゃ、円陣組もう!」

 わたしたちは丸くなって肩を抱き合った。大谷さんが声を上げる。

「やるぞ」

 おう、とわたしたちは声を揃え、応じた。

 わたしは着ていたジップアップをきゅっと上げ、舞台の下の音響機材のところにいる美登里ちゃんと笑いあった。拓人がわたしの背中を叩いた。

「頼りにしてるからな」

「自分でも頑張ってよ」

「わかってるって」

「約束!」

 そう言い合ってから、わたしは笑って舞台に駆け上がった。

 人がたくさんいる、と思った。体育館中に人がひしめき合い、ほぼ全員がわたしを見ている。緊張がぱっと全身に広がった。さっきまで何ともなかったのに。母は見ているだろうか。渚は、岸は、総一郎は。

 集中、集中、と思って台詞を言った。何とか立て直せたようだ。わたしは声を震わすことなく演技を始めることができた。一人芝居が続く。

 わたしの一人芝居が終わって引っ込むと、拓人が出てきて彼の一人芝居を始めた。台詞が早口になっている。わたしは舞台の袖から彼をじっと見た。彼はわたしを見ると、不安を打ち消すように小さくうなずいてゆっくりと台詞を言った。次に、出会いの場面。わたしは再び舞台に飛び出した。ケイとユウの二人が、噛み合わない会話を交わすのだ。二人とも、どうにかうまくいった。このあと、ケイとユウの二人は段々惹かれ合うようになる。

 わたしは木田君と津村さんが演じる両親に叱られ、加藤さんが演じる友人に「ユウは何だか変だ」と言われる。ユウのほうも北島君と中田君が演じる仲間のロボットに責められ、ロボットなのに人間のケイに惹かれる自分を否定しようとする。長く黒い衣装を引きずる久山さんが演じるコンピュータ「マザー」は、彼がスクラップになりかねないことを言う。この場面の久山さんはうまくやれたようだ。わたしはほっとする。彼女も安堵している様子だ。

 物語は後半に移る。悩みながらも一緒に過ごすケイとユウに、事件が起こるのだ。街で銀行強盗が起こり、パトロールロボットのユウはケイを強盗の銃弾からかばって撃たれてしまうのだ。壊れて動けなくなる前に、ユウはケイに自分がロボットであることを告げる。驚くケイの前で、彼は壊れてしまう。

 倒れた拓人の前に手を着いて叫ぶ場面のあと、一旦幕が閉じた。あとは久山さんの「マザー」とわたしのケイが対話し、物語はほとんど終わりだ。舞台から降りた拓人の後ろから、久山さんがやってきた。

「大丈夫?」

 とわたしが訊くと、彼女は青ざめた顔で、小さく「うん」と答えた。

 幕が再び開く。わたしは「マザー」の前で祈っている。ユウのメインコンピュータである彼女だけが、彼をスクラップにすることから助けてくれるからだ。『お願いします。ユウをスクラップになんかしないで』わたしは深く祈る。しかし、続く久山さんの声がしない。彼女を見ると、無表情になって唇を震わせていた。どうやら台詞が出ないらしい。わたしは背筋が凍った。彼女が何か言わなければ、この場面は成り立たない。

『「マザー」がユウを直すことはない』久山さんの隣の中田君が声を出した。この場面では、彼に台詞はないはずだ。『そうだ。帰ったほうがいい』北島君も対になるような台詞を言った。彼らはアドリブを言っている。わたしは久山さんを見た。彼女の顔には赤みが差していた。

『人間のあなたが、ユウに恋をしたとでもいうのですか』

 彼女は台詞を発した。わたしは嬉しくて笑みを浮かべそうになった。

『そんなことは人間の心が作り出すまやかしです。ユウを助けても、彼は再びロボットとして働くだけです』

『お願いです。助けてください』

 久山さんはしばらく黙ったあと、予定の台詞を言った。

『いいでしょう。あなたが失望してもわたしには関係のないことです』

 彼女は静かに、ゆっくりと去って行った。これで彼女の出番は終わりだ。幕の後ろでしゃがみ込む彼女が見え、北島君と中田君が立たせようとしたり笑って声をかけたりしているのを見ながら、わたしは一人芝居に戻った。本当によかった。

 ユウは戻ってきたけれど、記憶が全て消えていた。ケイは絶望したが、彼との関係をやり直すため、再び声をかけるようになる。ユウは微笑むことを再び覚えて、ケイと過ごす。ケイは彼への恋心を秘めたまま、物語は終わっていく。最後は向かい合って立った状態だ。

『少し不思議な感覚になる。ぼくは君を昔から知っていたような気がするんだ』

 彼の言葉を聞き、ケイは泣き崩れる。

『本当に?』

 ユウがしゃがみ込んで、わたしの手を取りわたしに微笑みかける。

『きっとそうだね。きっとそうなんだ』

 音楽が流れ、わたしたちがそのままの姿勢で固まった状態で、幕が閉じた。拍手の音を聞きながら、さっと立ち上がる。

「エンディングロールだから皆急いで!」

 大谷さんが小声で出演者を呼んでいる。わたしたちは並んで幕が開くのを待った。目の前がゆっくりと開けていく。圧倒されるような数の観客は、途中から忘れていた。わたしは何か尊いものに捧げるように演技をしていた。そんなことは初めてだった。けれど、舞台の下の大勢の人々は、皆笑みを浮かべ、賞賛するように顔を見交わしながら拍手をしていた。うまくやった。わたしは確信した。わたしたちは手を繋いで高く掲げ、笑ってお辞儀をした。幕が再び閉じる。十分後には五組の劇が始まるので急いで撤退しなければならない。

「よおーし、優勝はもらった!」

 大谷さんはガッツポーズを取った。わたしたちは笑ったが、半ば本気でそれを信じた。互いに騒ぎながら舞台に続く控えの部屋のドアから出ると、拍手はまだ続いていた。前のクラスのときはこんなに続いていただろうか? わたしたちは照れながらクラスの列に戻った。ハイタッチの嵐のあと、井出さんが「すごい! やったね歌子!」とわたしの名前を呼び捨てにした。無意識に言ったようだがびっくりした。彼女はすっきりした涼しげな目を細め、何度もうなずいた。わたしは嬉しくなり、クラスの大体の生徒とハイタッチをした。当然のごとくそのお祭り騒ぎには参加しないレイカの横を通りすぎるとき、彼女は暗い目でわたしを見ていた。少しひやりとした。

「女子票はいただきだよね。本当に優勝できるかも!」

 美登里ちゃんが興奮した様子でわたしに言った。ここで田中先生がやってきて、

「そろそろ静かにしろ」

 と冷静に注意した。しかし口元が笑っている。彼も嬉しがってくれているらしい。わたしたちは大人しくなり、五組の劇の開演を待った。久山さんがひそひそと北島君と中田君にお礼を言っていた。

 そのあとの劇は、興奮で頭に入らなかった。どれも頑張っているな、という印象しか残っていない。

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