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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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渚と雪枝さんと渚の家

 わたしと渚が雪枝さんに会った場所は、アーケード街のコーヒーショップだった。雪枝さんの部屋は更にひどいことになっているらしい。なので外で会うことになったのだ。渚もいるし、それがいいと思った。先にカフェオレを飲んでいた雪枝さんはいつものように髪を結い、眼鏡を外して化粧を施したきれいな顔だったが、どこかやつれていて顔色が悪かった。勉強のしすぎで疲れているのかもしれない。彼女はわたしたちに手を上げ、笑いかけた。わたしと渚は彼女に近寄る。

「うわっ、すごくきれいな友達だね」

 渚を見て、雪枝さんはひどく驚いた顔をした。渚は曖昧に笑っている。

「美少年風の美少女だねえ。すごくきれい。拓人君よりきれいなんじゃない?」

「拓人は最近ますます男らしい顔立ちになってきて、そういうのからは少しずつ遠ざかってるよ」

 わたしは雪枝さんの向かいの席に座る。渚もわたしの隣に着いた。雪枝さんはへえ、と何度もうなずいて首がもげそうなくらいだったが、カフェオレを一口飲むと落ち着いたらしく、にっこりと笑った。渚を見ると、雪枝さんの不思議な振る舞いに戸惑っている様子だった。

「雪枝さん、この子は渚。渚、この人は雪枝さんだよ」

 渚はかろうじて笑って雪枝さんを見た。雪枝さんはにこにこ笑っている。

「渚、雪枝さんは変わったところもあるけど普通のお姉さんだから安心して」

 わたしが言うと、渚がうなずいた。雪枝さんが微笑みながらわたしたちに話しかける。

「変わったところね。わたし、昔から大体こういう人間だから、あんまり自覚がない。でも、人間誰しもはみだした部分はあるわけで、そう思ってから気にしてないよ。だから今の歌子の発言も気にしません」

「嘘だ、ちょっと気にしてる」

 わたしが笑うと、雪枝さんは澄ましてカフェオレを飲んだ。

「二人とも学校はどう? 楽しい?」

「結構楽しいよ。友達が何人かできたし、あちこち行ったりしたよ」

「レイカちゃんとはどう?」

 渚がぴくりと動いた。わたしは何でもないように答える。

「あー、駄目駄目。一回向こうがわたしを仲間に入れようとしたみたいだけど、色々あってまたクラス中から無視されてる」

「……そう。大丈夫?」

「大丈夫。渚がいるし、美登里ちゃんは味方だし、大谷さんはそういうの気にせずに話しかけてくれるよ」

「そう。渚ちゃんは親友なんだね」

「うん」

 わたしが力強く答えると、渚は「本当?」とわたしに訊いた。もう一度うなずくと、渚は嬉しそうに笑った。

「歌子に親友ができてよかったよ。できるかどうか、すごく心配してたじゃない。それなのにこんな、すっごくきれいな友達。自慢だね」

 雪枝さんが渚を見て微笑む。わたしは「自慢だよ」とうなずく。渚はまた笑みを浮かべた。

「勉強ができて、きれいってだけじゃない。渚は一緒にいると元気が出てくるんだ。そんな女の子、今までいなかったよ」

「へえ」

「だから、自慢」

「ありがと、歌子」

 渚は横からわたしに抱きついた。暖かい体が嬉しかった。雪枝さんはわたしたちを微笑ましそうに見ている。

「篠原君は元気?」

 雪枝さんの一言で、わたしは一気に気分が沈むのを感じた。わたしの表情を見て、彼女は察したようだ。「喧嘩した?」と訊いた。わたしはうなずき、昨日のことを話した。雪枝さんはうなずきながらそれを聞き、終わると、考え込んだ。

「うーん。確かに歌子は篠原君のことに踏み込みすぎたかもしれないね」

「やっぱり?」

「でも、歌子は総一郎のこと心配してるんですよ」

 渚が不満そうに声を上げる。雪枝さんはうーん、ともう一度うめく。

「物事にはタイミングってものがあるから、そういうのは確かに難しいんだよね。でも、篠原君は歌子にもっと自分のことをさらけ出すべきだとも思うし、気にしなくていいんじゃないかな」

「そう?」

「すぐ仲直りできるよ。大丈夫大丈夫」

 わたしは少し気分が軽くなった。やっぱり雪枝さんは頼りになる。わたしがほっとした顔をしたのだろう、彼女はにっこり笑った。

 わたしと渚はカウンターで買ってきたジュースやお茶を飲む。雪枝さんは最近の勉強についてこぼした。どうやら最近は本当に行き詰まっているらしい。

「顔色悪いけど大丈夫?」

「大丈夫。でも、大変ではある。教師なんて、去年までは考えもしなかったしね。勉強がなかなか追いつかないんだ」

「教師になりたいんですか?」

 渚が訊く。雪枝さんはこっくりとうなずく。

「三十路になってから教師なんて、珍しいとは思う。けどなりたいんだ」

「どうして急にそう思ったの?」

 わたしが訊く。雪枝さんは笑い、

「秘密って言ったじゃん」

 と言う。しかし、わたしが不満げな顔をしていると、雪枝さんは少し考えて遠くを見る目で話し出した。

「まあいっか。今なら言ってもいいと思うし。母親が教師なの。忙しくて構ってくれなかったから反発してたんだけど、帰省してたとき、実家に来てくれた母の教え子と話をしたら考えが変わっちゃってね。お母さんはすごい人だって言ってくれるの。『死にたいほど辛かったとき、先生だけがぼくを助けようとしてくれたんです』って。今ではその人、結婚して子供もいるの。こんなに幸せなのはどん底の思春期に先生に助けてもらったからだって。思春期って、色んな揺さぶりがかかる時期でしょ? 将来のこと、性のことなんかに悩んで、自分の限界が見えてくる時期。その時期に手伝いができるなんて、すごく意味があるなって思えたの。その人は勉強がうまくいかなくて、親から強く抑圧されてたんだって。学校しか居場所がなくて、……でもわたしの母親に何度も話を聞かれながら毎日を過ごすうちに、いつの間にか辛い時期は終わったんだって。気づいたら、わたしも教師をやりたくなっちゃったんだ」

 雪枝さんは、にっと笑った。わたしと渚はぽかんとして彼女を見ていた。すごい、と思った。雪枝さんも、雪枝さんの母親も、すごい。わたしにはそういう目標とする人はいないけれど、尊敬できる人がいるというのは素晴らしいと思った。

 渚は雪枝さんに視線を向けた。

「あたし、雪枝さんもすごいと思います」

「え、どうして?」

 雪枝さんがきょとんとする。

「そこでそう受けとめられる人間性を持っているって点で、あたしなんかよりもずっと豊かに生きてると思うから。あたしは尊敬できる人にまだ会ったことがないし、雪枝さんが羨ましいな」

 また、渚はわたしの考えと近いことを言った。雪枝さんはあははと笑った。

「誰だって感銘を受けるものはあるよ。それぞれタイミングやなんかが違うだけ。尊敬できる人はね、世の中たっくさんいるから大丈夫。いつか出会えるはず」

 渚はほっとしたようにうなずいた。それから、雪枝さんと会って初めて、雪枝さんに向けた笑みを顔に浮かべた。


     *


 雪枝さんと別れて、わたしたちは渚の家に向かった。自転車を走らせると、小さなビルが建ち並ぶ通りを抜け、しばらくして住宅地に着いた。渚が指さす。その先にはわたしの家よりずっと大きな白くて窓の大きなモダンな家が建っていた。幾何学的な形の美しい家だ。わたしは思わずへえ、と声を上げた。渚の両親は二人とも医者だということだが、どこか現代的な病院じみて見えるのは気のせいだろうか。

 家に入って中を見ると、とても清潔そうだった。白い壁に、ごみや余計なものがない床。吹き抜けの階段を上がると、居間が下に見えた。青系で整えられた無機質な居間だった。くすんだ水色のソファーに青いクッション。床がぴかぴかに光っている。渚の部屋もきれいだった。元々きれい好きなのだそうで、ちり一つない。ベッドも机もわたしが使うものとは全く違っていて、金属のポールと白い板で作られていてお洒落だった。

「きれいなお家だねえ」

「そう?」

「わたし、こういう家に入るの初めて」

 汚さないか心配になってくる。けれど、渚は全く自慢する様子もなく笑っていた。両親が忙しいので時々家政婦さんが来るらしい。信じられない。でも、寂しそうな家だな、と思った。

「雪枝さんと会ってよかったよ。吸引力のある人だね。最初は変な人だと思ったけど」

 わたしはくすくす笑った。渚は雪枝さんとメールアドレスを交換していた。よほど好きになったらしい。渚はため息をつく。

「あたしも雪枝さんのお母さんみたいな人に会いたいな」

「わたしも」

「それに、親がすごいって、なかなか思えないの。忙しくて滅多にちゃんと会えないからね。でも、いつかわかるのかねえ」

 わたしは最近両親の優しさがわかってきたけれど、それは単に思春期が落ち着いてきたということだと思う。特別にすごいと思うことはまだない。わたしにも、そういう日が来るのかはよくわからない。でも、来ればいいなと思う。

 渚の本棚には訳の分からない題名の数学や物理や化学の教科書がたくさん並んでいた。本当に努力して夢に向かっているのだなと思う。渚は、すごい。今尊敬できる人がいるとしたら、渚かもしれない。

「渚、わたし渚が夢を叶えられればいいなって思うよ」

「何? いきなり」

 渚は笑った。わたしは微笑み、何でもない、と答えた。

「岸のこと、多分渚ならどうにかなると思う。わたしだって拓人と元に戻れたし、渚と岸もそうなるよ」

 渚は微笑み、そう願ってる、とつぶやいた。

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