表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
52/156

美登里ちゃんの言葉

 教室の雰囲気は今日もひんやりしていた。久々の快晴で、教室には明るい日差しが差し込む。多少は暑いけれど、窓が開いているのでカーテンを揺らす風がわたしの席にまで届いて涼しかった。教室の席を半分ほど占めたクラスメイトたちは、めいめいに話をし、昨日やり損ねた課題に取り組み、朝食を食べ、小テストの勉強をしていた。今日は何となく早く登校してしまった。もし教室の居心地が悪ければ篠原たちのクラスに行けばいいと思っていたのだが、ぐずぐずと動かずぼんやりしていた。

 目の前に美登里ちゃんが現れた。通り過ぎるのだろうと思っていたら、わたしのほうを向いて「おはよう」と言った。びっくりした。美登里ちゃんは色白の丸顔をぎこちなく微笑ませて、わたしを見ていた。

「おはよう」

 わたしは探るように返事をした。周りの女子は静まり返ってわたしたちを見ている。レイカが誰かにつつかれてこちらを見たのがわかった。彼女はかすかに顔をしかめていた。明らかに美登里ちゃんはレイカの意に沿わないことをしたのだ。美登里ちゃんは大丈夫なのだろうかと不安になった。

「歌子ちゃん、珍しく早いね。どうしたの?」

 美登里ちゃんが訊いた。彼女の表情が強ばっているので、勇気をもって話しかけてくれたのだとわかった。どうしてこんなことをしてくれるのかわからない。美登里ちゃんはわたしを真っ先に無視したのだ。けれど、この勇気に応えなければと思って、わたしは笑顔になって答えた。

「今日、お父さんが朝早くてさ。ばたばたしてるからわたしまで目が覚めちゃって、一緒に家を出たんだ」

「そうなんだ。そういえば歌子ちゃんの家って何回か行ったことあるけど、お父さんに会ったことないなあ。どんな人?」

「恰幅がよくて、やたら明るい。鬱陶しいくらい」

 力を込めて言うと、美登里ちゃんがくすくす笑った。いつの間にか彼女は自然な笑みになっていたので、ほっとする。

「美登里ちゃんの家は遠いから行ったことないけど、どんな感じ?」

「普通だよ。小さなマンションに、両親と姉と四人暮らしの。あ、セキセイインコ飼ってること、前に言ったっけ?」

 初耳だった。興味があるので先を促す。

「青いセキセイインコで、そらっていうの。かわいいよ。わたしのことが真剣に好きみたい。家に帰ると大騒ぎだよ」

「へえ、いいな。わたしも動物に好かれたい」

 それも真剣に、と強調すると、美登里ちゃんはあははと笑った。教室の雰囲気は元に戻っていた。わたしたちはそれに溶け込んでいた。そこに田中先生が来て、同時にチャイムが鳴った。ホームルームが始まるため、わたしたちは手を振って別れた。ホームルームの間中、わたしは考えごとをしていた。美登里ちゃんはどうしていきなりわたしに話しかけてきたのだろう。それに美登里ちゃんと噂話抜きで話をするなんて滅多にないことだ。でも、結構楽しかった。わたしはいつもより幸せな気分で教室にいた。


     *


 今日も学校の時間は忙しく過ぎ去り、放課後になった。わたしは帰る準備をしていた。そこに再び美登里ちゃんがやってきて、「帰るの?」と言った。わたしはうなずく。

「最近雨宮さんと仲いいよね。雨宮さんと帰るの?」

「うん」

「そっか。あの、その前に言いたいことがあるんだ」

「何?」

「無視してごめんね」

 わたしは美登里ちゃんの顔をまじまじと見た。美登里ちゃんは、不安そうに唇を結んでいた。わたしは彼女を教室の外に連れ出した。教室はまだ人で充満していたからだ。

「どうしていきなり?」

 わたしは驚いていた。彼女がわたしと親しくしようとするだけでなく、謝ったことに。この間レイカが謝ったときとは違って本気だと感じた。そこまでする理由なんて彼女にはないのではないだろうか。わたしのことを放っておけば、彼女は安全なのだから。彼女は答えた。

「初めから、すごく心が痛んでた。無視なんてしたくなかった。臆病だから、してしまったけどね。それからずっと歌子ちゃんを見るたび辛かった。……あのね、わたしがバスケ部を辞めたのは、いじめに遭ったからなんだ。自分がされたことと同じことをするなんて、すごく馬鹿で残酷だと思った。本当にごめん」

 わたしは彼女の顔をじっと見詰めていた。彼女は勇気を振り絞っているのだとわかった。

「昨日、雨宮さんが原さんに堂々と『歌子の味方する』って言ったとき、羨ましくて仕方なかった。わたしもああいう風に堂々と間違ってることを間違ってるって言えたらって思った。だから声をかけてみたんだ」

 わたしは嬉しかった。彼女も本気でわたしの味方をしようとしてくれているとわかったから。

「坂本さんに声をかけた歌子ちゃんのことも、すごいと思ってた。わたしなら絶対できないって。でも、無視しちゃった。わたしは弱いから、本当は何が正しいかわかってても間違ったことをしてしまうんだよね。噂話ばっかりするのだって、沈黙が怖いから、他人が知らないことを言って優位に立ちたいからっていうのがあるし」

 もちろん、興味があるからっていうのもあるけど、と美登里ちゃんは少し笑った。

「わたしは、臆病だけど歌子ちゃんの味方をしたい。いいかな」

 上目遣いの美登里ちゃんに、わたしは満面の笑みで答えた。

「うん、ありがとう」

 わたしは美登里ちゃんを大袈裟に抱きしめた。離れてから彼女を見ると、美登里ちゃんはどぎまぎしたようにわたしを見、にっこり笑った。


     *


 次の日から、わたしは再び美登里ちゃんと親しくするようになった。彼女は特にレイカの周りの女子から冷たくされるようになったけれど、はっきりとレイカの標的にされたわけではなく、親しい友達は仲良くしてくれているようでわたしはほっとした。同時に、レイカは他の女子よりもよほどわたしに苛立つのだなと実感する。彼女と袂を分かったのは当然の成り行きかもしれない。

 わたしは移動教室のための移動の中、美登里ちゃんと話をしていた。彼女が昨日噂話をしなかったのは、真剣さを伝えるためだったらしい。「ごめんね。噂話が好きなのはやめられない」と言って、芸能人から周囲の生徒までの、様々な噂話を披露した。わたしは彼女の噂話が白いものに変わっているのに気づいた。かすかな毒を含んでいるのは相変わらずだけれど、悪い話がほとんどない。わたしは以前より気楽に、彼女の話に相槌を打った。わたしも自分が噂話に対して潔癖だと感じていたから、少し警戒を緩めていた。誰と誰がつき合っていて、誰と誰が別れたかなんて、多少のお節介と残酷さは人間である以上仕方がないのだし、その場限りで楽しんでしまえばいいのだと思った。

「そういえば、舞ちゃんとはどうしてる? あまり一緒のところを見ないけど」

 生物の教室に着いたときにわたしが言うと、美登里ちゃんはわたしの席に一緒に向かいながら気まずそうに笑った。わたしは椅子に座り、彼女も隣の椅子に座った。

「実は、歌子ちゃんとご飯を食べなくなってすぐに、仲良くするのをやめたんだ」

「え」

「最初から気が合わなかったからさ。舞ちゃんはわたしのこと、好きじゃなかったみたいだし」

「そっか」

 わたしは友情というものがいかに形だけのものであるのかを考えた。わたしは舞ちゃんも美登里ちゃんも好きだと思っていたつもりだが、本当は違うのかもしれない。今美登里ちゃんには感謝と友情を感じているが、以前は違ったのかもしれない。一人になりたくないから友達ごっこをしていただけなのかもしれない。少し虚しかった。

「今は別の子と食べてるんだ。歌子ちゃんも一緒に食べない?」

 美登里ちゃんが訊く。わたしは少し考え、首を振った。

「これまで通り、購買部の前で食べるよ」

 美登里ちゃんは残念そうにわたしを見たが、次の瞬間にはにっこり笑い、

「篠原君と一緒に食べてるの?」

 と訊いた。わたしはうなずき、

「篠原と岸と渚。何というかこの三人と集まることは、やめたくないんだ」

 と笑った。この三人に感じる親しみは、本物だと感じていた。わたしは、昼休みになったら三人に美登里ちゃんの話をしよう、と思った。教室に仲間が増えたと知れば、三人とも喜んでくれるだろう。

 今日もお昼が楽しみだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ