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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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冷たい教室と大切な友達

 曇っているけれど、今日のわたしはとても浮かれている。篠原との最初のキスは、不意打ちだったせいかわたしの中にいつまでも残らず、そのあとも普段通りに過ごすことができたが、昨日のキスは少し違った。篠原と深いところで繋がることができた気がしたのだ。わたしは朝起きたときから目が冴えていたし、学校に行きながら篠原のことばかり考えていた。昼に会うのが楽しみであり、何だか怖い感じもした。もしかして、会話ができなくなったりして、などと考えながら、教室の扉を開いた。人がたくさん入っている教室は、今日もひんやりと冷たくわたしを跳ね返した。浮かれ気分は吹っ飛んだ。

 自分の席に向かう。わたしの席が教室の真ん中であることが、わたしの居心地を悪くさせていた。たくさんの生徒を避けなければならないし、レイカの席も近いからだ。レイカはいつものようにたくさんの友達に囲まれて、おしゃべりをしていた。

 今年は男子の友達もあまりできなかったなあ、と思う。机の周りは女子が多いので、自然と仲良くなった男子がいなかった。男子はレイカの意志通りに動かないので、彼らと親しくすれば居心地がよくなるかもしれない。けれど、去年の不愉快なメールの内容を思い出し、それができないでいた。

 ぼんやりと黒板を見詰めていると、誰かが視界の中に入ってきた。美登里ちゃんだった。彼女はわたしをちらりと見て、また目を逸らして他の女子のところに行った。

 どやどやと、部活の朝練習組が教室に入ってきた。拓人もその中にいる。彼は真っ先にわたしのところに来て、新しい汗の匂いをさせながら声をかけた。この教室で声をかけられることなど滅多にないので、わたしは何だかびっくりした。

「歌子、皆で遊びに行くって言ったの、覚えてる?」

「覚えてるよ」

 わたしはにっこりと笑う。拓人も同じ笑みだ。

「今度の日曜の午後、遊園地行こう。いい?」

「いいよ」

 わたしが答えると、拓人は楽しそうに笑い、去っていった。わたしは何だか久しぶりに教室で楽しい気分になった。


     *


 放課後、帰宅部だけが残っている教室で、わたしは渚を待っていた。渚は放課後にまで課題をやらなければならないほど溜め込んでいたらしい。一度二組に行ったけれど、少し待ってと懇願された。わたしはちょうどレイカがいないようなので、教室でぼんやりしていた。今日も渚は家に来るのだ。教室には美登里ちゃんがいた。新しい友達とにぎやかに話をしている。

「歌子、お待たせ!」

 渚が満面の笑みで教室に入ってきた。わたしが椅子から立ち上がると、渚はわたしを正面からぎゅっと抱きしめた。渚は少々行動が大袈裟だ。昼休みに会ったばかりなのに十年ぶりの再会みたいにわたしを見て喜ぶ。それなりに嬉しいので、やめるように言ったりはしないけれど。渚は背が高いので、まるで男の子に抱きしめられたみたいにわたしの顔は埋もれる。

「今日は頑張ろうね。漫画読まないようにしてね」

 体を離してからわたしが言うと、渚はこっくりとうなずいて答える。

「うん! 今日はちゃんとやる。そして文系科目でも篠原を追い抜く」

「えっ、そんなこと思ってたの」

「うん。勉強を教わってるから篠原には恩を感じてはいるけど、やっぱりこの世は弱肉強食だからさあ」

 わたしは意外にしたたかな渚が面白くて、笑い声を上げた。渚は頭がいいのは確かなので、きちんと勉強すれば篠原にも追いつくかもしれない。今まで文系科目の成績が低かったのは真面目にやっていなかったからなのだ。でもその場合、わたしは篠原と渚のどちらを応援すればいいのか悩む。

 わたしと渚は夢中で話をしていたから、教室にレイカが入ってきたことに気づかなかった。初めに気づいたのはわたしで、表情が変わったわたしに渚が気づいた。レイカはつかつかとこちらにやってきて、渚の名前を呼んだ。渚はわたしが驚くほど冷ややかな目でレイカを見た。レイカは渚を見上げて不機嫌な声で言った。

「わたしの教室には入ってくんなって言ったじゃん」

「は? いつここがあんただけの教室になったの」

 渚は静かにそう返した。レイカは苛立ちで顔を歪めた。

「余り者同士仲良くできてよかったね。楽しい?」

「楽しいよ。あんたと話すときよりずっと」

 レイカは怒りで膨らんだように見えた。渚はかすかに笑い、言った。

「あんたのやることって中学時代から変わってないね。あんたは気に食わないことがあったら自分一人で解決するんじゃなくて、周りにしつこく頼ってようやく気分を晴らせるっていうだけの幼稚な人間だもんね。未だに一人で学校のトイレにも行けない。成長してないとしか思えない。今だって、誰かが自分に加勢してくれるのを期待してきょろきょろしてる。でも残念だね。そんな気配はない」

 美登里ちゃんたちはわたしたちを窺いながら不安そうに顔を見合わせているだけだった。もっとも、彼女たちはレイカとはあまりつき合いがないからそんなことをするほうが不自然なのだが。レイカは顔を真っ赤にしていたが、

考えを巡らせているのか何も言わない。

「歌子のこと、クラス中の女子に無視させてるのは知ってた。理由は知らないけどくだらない理由だろうね。あのね、ここで言っとく。あたしはあんたにお構いなしに歌子に味方する。あたしはあんたより孤独に耐えてる歌子のほうが、勇気があって強い人間だと思うし、ずっと素敵だと思うから」

「うるさい! 人の男を取るようなビッチに言われたくない。歌子、こいつあんたの篠原も取るよ。それでもいいなら仲良くしてなよ」

 レイカは勝ち誇ったような笑みを浮かべてわたしと渚の顔を見た。わたしも渚を見たけれど、渚は相変わらず冷笑を浮かべているだけで、動揺する様子はなかった。

「あんたはいつも論点をずらすよね。あたしは歌子の味方するって話をしてんの。その話、何の関係があるの? もしかしてあたしを傷つけることができると思って言ったの? 嘘と憶測で話を逸らそうとしても無駄だからね。あんたは幼稚だし、あたしは歌子の味方をする。それを覆すようなこと、言えてないじゃん」

「嘘じゃない」

 レイカが敵意剥き出しで渚をにらんだ。この間のように胸ぐらを掴むような真似はしなかった。人目があるからだろう。レイカはわたしを見て甲高い声で言った。

「歌子、あんた絶対取られるからね。絶対!」

「いい加減にしなよ」

 渚が静かに怒りをにじませた。レイカは一瞬ひるみ、渚を再びにらんでから勢いよく歩きだした。机のフックに下がった鞄を手に取ると、「ああ馬鹿馬鹿しい」と叫んでから教室を出ていった。今や教室は静まり返っていた。美登里ちゃんとその友達は呆然と互いを見合わせていた。渚は、ははっ、と乾いた声で笑う。

「馬鹿馬鹿しいのはあんたの言動だろ」

 わたしはしばらく何も言わずに黙っていたが、そっと渚を見上げて彼女の目を見た。彼女はわたしを見下ろして微笑んでいて、あの冷たい雰囲気は気配すらなかった。

「渚、ありがとう」

「えー? 何が?」

「わたしのために喧嘩してくれたんだよね」

「うん。というか個人的にムカついてたから。レイカは誰かしらを憎んでなきゃ生きてけないんだよね。敵を早く発見して包囲網を張って、ようやく安心するタイプ。昔っからそう。それに歌子が巻き添えを食らってるなんて、腹立つでしょ」

 わたしはほうっとため息をついた。先程までの緊張感で、体が強ばっていたのだ。そして嬉しかった。こんなにも目一杯自分に味方してくれる友達なんていなかったから。わたしはこれから渚に頭が上がりそうにない。

「もう学校出ようよ。勉強する時間がなくなるよ」

 渚がいつもの元気一杯の笑顔でわたしの後ろに回って背中を押した。わたしは笑いながらそれに従った。美登里ちゃんたちがわたしたちを見ていたが、気にせず教室を出た。おしゃべりをしながら下校する。篠原を取られる、と言われたことが気になりはしたけれど、すぐに忘れた。彼女はわたしの大切な友達だった。

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