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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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岸君の好きな人

 翌週から中間試験が始まった。わたしは苦手科目をいくつもこなし、くたくたになりながら日々を過ごした。試験の日は篠原に会わないことにした。無駄なおしゃべりをして点数が落ちてしまう気がした。その場合、わたしの点数が落ちても篠原の点数は落ちないだろう。それが悔しいのでわたしは教室で孤独に試験のみをこなす機械になった。

 レイカは試験が一つ終わるたびにうめきながら机に突っ伏した。わたしは内心喜びながら、どうか全ての教科でレイカを遙かに上回っていますようにと意地の悪い願い事をした。

 試験は昼までで終わってしまうので、わたしは昼休みに篠原たちとお弁当を食べることはなかった。


     *


 岸君を含め三人でお弁当を食べる。これは何となく当たり前のようになってしまった。岸君と篠原は息が合っている。いいコンビで、岸君がふざけると篠原が冷静に訂正したり突っ込んだりして楽しそうだ。わたしは二人のショウのお客のようなもので、特に岸君はわたしが笑えば笑うほどふざけ方に気合いが入るようだった。篠原は、めんどくさいな、と呆れつつも相手をしている。

「岸君って、面白いねえ」

 わたしが言うと、岸君はにっこり笑った。篠原は疲れたように、

「滑ってばかりだよ。ちっとも面白くない」

 と言う。岸君が「またまた、ご冗談を」と笑いながら篠原の肩を叩く。篠原が身をよじってその手から逃げる。

「岸君って、篠原が大好きだね。彼女いる?」

 わたしの質問に、岸君が笑った。

「変な訊き方」

「ああ、わたしが言った好きっていうのは特別な意味でって意味じゃないよ」

「わかってる、わかってる。しかし町田さんは微妙な問題をずばっと訊いてくるなあ」

 わたしはまたやってしまったことにぎくりとしながらも、岸君が全く構っていないようなので気にしないことにした。篠原は岸君の出方を待っているのか、黙って彼を見ながらジャムパンをかじっている。

「彼女はいない」

「そうなんだ。でももてるでしょ?」

「いや全然」

 篠原が静かに口を挟んでにやりと笑う。岸君は威圧感のある笑みを篠原に向けてからぱっとわたしを見る。

「もてない」

「そうなんだ」

「何その、納得ーみたいな言い方」

「そんな意味はないけど、岸君は性格と見た目にギャップがあるから」

「顔が濃いからな」

 篠原がまたずばりと言った。岸君はあの笑みを再び篠原に向け、

「ギャップ?」

 とわたしに訊いた。

「何か、大河ドラマの俳優みたいな見た目なのに中身が伴ってないというか……」

「はっきり言うね」

「でも好きな女の子はいるんでしょ?」

 岸君の表情が変わった。急に真顔になり、少し赤くなったのだ。篠原がじっとそれを見て、

「岸、ばればれ」

 と言った。岸君は慌てたように篠原を見て、え? と聞き返しながら笑った。わたしにもすぐわかった。岸君は好きな女の子がいるのだ。

「誰?」

「え? 何が?」

 しらを切る気らしい。先程の質問自体なかったことにされている。わたしはいつもふざけていても冷静な岸君が慌てているので、是非ともそれが誰なのか聞きたくなってきた。学年の特別かわいい女の子たちの名前を頭の中に並べ、考える。

「もしかして、六組の――」

 岸君の視線がわたしの背後に移った。わたしはどうしたのだろうと振り向いた。そこには渚がしょんぼりと立っていた。彼女は勇気を振り絞るような表情で、篠原の横顔に声をかけた。

「篠原」

 篠原が渚に振り向く。渚は唇を開いてしばらく黙り、わたしたちが見守っている中、「ごめん」と頭を下げた。

「言いすぎた。ごめん。自分の中で、篠原を単純にイメージしてた。話したこともないのに、思いこみで勝手なこと言ってごめん」

 渚は本当に反省しているようだった。この間篠原を攻撃していたのが嘘のようだ。目を伏せ、手をだらんと下げ、あのときの元気はない。わたしは篠原を見た。篠原はじっと彼女を見たあと、「いいよ」とため息をついた。渚はほっとしたように強ばっていた表情を緩めた。考えていたより素直な性格なのかもしれないな、とわたしは思った。

「じゃあね。それを言いに来ただけ」

 渚はわたしたちのところから去ろうとした。わたしはそれを呼びとめた。

「渚、ご飯は誰かと一緒?」

 渚は振り向いて首を振った。

「なら、一緒に食べようよ」

 また、勝手なことをしてしまった。けれど、篠原や岸君がこんなことで怒るとは思えないし、こんなに人だらけの学校で一人で食べるのはわびしいとわたしは知っているので、そうしてしまったのだ。渚が篠原のほうを見る。篠原はパンをくわえながら、「いいんじゃないの」と言った。途端に渚の顔がぱっと明るくなる。彼女は急いで二組のほうに走ると、あの藍色のお弁当袋を下げてやってきた。わたしと岸君の間の席に座ると、嬉しそうにお弁当を広げた。

「今ね、岸君の好きな女の子の話してたんだ」

 わたしが言うと、渚はへえ、と岸君の顔を見た。岸君は狼狽しながら指を唇の前に立てる。

「岸って大河ドラマの俳優みたいな顔だよね。前々から思ってた」

 渚が微笑むと、岸君はにやにや笑った。鼻の下が伸びている。まさか、と思った。けれど、この場合は渚に思ったことを悟られてはいけないと思うので、わたしは何食わぬ顔で会話に加わった。

「それ、わたしもさっき言った」

「やっぱり皆思うんだ」

 渚が笑った。渚はとんでもない美人だが、それに無自覚であるかのように思い切り歯を見せてにっと笑う。女子らしくないのは、結構魅力だなと思う。

「それにしてもさ、この間の続きみたいで申し訳ないけど」

 渚がわたしのお弁当をじっと見た。

「すごくきれいだよね、弁当」

「ありがとう」

 わたしは嬉しくてにっこり笑った。母のお弁当は、甘やかされていることの象徴のようで恥ずかしくもあるし、愛されている証拠のようで誇らしくもある。

「あたしは自分で作ってるからいつも適当だよ」

 渚のお弁当は、ご飯とミニトマトと卵焼きと冷凍食品の唐揚げだけだった。

「自分で作ってるの?」

「そう。料理、全然得意じゃないんだけど」

 両親が共働きらしい。わたしなんか、家庭科の授業以外では作ったこともないので感心してしまう。

「そうだ。篠原は料理得意だよね」

 わたしはふと思い出して篠原を見た。篠原はパンを食べ終わり、わたしたちの会話をただ聞いていた。急に話を振られたことに驚いたようにきょとんとすると、少し考えてから、

「得意ってほどでもないよ」

 と言った。それからつけ加える。

「まあ普通」

「おれ、篠原の料理食べたことあるよ。炒飯だったかな」

 岸君が会話に入ってきた。

「まあ普通」

「お前は褒めとけよ」

 すかさず篠原が岸君に突っ込んだ。わたしはくすくす笑う。渚が不思議そうに篠原を見る。

「炒飯は得意料理なんだから」

「一緒に出された麦茶が一番うまかった」

「それ、けなしたつもりか? 麦茶を煮たのもおれだよ」

 岸君が、あ、という顔をする。わたしたちはげらげら笑った。おかしくて楽しくて、初めて四人が一つに溶け合った気がした。渚は笑いながら、

「岸って、外見と中身が伴ってないね」

 と言う。岸君が残念そうに苦笑いする。

「あと、篠原って意外にしゃべるね。もっと無口だと思ってた」

 篠原がきょとん、と渚を見る。わたしは渚のほうを向く。

「わたしもここ数ヶ月で気づいた。篠原って意外としゃべるじゃんって」

「そうなの?」

 渚はまた声を上げて笑った。篠原は不本意そうに口を尖らせているが、岸君が先に発言した。

「こいつ、人見知りだからさ。特に女子が苦手なんだって」

「また余計なことを」

 篠原が冗談っぽく岸君をにらんだ。わたしは、そうだったんだ、と妙に感心していた。でも、渚の前では結構短期間で素を出したな、と思う。一度喧嘩したから、それで心を開いたのかもしれない。わたしたちは先程の笑いを引きずりながら、どうでもいい話をした。渚は男の子のような口調で鋭く大胆に切り込んでくるからどきりとすることはあったけれど、結構好きになってきた。

「そうだ。数学の試験でさ、問題一つ一つに『ただし、授業で扱った範囲内の数式を使って解くこと』ってあったでしょ? あれ何だったのかな」

 わたしが気になっていたことを訊くと、渚がああ、と笑った。

「あたしへの対策だよ」

「どういうこと?」

「あたしがこの先教わる数式や大学数学を使って問題を解くことがあるから警戒してんの。別にいいじゃんね。回答が正解なら。試験の意味がないから駄目だって先生が言うんだけど、無視してたらとうとう問題用紙に書かれちゃった」

 わたしはとても驚いた。自力で大学の勉強をしている渚に。だって、わたしは得意教科であっても自分で先のほうをやるなんて無理だ。

「アインシュタインになりたいから?」

 わたしは訊く。篠原と岸君は聞き役に回っている。渚はうなずく。

「なりたい。というかね、天才になりたい」

「もう天才じゃん」

「どこが?」

「わたしたちよりずっと先のことを理解してる」

 渚は笑い、

「あたしが知ってることは、たくさんの人が知ってる。あたしは誰も知らないことを一番先に知りたいし、何かを成したい。大学を卒業して、結果を残せる研究者になりたいんだ」

 わたしは唖然として渚を見た。夢の話をしている渚は、とても輝いて、特にきれいに見えたからだ。羨ましかった。そういえばわたしには夢がなかった。篠原にあんなことを言っておきながら、わたしは自分が本当に生きていないような気がしていた。

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