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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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篠原の勉強法

 金曜の放課後、わたしはあの喫茶店で篠原に会った。ここ数日はずっと勉強をしていたのだが、理系科目、特に数学が危ないと感じていた。だから篠原に教えてもらおうと思ったのだ。

 篠原の教え方は上手い。わたしの思考回路を完全に掌握しているかのようだ。高校数学の基本中の基本、因数分解が下手なわたしに、こつを教えてくれる。数字を見たら、その倍数と約数を見つける癖をつければいいと言うのだ。漠然としか数字を見ないわたしは、多少の訓練が必要ということらしい。

「篠原はやってるの?」

 わたしが訊くと、篠原は「たまに」と答える。数学は見方を変えれば単純なものであるらしい。例えば地球の重力を表した数式も、美しいくらいシンプルだというのだ。

「まあ物理の教科書の受け売りだけど」

 篠原は物理を選択したらしい。わたしの学校は二年生からは物理か生物が選択できるようになるのだが、わたしは計算と数式から逃れるため、生物を選択した。

「篠原は頭がいいなあ」

 わたしが嘆息すると、篠原はかぶりを振った。勉強ができる人やきれいな人を褒めると、必ずこういう態度が返ってくる。スポーツが得意な人を褒めたら素直に嬉しそうにされるので、どういった訳なのか不思議に思う。

「篠原ってさ、授業中寝ないよね。あれはどうして?」

 寝ている人も多いので、わたしはいつも不思議に思っていた。篠原はできるので、授業自体必要ないと思っていたのだ。篠原はうなずき、

「家で勉強しなくていいようにだよ」

 と言った。わたしは目を丸くした。篠原はちょっと笑う。

「先生たちは授業の内容から試験問題を出すだろ? なら授業聞いとけば試験はぐっと簡単になるよ」

 へえ、とわたしは身を乗り出した。いいことを聞いた。これから実践しようと思うけれど、寝てしまいそうな気もする。

「あとは教科書見れば完璧」

「嘘だ!」

 わたしの大声で、喫茶店の店長夫婦がわたしたちを見た。お客はわたしたち以外には二組しかいないので、静かだったのだ。わたしは再び声をひそめる。

「それだけじゃ無理だよ。塾とか、自分で買った参考書とか」

 わたしが言うと、篠原は笑った。

「そういうの、余計な知識が入るからおれはやらないよ」

 つまり、篠原は家であまり勉強しないし、授業を聞いて教科書を読むだけで学年一位を維持しているのだ。全く、気が遠くなる。

「模試はどうしてるの? 上位だって聞くけど」

 篠原は考え込む。

「おれ、順位低いよ。あんまり褒められた成績じゃない」

「嘘だよ」

「本当だよ。勉強は最低限しかしてないから学校ではよくても模試では全然駄目。応用問題が多いから」

「そっか」

 とは言っても彼の全国での成績は相当上だと聞く。うちの学校の学年一位なら充分なくらいだ。羨ましいものだ。

「だから、雨宮の言ったことは当たってるんだよな」

「え?」

「頑張ってないってこと」

 篠原はちょっと悲しそうに笑った。わたしは首を大きく横に振る。

「篠原は頑張ってるよ」

「一生懸命生きてるっていうのも、本当は疑問だな。剣道やめちゃったし、書道部はさぼるし」

「それは家の仕事があるからでしょ?」

「そうだけど」

 篠原は考え込む。

「雨宮の言ったこと、母親そっくり。お陰で怒りが二倍になった。でも、どこかでそうだなって思った。勉強はそんなに好きじゃないんだ。目標もない。理系を選んだのは、文系と違ってどっちの系統の大学にも入りやすくなるからってだけ」

 嘘だ、とわたしは思う。理系を選んだ理由を、篠原は以前も隠そうとしていた。でも、わたしはそのことを蒸し返さず、こう言った。

「わたしは篠原が一生懸命ちゃんと生きてるって思うよ。だからわたしは篠原のこと好きなんだよ。生きてない人間を好きになれるわけないでしょ」

 篠原は無表情になり、次にちょっと泣きそうな顔をした。それから、一言つぶやいた。

「ありがとう」

 わたしは微笑んだ。篠原は、がんじがらめになっているだけだと思う。家事をして、弟の世話をして、両親のことで悩んで、好きなこともできなくて、身動きが取れないのだ。できることならば、わたしは篠原を自由にしてあげたい。けれど無力なわたしには、こうして言葉で篠原を勇気づけることしかできないのだった。

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