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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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出来事の終わり

 その日の午前中の体育の時間、坂本さんは準備運動の時点で余っていた。外はかんかん照りで、日焼けが心配なくらい暑かった。二クラスの女子が一纏まりになった中、坂本さんはぽつりとはみ出していた。わたしは彼女をじっと見た。とても不安そうで、泣きそうな顔をしている。体育教師は坂本さんに早く誰かと組むように言うばかりだ。別のクラスの女子はもう余っていなくて、彼女は自分のクラスメイトと組むしかなかった。

「歌子ちゃん、早く誰かと組まないと、坂本さんと組まされるよ」

 舞ちゃんが言う。舞ちゃんはわたしにレイカが意図するとおりにするべきだと説いたことがある。わたしが坂本さんを気にしてばかりいるからだろう。わたしは舞ちゃんを美登里ちゃんと組ませて、二人一組の相手を探していた。

 レイカが視界に入った。彼女は友達と楽しそうにふざけあっていた。

 わたしは歩いて、坂本さんのところに行った。できるだけさりげなく言う。

「準備運動、組んでくれない?」

 坂本さんは驚いていた。それからこっくりとうなずき、地面に座ったわたしの背中を押して、柔軟体操を手伝ってくれた。

 レイカがわたしを見ていた。その他の女子の視線が少し気になった。体育教師の手前、誰も何も言わなかったが、わたしが決定的なことをやったのは明らかだった。

 わたしは坂本さんのことが好きだというわけではないけれど、喧嘩をしたわけでもなく、レイカに対して彼女がやったことを知ることもなく、彼女を孤立させるのに加わるのは納得が行かなかった。これからわたしはレイカに孤立させられるだろうけれど、人を苦しめて自分に嫌悪感を持ちたくはなかった。ただ、それだけ。

 篠原の話を思い出す。わたしは自分が苦しまないほうを選んだと思う。

 恐かった。でも、同時に安心した。


     *


 坂本さんに構ったからすぐに無視される、ということはなかった。レイカはわたしに猶予期間を与えた。二日ほどは以前のようにレイカがわたしに話しかけてきたので、そうなのだと思う。

 坂本さんは、おずおずとわたしに話しかけてくるようになった。わたしは彼女と普通に会話した。彼女は話してみれば面白い子だった。気が合うというほどではないけれど、それなりに話は合った。

 けれど、坂本さんと仲良くすればするほど周囲がわたしから離れていくのをひしひしと感じた。二人で離れ小島にいるようだった。舞ちゃんと美登里ちゃんはわたしを避けるようになった。美登里ちゃんについては予想がついていたけれど、舞ちゃんに無視されたのには衝撃を受けた。挨拶をしたら、すっと視線を外されたのだ。家で少し泣いた。彼女はわたしを友達のリストから外したのだなと思ったから。でも、よく考えれば彼女はわたしに度々警告をしていた。逆らったのはわたしだった。あーあ、と思った。

 木曜日の放課後、レイカは冷笑しながらわたしを呼んだ。わたしは飼い犬のようではなく独立した人間として彼女のところに行った。レイカは三人の友達と一緒だった。

「歌子」

「何?」

「あんたわたしのこと嫌いでしょ」

 レイカはわたしに訊いた。周りにいるレイカの仲間は動揺しつつもわたしたちの動向を見ていた。わたしは微笑んだ。そして答えた。

「嫌いだよ」

 レイカは憮然としてわたしをにらんだ。どうやらわたしが怯えながら否定するのを期待していたらしい。レイカの友達はわたしが何か失態を演じたかのように、黙ったまま目を見合わせた。

「あっそ。じゃあ、帰っていいよ」

「うん。じゃあね」

 わたしは自分の席に戻ると、鞄を手に取って教室を出た。言えてすっきりした。このあと、どうなってもいい。それくらいの爽快感だった。わたしは高揚した気分で帰った。

 次の日、わたしのそばには誰もいなかった。坂本さんはレイカの仲間に戻っていた。レイカはわたしを無視した。坂本さんも。レイカの支配下にいる女子のすべてがそうした。レイカがわたしに下した罰の理由は、わたしが彼女に逆らったということだろう。くだらない。でも、以前と同じだ。結局、わたしが一人に戻っただけだ。


     *


 雪枝さんの顔が思い浮かんだ。彼女はわたしのピンチにはすぐ駆けつけると言ってくれた。でも、ピンチというほどではないように思う。わたしは諦観していたから。

 拓人に話してみようかな、とも思った。でも、片桐さんが気にするだろうと考えてやめた。

 中村先生は、いてくれるだけでいいと思う。わたしは雪枝さん以外の大人に自分の悩みを打ち明けなくなっていた。先生は気づいてくれる。でも、それだけで満足だ。

 結局、わたしは篠原に相談した。篠原は、「そっか」と言い、「昼飯、しばらく一緒に食べようか」と微笑んだ。日曜日、わたしたちは学校近くの河川敷の階段に並んで座り、話していた。目の前には清川が流れている。蜂が勢いよく飛び回ったり、黒い揚羽蝶が植えられた花に吸いついていたりした。

「わたしって、社会に適応できない人間だね」

 わたしが言うと、篠原は「そうでもないよ」と否定した。

「学校が社会そのものかというとそうでもないだろ。学校でうまくやれなくてもその外ではうまくやれるかもしれないよ」

「そうだといいけど」

 わたしは清川の流れをじっと見た。川の水みたいに、友人関係が流動的に流れていくことを思った。わたしは勢いがある中で、何も掴めずにただ流れているだけではないかと感じた。

「全然悲しくないんだよね。自分で選んだ道だし、もう諦めちゃってるからただ虚しいだけ。一匹狼でいるしかないかも」

「狼」

 篠原は吹き出した。わたしは篠原をにらむ。わたしは真剣な話をしていたのに。篠原は笑いながら謝る。

「いや、似合わないなと思ってさ」

「狼が?」

「うん」

 わたしは唇を突き出して不満を表す。

「いいよね、篠原は。岸君と親友だもんね」

「ただの腐れ縁だよ」

 篠原は何でもないことのように手をひらひらさせる。わたしはそれが憎らしい。

「わたしだって学校に親友がほしい」

「できるよ」

 篠原は当たり前のように言う。雪枝さんもそう言っていたけれど、疑わしいものだ。

「あーあ」

 わたしは篠原に体を寄せて、もたれかかった。篠原の体が急激に硬直したのを感じる。わたしはお構いなしに篠原の腕に絡みつき、温かな体に密着した。制服のブレザーのときとは違い、薄いTシャツごしの篠原の体は厚いゴムのように弾力があった。

「町田、人がいる」

 篠原の強ばった声が聞こえる。確かに、小さな子供を連れた母親だとか、釣りをする老人などがぽつぽつといた。

「いいじゃん。わたしは篠原にくっつきたい気分なんだから。だってわたしは今傷心で……」

 視線を上げる間もなく、わたしは篠原に唇を塞がれていた。押しつけられるようなキスは、一瞬で終わった。篠原の唇の剥けた皮がわたしの唇を引っ掻いて、その感覚がやけにあとを引いた。

 わたしは篠原からぱっと離れた。しばらく下を向いたあと、

「もう大丈夫」

 とつぶやいて篠原を見た。篠原は顔を背けながら、

「ならよかった」

 と答えた。耳が真っ赤なので、顔がどうなっているのかは見るまでもなくわかった。

 篠原とキスしちゃった。わたしはそう思いながら、体の内側から興奮が湧き上がるのを感じた。

 大丈夫、大丈夫、とわたしは自分の中で繰り返す。篠原がいるのだから、頼れる人が他に誰もいなくても大丈夫だ。

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