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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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篠原の助言

 次の日の朝、わたしは早起きをした。両親が驚いている中、わたしは朝食をさっさと済ませ、大急ぎで準備をした。母がわたしを追いかけて玄関までついて来た。わたしに異変があるといつもこうだ。

「歌子ちゃん、どうしたの?」

「うーん、約束があるんだ」

「こんな朝早くに?」

「別のクラスの友達と話すことがあって」

「そう? 気をつけてね」

「うん」

 母の向こうに、居間から顔を覗かせる父が見えた。本当に心配性だな、と思う。でも、わたしは最近心配する両親に苛立たない。父はわたしが大人になりつつあることを認めてくれているし、母はわたしが可愛くて仕方がないのだ。そういうことを落ち着いて受けとめられるようになった。愛情を過剰に感じることは減った。

 両親に何か相談をする習慣は、だんだんなくなりつつあるように思う。二人がそれを寂しがっているのはひしひしと伝わる。けれどわたしは自分の体の命じるままにそうなっていっているのだ。わたしの子供のような体にも、思春期は訪れていたのだなとやっと実感する。

 ゴールデンウィークの最初の日に、舞ちゃんと一緒にブラジャーを買った。わたしの胸はAAカップではなくなっていた。やっとAカップだけど、大人に近づいた気がした。わたしが買ってきたものを見せると、母は「お母さんが一緒に行ってもよかったのに」と寂しそうな顔をした。わたしはむしろ、誇らしい気持ちでいたのだけれど。

 両親の心配を家に置き去りにして、わたしは学校に向かう。いつもとは違う、人の少ない通学路が気持ちよかった。


     *


「篠原ー、聞いて」

 わたしは篠原のクラスに入り込み、一人で小説を読んでいた篠原の前の席に座った。篠原はにっこりと微笑んで、本を閉じて身を乗り出した。

「原のこと?」

「うん」

 わたしは最近の出来事を放課後などに篠原に話していた。レイカに対する舞ちゃんや美登里ちゃんの反応は、「触らぬ神に祟りなし」そのもので、わたしの悩みを解消してくれるものではなかったからだ。レイカは仲のよくない二人にも、坂本さんへの「処罰」を強いた。レイカの力が及ぶ限りのクラスの女子が、彼女の個人的な苛立ちを晴らすために利用されていた。彼女たちはさりげなく坂本さんを避けた。物を隠したり罵声を浴びせたりすることはない。ただ静かに、彼女を孤立させた。協力しない女子は、きっとレイカから同じ目に遭わされただろうが、誰一人としてそんな選択をすることはなかった。皆、賢かった。

「わたしはね、別に坂本さんと仲良くない。でもね、自分がやられたことを人にしたくない。何というか、苦しい。自分で自分をいじめてるみたいだもん」

 篠原は、わたしの話をじっと聞いていた。何と答えるのかな、と思う。このところずっと篠原に相談をしているが、彼は答えを教えてくれることはなかった。ただ、真剣に聞いているだけ。今日も机の上に腕組みをして、考え込んでいた。

 ふと、篠原が口を開いた。

「町田はどうしたい?」

「わたしは……」

「おれは町田が自分の身を守るために前みたいなちょっと目立つことをやめるように言った。町田は窮屈そうだったけど、いつのまにかそれに慣れて自然にそうなってるように見えてほっとしてた。でも、窮屈だったかな」

 心配そうな篠原を見て、わたしは笑いながら答える。

「ちょっとね。わたしは今でも嬉しかったら男子だろうと女子だろうと抱きつきたいし、面白そうだと思ったらすぐにやりたいし、おかしなものを見つけたらその場で笑いたいと思うよ。子供っぽい自分も自分だし、そのまんまでいたいと思うよ。でもそれはそれで大変だったじゃない。嫌われやすくてさ。だったらわたしは皆と同じでいるよ。はみ出さないようにして、身を守るよ」

 篠原はまた考え込んだ。

「皆と同じか」

「うん」

「皆は本当に同じかな」

「え」

「皆、本当の自分を隠してるだけじゃないかな。町田みたいに、型からはみ出したり足りなかったりする自分を隠してるんじゃないかな。町田が嫌われやすかったのは、隠さない町田が羨ましかったからじゃないかな」

「そうかなあ」

「おれは羨ましかったよ。自由奔放で、そこがいいなと思ってた」

 篠原は照れくさそうに笑った。わたしは嬉しくなると同時に、意外に思って驚いていた。篠原がわたしを好きになった理由。

 篠原は続ける。

「皆、自由でいたいんだよ。自由でいる他人を見たら妬むくらい。自分を型にはめるかそうでないかは、自由のあり方を調節することだと思う。型にはまれば、人に認められてしたいことがしやすくなる。はまらなければ、心が解き放たれる。どっちを選ぶかなんだよ、多分」

「わたしはどっちを選ぶべきだと思う?」

 わたしは篠原の机に同じように腕組みをして、篠原を見上げる。顔が近づきすぎたのだろう、篠原は体を離すように椅子にもたれ、

「町田が選ぶんだよ」

 と答えた。わたしは顔を手で覆ってため息をついた。

「篠原はどんなわたしが好き?」

 目だけを指の間から覗かせると、篠原はまた机の上で腕組みをし、少し近いところで答えた。

「それは言いにくい」

「言ってよ」

「言いにくいけど、苦しんでほしくないって思うよ」

 わたしは篠原を見上げた。にっこり笑っていた。好きだなあと思った。

 ぽつりぽつりと人が増えてきていた。わたしと篠原が話すのを興味深げに見ている人もいる。わたしたちの会話は途中から控えめな声で交わされたが、見詰め合うことをやめなかった。

「わかった。自分で選ぶ」

 わたしは立ち上がった。気分はすっきりしていた。篠原はわたしを少し心配そうに見詰めたが、口元だけは笑みを浮かべてくれた。

「緊急時にはおれと弁当食べればいいよ。前みたいにさ」

 懐かしいな、と思った。あのころは篠原とお弁当を食べるのは、一人が居心地悪かったからというだけの理由だった。今は違う。

「頼りにしてるね。ありがとう」

 わたしは篠原に手を振り、自分のクラスに戻った。

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