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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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教室の異変

 教室に入ると、何かが変だった。クラスメイトは皆おしゃべりをしたり今日の授業の予習をしたりしている。いつものように。なのに、何かが違っていた。

 舞ちゃんは部活の朝練習でいなかったので、美登里ちゃんの席に行く。美登里ちゃんはちょっと不機嫌だった。柔和な顔立ちを皮肉に歪めて、いくつもの毒を吐く。いつもは表情だけはにこやかだったので、わたしは戸惑う。

「そういえば、この間のこと、少しわかったよ。雨宮さんが何かやったんだって」

「何かって?」

「知らないよ、その先は。歌子ちゃんは噂話なんて好きじゃないでしょ?」

 頬杖を突き、美登里ちゃんは唇の片方だけを上げた。一体何が彼女を不満にさせているのだろう。美登里ちゃんはそのまま教室の校庭側の窓際に顔を向けた。そこにはレイカとその新しい友達何人かが集まっていた。レイカがどうしたのだろう、と思っていたら、その中に坂本さんがいないことに気づいた。いつもはレイカに一番近いところにいたのに。坂本さんの席を見たら彼女はいて、机に突っ伏して座っていた。

「あーあ、めんどくさ」

 美登里ちゃんはつぶやく。わたしはやっと悟った。レイカの今度の標的は、坂本さんなのだなと。

 肩が重くなった。教室から逃げたい、と本気で思った。


     *


 午前中の授業がある間、わたしたちはこの事実を忘れていることができた。授業中は生徒同士が関わることは少ないし、十分休憩は予習で忙しいからだ。けれど、昼休みが来て皆がお弁当を広げ始めると、気まずさは強くなった。いつもはレイカたちと大所帯で昼食を取る坂本さんが、自分の席に座ってしょんぼりとお弁当を食べていたからだ。

 わたしが坂本さんをじっと見詰めていると、舞ちゃんから肩をつつかれた。

「見たら原さんたちににらまれるよ」

 舞ちゃんは平然と言う。まるで、坂本さんが何か別の不浄なものになってしまったかのように。わたしは去年の自分のことを思い出して胸が苦しくなった。わたしのことも、皆こういう風に見ていたのだなと思った。

「何で坂本さんは無視されてるの?」

 わたしが訊くと、舞ちゃんと美登里ちゃんは目を見合わせた。美登里ちゃんはにっこり笑って「わかんない」と答え、舞ちゃんは「わたしも知らない」と言った。わたしは胸がきりきり痛んだ。事情がどうあれ力のあるクラスメイトに仲間外れにされたらその人は突如として皆にとっての「不浄なもの」に変わってしまうのだなと思った。

 朝は「どうしてレイカとまた同じクラスになってしまったんだろう」とばかり考えていたけれど、レイカがいなくてもこういうことは起こりうるのだということがわかって、たまらなく辛かった。皆、身を守るために何でもするのだ。わたしも、しなければいけないのだ。

 去年の篠原の話を思い出した。あのときからわたしは自分の極端な部分を折り畳んで、普通の女子高生らしい振る舞いを心がけてきた。でも、今のこの状況で普通であるということは、理由もわからないのに坂本さんを無視するということだった。わたしは坂本さんに嫌われているから話す機会なんてないけれど、もしそういうことがあればやらなければならないのだ。

 放課後、美登里ちゃんは早めに帰るということなので篠原のところに行こうと思って準備をしていたら、レイカに話しかけられた。

「歌子、おいで」

 去年の夏休みの続きみたいに、にっこり笑って手招きされた。周りには二人のレイカの友達。わたしはレイカから逃げるため、言い訳をしようとした。

「わたし……」

「いいからおいで」

 強い口調だった。ぞっとしたわたしは体をすくませた。そこにレイカがやってきて、わたしの手首を掴んで黒板近くの彼女の席のほうへと連れて行った。なすすべもなく、わたしは会話に加わった。うなずいたり笑ったり、まるでレイカの取り巻きの一人のように振る舞った。

 話題はレイカの恋人の話だった。彼女には中学三年生のときからつき合っている恋人がいる。ヒデ君というあだ名の彼には、わたしも会ったことがある。去年は大学二年生だったので、今年は三年生だろう。茶髪でへらへらしていて、わたしは全く好きになれなかった。

「ヒデ君ね、わたしと結婚したいって」

 レイカが誇らしげに言うと、他の二人が口々に褒めそやした。

「すごーい、愛されてる」

「それって婚約じゃん」

 レイカがわたしの目を見詰めた。わたしからも何か言わなければならないらしい。わたしは曖昧に笑い、

「よかったね」

 と言った。レイカは満足げにうなずいた。


     *


 次の週になっても同じだった。誰も彼も気づいていないふりをしているけれど、関わりのない男子までひそひそとどうしたのだろうとささやいているから、本当はわかっているのだろうと思う。坂本さんは自分の席から動かなくなった。机に突っ伏すか下を向いて暗い顔をしているかのどちらかだ。

 レイカはわたしに話しかけることが増えた。わたしはレイカなんかに振り回されたくない、と頑なに思っていたから、都合をつけて逃げたりした。それでも坂本さんのことは、わたしの去年の鬱屈した日々を思い出させて、少しばかり恐怖を植えつけた。レイカが飼い主よろしく強い声でわたしを呼ぶと、わたしは飼い犬のようにのろのろと従ってしまうのだった。

 放課後はレイカにずっとつき合わされた。延々とわたしの知らない友達の話をされ、恋人の話をされ、うんざりした。そろそろ理由をつけて帰ろうかな、と思っていたら、レイカはふと言葉をとめ、わたしのほうを見ずに、

「歌子、ごめんね」

 と笑った。わたしは首をかしげる。

「去年、無視したりしたじゃん? ごめんね」

 わたしは驚いた。レイカがわたしに謝っている? どうして? 何のメリットがあって? レイカはわたしに手を合わせ、眉尻を下げている。

「去年の夏休み、ヒデ君が浮気してたんだ。相手は歌子だとずっと勘違いしてた。ごめんね」

 全身の力が抜けた。何だ、そんな理由だったのか。くだらない。勘違いだなんて。それにどうやったらわたしがあのへらへらした大学生と浮気するだなんて思うのだろう。

「この間わかってさ。本当に悪かったなあって」

「いいよ」

 わたしは笑った。レイカは「よかったあ」と嬉しそうにわたしに抱きついた。どうでもいいよ。わたしが言いたかったのはそれだけだけど。

 レイカはもう友達ではなかった。関係を修復する気なんてない。単に恐怖の対象であり、わたしが彼女につき合うのは身を守るためでしかなかった。わたしもかなり汚れてきたな、と思う。

「でさ、歌子はどう思う?」

 レイカは訊く。わたしは笑みを浮かべて首をかしげる。

「何が?」

「悠里のこと。あいつうざくない? 篠原のこと狙ったりしてさ」

 レイカは満面の笑みだ。わたしはやっと腑に落ちる。なるほど、そういうことか。レイカがなんのメリットもなしにわたしに謝るなんて屈辱的なことをするはずがなかったのだ。仲間に加われ。積極的に坂本さんを無視しろ。そう言いたいのだ。

「別に」

 わたしはそのままの表情で答えた。レイカは一瞬顔を強ばらせ、笑みを小さくして、

「ふうん」

 と言った。

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