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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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拓人と美容室

 ゴールデンウィークの最終日、わたしは商店街にある美容室に向かった。前髪が伸びていた。わたしは前髪を斜めに流しているのだが、少し伸びるだけで重みを増して前に垂れてくる。邪魔なことこの上ない。美容室は子供のときからの行きつけで、担当の美容師はいつも同じ人だ。

 小さなガラス張りの美容室に入ると、髪をドライヤーで乾かす音が響いていた。お客は一人。それも拓人。拓人も子供のときからここに通っている。拓人の髪が少し長いのは、店長の上田さんの趣味だ。わたしの担当は上田さんの娘である倫子さん。レジの中からわたしに挨拶をする。

「いらっしゃいませえ」

 倫子さんはおっとりとした声でわたしを迎えた。わたしはにこにこと挨拶を返す。上田さんと話していた拓人は、ようやくわたしに気づいた。

「あー、歌子」

「偶然だね」

「髪を短くしたくてさ。それで……」

 ドライヤーの音が拓人の声に重なって、何を言っているのかわからなくなった。

「歌子ちゃん、前髪だけ?」

 倫子さんが丸顔を福々しい笑顔にして訊くので、わたしは考え込む。

「髪が肩に着きそうになってるし、全体を切ろうかな」

「わかった。じゃあ、シャンプーしようか」

 わたしは倫子さんに連れられてシャンプー台の椅子に座った。背もたれが倒され、タオルで目隠しされ、適温のお湯で髪を濡らされ、シャンプーをしてもらう。気持ちがよすぎて寝てしまいそうだ。頭を人にマッサージしてもらうことなど美容室のシャンプー以外では滅多にないけれど、わたしはとても好きだ。

 シャンプーが終わって夢見心地のまま拓人の隣の椅子に座る。小さな美容室なので、椅子は二つしかない。拓人は髪を切ってもらっていた。上田さんと何か言い合っている。

「おれ、短くしたいんだよ。サッカーしてるとき前髪が邪魔になるしさあ」

「拓人君がこまめに美容院に来てくれれば問題ない程度の長さでしかないから、いいじゃないの」

 上田さんは五十歳くらいの女性で、拓人の髪をずっと切り続けてきた。拓人は一年ほど前から短くしたいと言い続けているのだが、受け入れられない。拓人の髪型は女子には受けがいいが男子には「女みたい」と言われるので、嫌がるのはわかる。

「おれの髪なんだからおれがやりたい髪型にしてよ」

「いいじゃないのよ」

 続きは倫子さんがわたしの髪を乾かすドライヤーの音で聞こえなくなった。しばらく乾かして、ドライヤーのスイッチが切られたときには拓人と上田さんは冷戦状態に入っていた。二人ともむっつりと黙っている。

「歌子ちゃんはどんな髪型にする?」

 倫子さんが訊く。わたしが答える前に、拓人がそれに反応した。

「ほら。倫子さんは歌子に自由にさせてるよ。何でおれだけ上田さんに決めてもらわなきゃいけないの」

「なーんでそんなに短くしたいかな。長いほうが似合ってるのに」

 上田さんが不満げに唇を尖らせる。上田さんは拓人の髪型を気に入っていて、どうしても変えたくないらしい。

「おれはさあ……」

 拓人はそのまま黙ってしまった。わたしは倫子さんにいつもと同じ髪型を注文する。後ろは肩に着かない程度の長さで、前髪はちょっと長めだ。

「あ、歌子。ゴールデンウィークは篠原とどこか出かけた?」

 拓人は戦いに休息を必要としているようだった。わたしはクリップで髪を留められたおかしな頭になっている鏡の中の自分を見ながら答える。

「うん。篠原の家の近くに行ったよ」

「え、篠原の家?」

「ううん。その近く」

「何やった?」

「篠原の行きつけのお好み焼き屋でお好み焼き食べたり、篠原の弟と会ったり」

「うわー、彼女って感じ」

「そりゃあ彼女ですから」

 わたしが笑っていると、上田さんと倫子さんが会話に割り込んできた。

「え、歌子ちゃん彼氏いるの?」

 と上田さん。

「ええっ」

 と絶句する倫子さん。

「歌子ちゃんは拓人君とつき合うんじゃないの?」

「そうよねえ」

「拓人君、あんなに歌子ちゃんのこと好きだったじゃない」

「そうそう」

「何で?」

 二人が同時にわたしたちに訊く。わたしと拓人は黙り込む。最初に口を開いたのは拓人だ。

「色々あるんだよ」

「色々って?」

 上田さんが好奇心に満ちた顔で拓人の鏡の中の顔を覗く。

「歌子には彼氏がいるし、……おれには別の子がいるし。そういうこと」

「別の子! 彼女?」

「……うん」

 わたしは話したくなかったであろうことを話してしまった拓人に同情する。きっと拓人は片桐さんのことを二人に秘密にしておきたかったのだ。

「わかった! だから髪を切りたいとか言うんだ! 男らしい髪型にして頼れる男を演出したいと!」

「そうそう!」

 拓人は意図が通じて嬉しそうにうなずく。上田さんはにっこり微笑み、

「でも短くしないよ」

 と言った。拓人はだまされたような顔で目を見開いている。

「何で?」

「だって長いほうが似合うから」

 拓人の目が虚ろになった。どうやら彼は美容室を変えない限り、髪型を変えることができないらしい。でも拓人は不満を言いつつもそうしない。やはり子供のころから通っている美容室を変えるのは少し勇気がいるということのようだ。

 結局拓人はいつも通りの髪型で美容室を出て行った。それからしばらくして、わたしもこれまで通りの髪型で帰路に就いた。

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