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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
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デート当日

 翌日、日が出て暖かくなった時間帯に、行ってきますを言ってから淡いピンクの自転車を出し、家を出た。車の滅多に通らない道を南に向かって行き、風を全身に感じながら気持ちよく進んだ。ごみごみと商店や背の低いビルが立ち並び、車でひどく混んだ道に出ると、いつもの排気ガスの臭いにあてられながら車道脇を走った。歩道は空いている。バス停のある場所は並んだ人々にぶつからないように慎重に行かなければならない。この街は区画整備があまりなされていないので、街の中心部以外は歩道がとても狭いのだ。バス停の通り抜けが難しいのも当然だ。

 そこからしばらく行くと、道路が広くなり、自転車にも乗りやすくなる。中心部が近いのだ。建物は大きくなるが、その後ろの通りは閑静な住宅街だったりする。車の通行量も増えるが、先程の道路が狭いところよりは圧迫感が少ない。

 わたしはアーケード街の外側にある、電線だらけの歓楽街の近くを通る道を抜けた。アーケード街で自転車を走らせると危ないので、いつもこうする。夜ではないので歓楽街は閑散としているが、昼でも雑然として見えて、わたしはまだこの辺りの店に入ることはないなあ、と思う。何となく恐いのだ。

 アーケードの端近くの、古着屋やレコード店の立ち並ぶ道路の歩道で待っていると、ぴかぴかと黒いマウンテンバイクを押しながら、篠原がやって来た。彼は黒いパーカーに青いジーンズという姿で、思ったとおり、お洒落ではないのでちょっと笑った。

「いきなり笑うなよ」

「ごめんごめん。立派なマウンテンバイクだね。高そう」

 篠原のマウンテンバイクは、中くらいの大きさのタイヤがごつごつしていて、触ると痛そうだった。よく乗っているのか、あちこち傷がついたり磨り減っていたりする。篠原は苦笑いを浮かべた。

「中学二年のときに買ってもらったんだ。どうしてもほしくて、頼んだら少なくとも二教科以上で満点取れって言われてさ」

「取ったの?」

 わたしは興味津々で訊く。篠原は笑い、

「数学と英語だったかな。取った」

 と答えた。わたしは篠原がわたしと同じように、何かがほしくて試験の結果を駆け引きの材料にすることがあるのだな、と考えた。こう考えると、篠原もわたしと同じ思春期の子供なのだな、と思う。

「町田の私服、初めて見るな」

 篠原に全身を見られたので、わたしはどぎまぎした。篠原は笑いかけ、

「白、好きなんだな。町田らしくてかわいいよ」

 と言ってくれた。上は白地に黒で模様の入ったカットソーだったので、そのことだと思う。嬉しくて笑ってしまった。見ると、篠原もにやにや笑っているので、岸君が言っていた篠原の笑いというのはこのことか、と思い至る。いつもとはちょっと違う、篠原にしては賢そうに見えない笑いだ。

「じゃあ、行こうか」

 わたしが観察しているのに気づいた篠原は、顔を引き締めて自転車にまたがった。わたしもそうする。篠原が自転車のペダルに力を込めるのに合わせて、わたしも自転車を滑らせ始めた。

 この辺りにはあまり来たことがない。来たことがあったとしても、川のこちら側までだろう。わたしたちは広い道路を走った。すぐそばには清川が流れていた。わたしの家の近くにも流れているが、横幅があって穏やかな川だ。河川敷が広く、芝生の生えたそこでは子供が親と一緒に遊んでいたりする。台風が来たときなどは増水して危険だったりもするが、普段は憩いの場として親しまれている。ここでもそうなのだろう。親子でキャッチボールをしている人がいた。

「篠原の家の辺りって、都会だね」

 河川敷の外に自転車を停めたときにそう言った。アーケード街から南は、ビルばかりで家もマンションが多く、人の住むところではないような気がする。篠原は声を上げて笑い、

「同じ区なんだから、そう変わらないよ。町田が住む学校の近辺は一軒家が多いからそう感じるだけでさ」

 と言った。同じ川が流れた同じ区内なのだから、それもそうだ。けれど、篠原がここに住んでいるのだな、と思うといつもと違う目で見ざるを得ない。一つ一つを見て、ああ、本当にわたしと違う人生を歩んできた人なのだなあ、と思ってしまうのだ。

「腹減らない? 行こう。この間言ってたお好み焼き屋に連れてくよ」

 わたしは目を輝かせて自転車を再び走らせ始めた。篠原も自転車に乗り、わたしの前を行く。とても不思議な感じがする。素敵だという気もする。

 わたしたちは清川にかかった橋を渡り、いよいよ篠原の家の近所に入ったようだ。マンションも多いが、学校が立ち並ぶ場所であるだけあって、思っていたより閑静だ。わたしたちは大きな道路を真っ直ぐに進み、わたしは広い寺があることや細々としたビルが立ち並んでいることなどを確認しながら篠原についていった。途中で篠原がとまり、

「あの辺りにうちのマンションがあるよ」

 と言うので見ようとしていたら、篠原がさっさと行ってしまったので慌てて追いかけた。篠原の家は、本当に目的地ではないようだ。低いビルの向こうに大きな茶色いマンションが建っているのが見えたので、それだとは思う。

 そのうちに、篠原が道を曲がったのでついていくと、彼は焦げ茶色の古い店の前に停まり、わたしを手招きした。慌ててわたしも小さな駐輪場に自転車を停めた。篠原はわたしを置いて店に入り、また出てきてわたしを呼んだ。

「思ったより空いてるよ」

 店に入ると、ソースの強い匂いが鼻についた。生暖かい空気に包まれながら進むと、老若男女が鉄板の敷かれたテーブルの周りを囲み、お好み焼きを焼いていた。

 空いたテーブルに案内されながら、篠原が訊く。

「お好み焼き屋、初めて?」

「そういえばそうだね」

 家でお好み焼きが出されることはあっても、専門の店に入るのは初めてだ。席に着き、篠原が適当な注文をする。店員がいなくなったので、訊いてみた。

「岸君とかとここに来たの?」

「うん。剣道部の仲間でよく来たな。最近は来ないけど。夕飯作らなきゃいけないから、暇がなくてさ」

「毎食篠原が作ってるの?」

「朝食は父親が作ってる。おれは家事から解放されるんで、朝は目が覚めたらすぐ学校に行ってるかな」

「じゃあ、お父さん一人でご飯なんだ」

「ううん、二人」

「二人?」

「弟がいるから」

「弟?」

 初耳だ。篠原は目を丸くしたわたしを見ながら笑う。

「今日、会わせようと思ってさ。弟に会わせたくてここに連れてきたんだよ」

「会いたい! でも、どうして隠してたの?」

 わたしが疑り深い目で見ると、篠原は少し考える顔をした。

「隠してるつもりはないんだよな。あんまり自分の話をしないってだけで」

「嘘だ。だって、この間誰かから電話がかかってきたとき、でれでれ笑ってたから誰なのか訊いたのに、教えてくれなかったよ」

「でれでれしてないよ。あれ、弟だし」

「え」

「ほら」

 篠原は持っていた黒いリュックサックから携帯電話を取り出し、わたしに通話記録を見せてくれた。「優二」という名前のみが示されている。

「篠原って、あんまり電話しないんだね」

「うん。だって金かかるし」

「弟、携帯電話持ってるんだ」

「子供用のね」

「弟、何歳?」

「十歳。剣道クラブ始めたから、帰りに迎えに行ったりしなきゃいけなくなってさ。連絡用に父親が買い与えた」

 わたしは考え込む。

「……わかった。信用する」

 篠原は笑った。

「何の信用かはわからないけど、よかったよ」

 店員がお好み焼きの材料を持ってきたので、篠原が手馴れた様子で材料を軽く混ぜて鉄板の上で焼いた。コテを使ってひっくり返す様は、中学時代によく行っていたという彼の言葉どおりだった。

「すごいね」

 わたしが褒めると、篠原は気をよくしたようににやりと笑った。

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