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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 一学期
31/156

雪枝さんと始業式とクラス分けと雨宮渚

「歌子、わたし目標ができたんだ。だからこれからはしょっちゅう会えなくなると思う」

 いつものコーヒーショップで雪枝さんと話していたら、彼女は何の脈絡もなくそう言った。わたしはびっくりした。どうしたのだろう。わたしが鬱陶しくなったのだろうか?

 広々とした店内には人気がない。そんな中、わたしたちはまるで別れ話をする恋人同士のように切ない顔で向かい合っていた。彼女の前にはカフェオレ、わたしの前にはゆず茶。この間とまるで同じに見えるのに、まるで違うのだ。

「何? どうしたの? 目標って何?」

 わたしは切羽詰まった声で訊く。だって、雪枝さんと会えなくなるのは辛いのだ。今まで何度も会った。楽しいときも悲しいときも一緒だった。それなのに、別れなければならないなんて。

 雪枝さんは、言いにくそうに、けれどどこか誇らしげに答えた。

「教師になりたいんだ」

 わたしはきょとんとした。

「教師?」

「うん。高校の国語科の先生になりたい」

「免許持ってるの?」

「一応持ってる」

「採用試験とかあるんだっけ?」

「そうそう。まだ受けてないけどね」

「勉強、しなきゃね」

「そうなの。大学を卒業してから数年、漫画ばかり読んでたからさ。勉強し直さないと」

「でも、どうして突然?」

 わたしが訊くと、雪枝さんはえへへと照れ笑いをした。

「秘密。具体的には言えないんだけど、何かさ、かっこいいなと思ってさ。教師なんて子供には舐められるしその親からは批判されるし土日は休めるかというとそうでもないし、きついイメージしかなかったんだけどねえ。どうしちゃったんだろうねえ」

「学校の先生、いいと思うよ。雪枝さんにぴったり」

「本当?」

 雪枝さんが嬉しそうに笑う。わたしはうなずき、

「頑張ってね。応援してる」

 と雪枝さんの温かい手を握った。永遠に別れるわけではないから、わたしは平気だ。

「歌子のピンチのときには絶対行くからね。安心して」

 雪枝さんの言葉を、わたしは信じている。わたしは力強く、「うん」と答えた。


     *


 始業式の日は、ひどく緊張した。クラス替えがあるからだ。誰と一緒で誰と別なのかわからない。篠原と一緒になれないことは、未だに残念だ。けれど受け入れるしかない。それにクラスメイトが誰であろうと、わたしはそれを拒否することができない。

 家を出るとき、わたしは玄関のたたきのタイルにつまずいた。何だかますます調子が狂ってしまった。登校中も変な気分で、道を行く生徒や散歩中の老人がよそよそしいものであるように感じられた。校門の中に入った瞬間、その違和感は消えたけれど。拓人が強く肩を叩いたからだ。

「ぼーっとしすぎ! 歩くのも遅すぎ! 歌子より遅く出たおれが追いつくなんて、どれだけ遅いんだよ」

 肩が痛かったけれど、助かった。もはや違和感が不吉な予感に変わりつつあったからだ。

「クラス替え、どうなると思う?」

 わたしが訊くと、肩を叩いたことを非難されるだろうと構えていた拓人は拍子抜けしたように歩を緩めた。

「篠原は理系? 文系?」

「理系」

「じゃあ別々か」

「それはわかってるんだけど、誰と一緒になるのかなって。レイカたちと一緒になるのが嫌だな、とか、また失敗するのかな、とか」

 拓人はじっとわたしを見詰める。あの兄のような目で。それから、にっこりと笑ってわたしの背中を叩いた。

「大丈夫だって。失敗しても歌子ならやっていける。苦しかったらおれに……あ、違う、篠原に相談してみろよ。何とかなるって」

 わたしは少しほっとして、拓人に笑いかけた。拓人が持つ明るい空気は、とても落ち着く。

「あ、あれ篠原じゃない? おれはいなくなるよ。何か悪いし」

 生徒用昇降口の前の人だかりの中に、一際長身の男子生徒が二人、立っていた。どう見ても篠原と岸君だ。拓人はわたしの横を歩いていた男子のほうにするっと滑るように行き、わたしは篠原のほうへと早足で向かった。近づけば近づくほど気分が高揚する。篠原は背中を向けて掲示板に見入っていたが、わたしが声をかけるとにっこりと笑って振り返った。

「おはよう。久しぶり」

 篠原の笑顔を見ると、わたしはうきうきする。柔和で優しい顔なのにどうしてだろう、と考えるが、好きだからだな、という結論に落ち着く。

「おはよう。篠原、何組になった?」

「二組。町田は四組だよ」

「そっか。そんなに遠くはないね。岸君は?」

「残念ながら二組」

 岸君は首をうなだれてがっかりしたふりをする。わたしはけらけら笑う。

「同じクラスなら、もう篠原から教科書を借りられないね」

「町田さん、貸してね」

「駄目だってば」

 篠原が会話に割り込む。けれどそんなに不機嫌ではない。わたしと岸君が仲良くすることに、もう慣れたのだろう。

「町田は村田と同じクラスだったよ。見てみなよ」

 篠原の言うとおり、人だかりの視線の先にある掲示板を見た。目を凝らすと、確かに四組に舞ちゃんの名前があった。嬉しい。しかしよく見たら、篠原のことを好きな坂本さんがいた。レイカもいる。ちょっとだけ、がっかりした。でも坂本さん以外はレイカを取り巻いていた女子がいないようで、それはほっとした。

「浅井も同じクラスだなあ」

 篠原の一言で名簿の最初を見ると、確かに拓人の名前があった。ほっとしたのだけど、篠原のことがとても気になる。こっそり目を向けると、彼は笑みを浮かべながらわたしを見ていた。

「気にしてないから大丈夫だよ」

 わたしはにやけてしまった。篠原の横で岸君が小さく口笛を鳴らすので、篠原が人差し指を立てて、しいっと言う。岸君はにっと笑い、篠原は仏頂面になってしまった。わたしはそんな二人のやりとりが面白くて、吹き出してしまった。

 ふと、篠原の後ろに立つ男子が気になった。拓人みたいに髪が長めで、しかも茶色い。大きな淡い色の瞳にかぶさった長い睫毛も髪と同じ色だ。肌の色がとても白い。

 ちらっと見ただけでこれだけの要素が目に飛び込んできた。気になってまともに見ると、その男子はわたしを見てにっこり笑った。卵形の顔についた唇はMの字の端を上げたように不思議な形になっている。鼻が尖っていてきれい。目の形が完璧なアーモンド型だ。というか、この人の顔は全てが不思議で美しい。こんな顔、初めて見た。そのような感想が頭をよぎる。

 ふと、彼の視線が篠原の背中に移った。笑みは消え、とても冷たい表情になる。口が開いたと思うと、かすれた声でこう聞こえてきた。

「邪魔なんだよこのデカブツ」

 篠原がぱっと振り返る。篠原と「彼」の目が合った。篠原は無表情になり、人だかりを抜けようと「彼」の横を通り過ぎる。わたしと岸君も一緒に行く。「彼」は悠々と篠原がいた位置に立った。わたしはつぶやく。

「女子だったんだ……」

 「彼」ではない。「彼女」だったのだ。彼女は短めのスカートを穿いた、背の高い女子生徒だった。

「デカブツは酷いよな」

 靴を履き替えて廊下に上がってから、篠原がぶつぶつつぶやく。

「まあまあ、多分おれも邪魔だったと思うよ」

 岸君が彼を慰める。わたしは上の空だ。篠原の傷心も気にせず質問してしまった。

「ねえ、あんな子同じ学年にいた?」

 篠原が考え込む。どうやら彼は知らないらしい。

雨宮渚(あまみやなぎさ)だよ」

 岸君が答える。わたしは、なぎさ、とつぶやく。きれいな名前だ。

「おれもよく知らないけど、天才だって聞くよ」

「篠原より?」

 わたしが訊くと、篠原が笑った。

「おれは普通だよ。何についても秀でてないし」

 試験では毎回ほぼ満点を取るくせに、よく言ったものだ。彼はちょっと考え込み、

「あー、でもちょっと聞いたことあるな。理数系の天才がいるって」

 とつぶやく。理数系。ということは理系クラスかもしれない。

「何か性格きつそうだし、同じクラスは嫌だな」

「そうかなあ」

 篠原の言葉を岸君が曖昧に否定する横で、わたしは雨宮渚のいた方向をちらりと見た。彼女はもういなかったけれど、凍りついてしまいそうな冷たい目と、柔らかな笑みの両方が思い出されてならなかった。

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