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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校一年生 三学期
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帰り道の喫茶店

 わたしたちはゆっくりと離れた。わたしはのぼせたような気分で篠原を見上げた。篠原の手は、離れ際にわたしの腕を握ってからそのまま離れない。篠原のこれほど真剣な目を、初めて見た。きれいな字を黒板に書くときも、授業を受けるときも、こんな目をしてはいなかった。この目を向けられているのがわたし一人だと思うと、とても恥ずかしく、同時に誇らしかった。

「町田。返事がほしい」

 篠原がかすれた声でささやいた。そんなの、決まっている。

「わたしも好きだよ」

 わたしの腕を掴む篠原の手に、力が入った。少し痛い。わたしは篠原を好きだと思っている今のわたしに驚いている。恋愛なんてできないと思っていたのに。わたしの準備が整ってきたのだろう。わたしは成長しつつあるのだ。篠原が、わたしを大人にしているのだ。

「最近、篠原のことずっと見てたよ。号令の声にも耳を澄ませてた」

 篠原の表情が和らいで、彼はちょっと笑った。わたしの言葉は少し滑稽だったかもしれない。

「篠原のことばかり考えてたよ」

 篠原はにっこりと笑った。目が三日月型に細くなり、唇が薄くなる。好きだな、とまた思う。近頃、そればかりが心に浮かぶ。

「好きだよ。本当に」

 わたしがもう一度言うと、篠原がわたしの腕を放して、ぎゅっとわたしを抱きしめた。

「ありがとう」

 頭がくらくらした。でも次の瞬間には篠原は体を離していた。

「一緒に帰ろうか」

 篠原がいつもとは違う緊張気味の声でわたしに訊いた。わたしはにっこり笑ってうなずく。

「ちょっと寄り道しようね。この間は一人残されて色々考えちゃったから、埋め合わせに」

 篠原は赤くなって首を縦に振る。かわいい、と口に出さずに思う。大人びた篠原がかわいく見えることなんて、今までなかったのに。

「行こうか」

 わたしは鞄を手に持ち、篠原を急かした。


     *


 篠原と一緒に、商店街の奥にある古い喫茶店に入る。ビニールの作りつけのように見えるソファーに、カウンターには大小三つの招き猫。狭くて年代がかった食べ物の匂いがするけれど、店長は物静かだし、わたしのような小娘がオレンジジュース一杯で粘っても怒られないのでたまに来るのだ。騒がしいレイカには内緒にしていたけれど、拓人もよく来る店だ。

 篠原は店内を見回して、テーブルとの間隔が狭いソファーに体を押し込んだ。わたしは慣れているので篠原の向かいにさっさと腰を下ろし、エプロンをつけた店長の奥さんにオレンジジュースを頼んだ。篠原はコーヒーだ。どうやらブラックで飲むらしく、砂糖とミルクを断っている。

「よく来るの?」

 篠原が訊くのでわたしはこっくりとうなずいた。

「中学生くらいから来てるよ。近所だから」

「へえ。おれは中学時代ならお好み焼き屋によく通ってたかな」

「そうなんだ。そういえば篠原の中学時代って、知らないな」

 それどころか、学校以外での篠原を知らない。篠原は微笑み、

「大したことないから言わないんだよ」

 とテーブルに肘をついて腕を組んだ。わたしは思わぬ近さにどきどきしながら訊く。

「篠原のこと、もっと知りたいから教えて」

 篠原はしばらく考え込む。

「何から話せばいいのかな」

「中学時代も書道部だったの?」

 篠原が目を上げた。どうやらわたしは核心を突くようなことを言ったらしい。篠原はますます考え込んでしまった。それから急に決意したようにわたしをじっと見据え、

「剣道部だった」

 と言った。わたしはきょとんとする。剣道部。運動をする篠原をあまり見たことがないからぴんと来ない。でも想像の篠原に紺色の防具を着せたら、とても似合っていた。

「すごく打ち込んでてさ、剣道やってるときは性格が変わるって言われたよ」

 篠原が笑う。わたしはくすくす笑い声を上げ、剣道をやっている篠原を思い描く。剣道と言ったら武道だ。攻撃的になる篠原を考えてみると、何だかおかしくなってくる。

「どうして今は書道部なの?」

 わたしが訊くと、篠原の笑みが弱くなった。

「高校入って何もやってなかったんだけど、書道部に誘われてさ。書道部なら時間は自由が利くらしいから、いいかなって」

「時間がないの?」

「中学三年のとき、母親が病気で死んじゃってさ。家のことはおれがやってるんだ」

 しばらく沈黙が落ちた。わたしは何を言えばいいかわからず、篠原の優しい目を見詰め続けた。

「初めて聞いた?」

「うん」

「おれもあんまり周りに言わないからな。言うようなことでもないけど」

「無理矢理訊いたりしてごめん」

「いや、町田には言いたかったから」

 篠原はにっこり笑った。

「聞いてくれてありがとう」

 わたしは胸が一杯になってしまった。篠原はわたしを特別な人間として扱ってくれているのだ。その気持ちに、わたしは応えたい。けれどどうすればいいかわからない。

「町田のことも聞きたいよ。おれも全然知らないから」

 そう言って篠原がわたしを見詰めたとき、コーヒーとオレンジジュースが来た。わたしはぽつぽつと、今までの自分の話をした。篠原に恋した今では、何だか寂しい人生だったような気がしながら。

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