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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校一年生 三学期
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試験とバレンタイン

 学年末試験は三日間かけて行われる。それぞれの午前中に四教科ずつ実施されるのだ。わたしはそれなりに手応えを感じながら問題を解いた。数学に手こずったけれど、想定内のレベルだ。

 試験の最終日がバレンタインデーだった。女子たちはこのことに先生たちの悪意を感じるなどとぼやいていた。けれどわたしは一番焦りを感じる二日目の午後に材料を買い、家でせっせとトリュフを作った。自分でもよくわからない使命感があった。絶対に作らなければならないという焦燥。母は「大丈夫なの?」と何度も尋ねながら手伝ってくれた。

 チョコレートと無塩バターを溶かし、温めた生クリームと混ぜ合わせ、冷やして丸めてココアパウダーをまぶすだけ。それなのに思ったより時間がかかった。トリュフが固まってくるまで英単語帳を読みながら待った。台所はココアパウダーだらけだ。片づけにも時間を取られる。トリュフをカラフルなプラスチックのカップに入れ、紙の緩衝材で一杯のピンクの箱にしまい、焦げ茶のリボンをかけた。やっとできた。

 全ての箱を冷蔵庫に入れ、わたしは自分の部屋に急いだ。明日は英語があるし、あまり勉強していない保健体育もある。そのまま夜まで勉強した。


     *


 最後の教科が終わり、教室は安堵のため息で一杯だ。わたしは何とかやり遂げた気分で伸びをした。クラスメイトたちはめいめいに本来の自分の席に戻っていく。わたしもそうする。舞ちゃんは放心したような顔だ。「疲れたね」と話しかけると、「もうちょっと時間があれば」と呻いていた。悔いがあるようだ。篠原は、いつものように人に囲まれていて話しかけにくい。わたしの席にまで人の波があるので邪魔なくらいだ。とりあえず、女友達や中村先生にチョコレートを渡すことにする。

 舞ちゃんとあやちゃんに小さなピンクの箱を渡すと、とても喜んでくれた。二人はお返しに市販のものらしい小さなチョコレートの箱をくれた。わたしは甘いものが好きだから嬉しい。

 職員室の前をうろついて、中村先生を探す。試験期間中、生徒は職員室に入れない。だから待っているのだ。中村先生は職員室からきびきびと歩きながら出てきた。

「中村先生!」

「わ、びっくりした」

 中村先生は驚きの余り胸を押さえていた。わたしは舞ちゃんたちに渡したのと同じ箱を差し出す。

「バレンタインチョコレートです」

 中村先生は目をぱちくりさせながら受け取ってくれた。

「最近は男性じゃなくてももらえるのよねえ」

「そうですよ」

「お歳暮みたいなものね。嬉しいわ。ありがとう」

 先生は微笑んでくれた。

「町田さん、最近明るいわね。よかったわ。二学期はどうなることかと思っていたけど」

「先生のお陰です」

「わたしは何もしてないでしょ。あなたときたら何も相談してくれないんだから」

「それじゃあ!」

 説教が始まりそうだったので、慌てて職員室前から逃げた。でも、こうしていつも心配してくれる中村先生という人に、わたしは感謝している。だからチョコレートをあげたのだ。心配事を打ち明けるほうが、先生は嬉しかっただろうけど。

 教室に戻ると、人が少なくなっていた。篠原は後回しにして、席に座って山中君と話していた拓人にチョコレートをあげる。

「焦げてないよ。おいしいよ」

 わたしは自慢する。拓人は早速リボンを解いて箱を開く。

「ほんとだ。うまそう」

 トリュフが二個、赤いカップに入っていた。一つをつまみ、拓人はそれをぱくりと食べた。

「うまいうまい」

 唇にココアパウダーがついていたのでわたしの鏡を見せた。拓人はぺろっと唇を舐める。

「なあ、結局浅井と町田はどんな関係?」

 山中君が混乱した様子でわたしたちを見ている。山中君は眉を困ったように下げ、理解ができないといった表情だ。

「幼なじみ」

 わたしと拓人は同時に言った。山中君は「ややこしいよなあ」とつぶやく。

「普通だよ」

「そうそう」

 わたしと拓人の言葉を、山中君は首を傾げて聞いている。そのとき、わたしの背後で誰かが立ち上がった。振り返ると、篠原だった。鞄を持って歩き出している。わたしは驚き、慌てて追いかけた。

「篠原、待って!」

 篠原は歩くのが早いので、わたしは彼が下駄箱のすのこに降りたところでようやく追いつくことができた。篠原は無表情にわたしを見下ろし、

「何?」

 と言った。

「何って、チョコレートあげるって言ったのに、帰るなんてひどいじゃん」

 わたしが荒い呼吸をしながら言うと、篠原はつぶやいた。

「もらわなくていいよ」

「え、何で?」

 ショックを受けたわたしを、篠原は憮然とした表情で見ている。

「誰かにあげてよ。おれはいいから」

「何でそんなこと言うの」

 泣きそうになる。篠原はわたしの表情を見て少しひるんだ顔を見せたが、それも一瞬だった。

「浅井とか、山中とか、その辺にあげれば?」

「目の前で拓人にあげたの、嫌だった?」

 わたしが思わず訊くと、篠原はぎくりと顔を強ばらせた。手の指をぎゅっと畳み、わたしに向き直る。

「おれは別に……」

「篠原にあげたいの。一番あげたいの。作ってるとき、篠原のことが一番頭に浮かんだ。あげたら喜んでくれるかなって思った。なのにもらってくれないなんて、ひどい」

 わたしは涙ぐんでいた。篠原は慌てて周りを見て、

「本当?」

 と小さな声で訊いた。わたしは篠原の胸を強く叩く。

「ごめん」

「ごめんじゃないよ」

「浅井にチョコレートをあげたのも、目の前で仲良くしてるのも、何か嫌だった。当たったりしてごめん」

 わたしは上目遣いで篠原を見た。優しい笑みを浮かべている。ああ、篠原のこういう笑顔が好きなんだよな、と思う。わたしは仏頂面のまま、

「チョコレート取ってくる」

 と言って廊下を戻った。教室にはまだ拓人たちがいたけれど、構わず焦げ茶色の箱を紙袋から取り出す。リボンはピンク。他の箱とは色合いが逆だ。拓人が何か言いそうになるのに気づかないふりをして、下駄箱の前に立つ篠原のところに行った。

「はい」

 わたしが箱を渡すと、篠原は大きな手のひらで受け取ってしげしげとそれを見た。リボンに手をかけるのを、わたしがとめる。

「開けるんなら校庭のベンチに行こうよ」

 篠原はうなずき、わたしが靴を履くのを待った。わたしたちは白い息を吐きながら石のベンチに並んで座り、篠原はリボンをほどいて箱を開いた。中にあったのはテニスボール大のトリュフだ。

「でかいね」

 篠原が思ったよりびっくりしているので、気分がよくなってきた。

「篠原のは一番大きいのにするって言ったでしょ」

 篠原はトリュフを手に取り、歯を立てた。かけらがぽろぽろと落ちる。

「どう?」

 わたしは心配になって訊く。大きいから、ココアパウダーの分量が他とは違うのだ。まずかったらどうしよう、とばかり考える。篠原は口の中でトリュフを転がし、にっこり笑った。

「うまいよ。ありがとう」

 わたしは嬉しくなって篠原に抱きついてしまった。温かでごつごつした篠原の体を感じながら、何だかどきどきした。そのとき、篠原の手が肩に触れた。そのまま肩を抱かれる格好になる。篠原の手は震えていて、わたしの耳のそばでは心臓が激しく鳴っていた。わたしは微笑み、篠原のこと好きだな、と思った。

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