レイカとの会話
その翌日、わたしはS大に受かっていることを確認した。けれど、W大に行くことを決めた今では関係のないことだ。拓人はS大に受かり、通うことに決めたらしい。数日前に少し離れた難関大に受かった静香とは、ちょっとした遠距離恋愛になりそうだ。美登里も地元の大学に受かった。そこで勉強してマスコミ関係の仕事に就きたいと言っていた。
夏子は志望大学に落ちていて、浪人すると言っていた。彼女は演劇の仕事がしたいから、どうしても芸術関係の学部に通いたいのだそうだ。わたしと近い目標を持っている彼女を、応援しないわけにはいかない。多分いずれ東京で会うだろうから、そのときを楽しみにしている。
慌ただしい日々が過ぎていく。日々がどんどん加速していく。
*
渚や両親と共に、家具や家電を探して回る。カーテンの色、アパートのドアから入れられる小さなベッドの使い心地、家電の使い方、色々考えたり試したりしながら、街中を歩く。渚は自分で決める権限を与えられているらしく、羨ましい。うちは両親がわたしの健康のためだとか防犯のためだとか言って、色々と口出しをしてくる。確かに暖色のカーテンは女性の部屋だということが伝わりやすくて危険かもしれないが、わたしはかわいいカーテンがほしいのだ。度々軽い口論になり、くたくたになって帰った。
「お陰で色々決まってよかったよ」
帰りながら、渚は満足げだ。バス停まで送るつもりで一緒に歩くわたしはため息をつき、
「わたしもそうでありたかった」
と笑う。結局は両親の心配性なんて簡単にはなくならないのだ。防犯や健康を心配してもらえないのはそれはそれで切ないし、過度の口出しでなければ気にしないようにしなければいけない。
バス停でバスを待ちながら、わたしたちは話をした。新生活や、京都と東京の往復にかかる費用や時間についてなど。わたしは渚に会えなくなるのは寂しいけれど、こうして会う手段がある限り、平気な気がした。
バスが来て、渚は乗り込んでいった。窓越しに手を振り、別れる。地元にいるうちは何度も会えるだろうけれど、何だかずっと別れる気分だ。渚がわたしににっこり笑いかけたタイミングで、バスは行ってしまった。
気分を引きずりながらコンビニに行く。ずっとやめることのできない漫画雑誌を買い、帰ろうとしたところでばったりとレイカに会った。驚いた。彼女は明るい茶色に髪を染め、パーマをかけて華やかに結っていた。化粧もしっかりし、彼女の幼い美しさは大人びたものに変わっていた。荒んでこのようになったのだとは思えないのも当然で、彼女は快活にわたしに笑いかけていたのだ。
「久しぶり」
と彼女は言った。わたしはうなずく。彼女はわたしと一緒に店の外に出て、話したい素振りを見せた。わたしは戸惑いながらも一緒にいることにした。彼女が今わたしにする話があるとしたら、嫌な話ではないとわかっていた。
「卒業して大して経ってないのに、派手になってたから驚いたでしょ」
彼女はわたしを見下ろし、照れたような気まずそうな顔をした。わたしはうなずき、
「でも似合ってるよ。レイカ、美人だし」
と言った。彼女はきょとんとし、次にくしゃっとなったような笑みを浮かべ、「ありがと」と言った。何だか吹っ切れているな、と思った。彼女はいつも何かが不満そうで、どこかいらいらしている感じがあったのだ。それが全くなくて、笑顔に曇りがない。
「彼氏と別れたんだって?」
わたしが訊くと、彼女は、ああ、と何でもなさそうな声を上げた。
「うん。大分前にね」
「すごく好きだったよね。それなのにどうして?」
レイカはしばらく考え、にっこり笑った。
「単純に、もう好きじゃないって思ったから。あいつ、浮気ばっかしてたでしょ。それでもわたし、あいつのこと好きだった。何故ならわたしの全てを受け入れてくれてたから。……わたし、自分のこと誰にも認めてもらえてないと思ってたからね。都合のいい女でもよかったんだよね、その程度の人間だと思ってたから。でも何だか突然醒めちゃってさ。わたし、いつまでもこいつのために体を捧げ続けるの? 友達とのつき合いも口出しされ続けるの? ご飯作って、部屋を掃除してあげるの? ……なーんか、急に馬鹿馬鹿しくなっちゃって。あいつ、浪人決定だって。遊んでばかりで何もしなかったからだよ。親のすねかじってるくせにさ、かっこ悪。だから、もういいやって思っちゃった」
レイカは完全に吹っ切れていた。元の恋人のことなんて、何とも思っていなかった。一段上に上がったような、晴れ晴れとした表情だった。
「担当の美容師さんがね、すごく話を聞いてくれてさ。何だかかっこよくてね、わたし、美容師になることにした」
「そうなの?」
わたしは驚いた。でも、確かにレイカは美容師に向いていると思った。お洒落が好きで、会話も上手い。人を惹きつける魅力もある。
「わたし、大学には行かずに美容師の専門学校に行くことにした。親には散々馬鹿にされたけど、なりたいからいいの。いつか立派な美容師になって、この街で働きたい」
彼女は全くの別人になっていた。わたしが彼女と関わらない間に、様々なことが起こったに違いない。それは知りようのないことだし、突っ込んで訊くようなことではないけれど、わたしは何だか爽やかな気分になっていた。
「でね、歌子」
レイカはわたしの名前を呼んだ。彼女に名前を呼ばれるのは、いつぶりだろう。
「わたし、歌子に謝りたい」
すっと、心に暖かい風が吹いた。レイカは緊張した顔をし、わたしの目をじっと見ていた。いつかそうされたときとは違い、本気だと感じた。
「わたし、歌子に何してもいいんだと思ってた。わたしを怒らせたんだから、何をしても許されると思ってた。だから平気で仲間外れにした。いじめた。皆に無視させた。一人ぼっちにさせた。……でも、歌子がわたしに謝ったとき、ひどい後悔が生まれた。ちゃんと話してみて、歌子はちゃんと人間で、ちゃんと感情があって、傷ついてることがやっとわかった。わたし、馬鹿だったよね。そういうこともわからないんだから。……色々なことがあって、わたしは昔のことを後悔するようになった。歌子のことは特にそうだった。……だから、許してほしいとは言わないし、言えないけど、本当にごめんなさい」
頭を下げたレイカを前に、わたしは様々な出来事を思い出していた。レイカやその友達と賑やかに遊んだ夏休み、新学期になると突然嫌われていて辛かったこと、二年生になって、再び仲間外れにされたこと、レイカの言葉で傷つけられたこともたくさんあった。どれも心を苛む嫌な思い出だった。決して許すことはできないだろう。でも、わたしは彼女自身を少しだけ快く思っていた。彼女は変わった。わたしも変わったと思う。これから、うまく行くこともある気がする。
「レイカ」
わたしは彼女に声をかけた。彼女は不安そうに顔を上げた。わたしは真顔になって、言った。
「わたしはレイカとまた友達になれる気がする。今は、まだ無理だと思う。わたしはまだあのころのことを許せない。でも、わたしたち二人とも、もっと大人になったら、うまく行くんじゃないかなって思う」
レイカはぼんやりとわたしを見て、それから涙ぐんだ。
「もう友達には戻れないと思う。わたしはひどいことをした。それに、歌子と一緒にいて、自分を許せるとは思えない」
「十年か二十年くらい経ってみたら、わからないよ」
わたしは笑った。レイカはしげしげとわたしの顔を見る。
「二人とも、おばさんやおばあちゃんになって、この街で会って、意気投合して、うまくいくかもしれないよ」
わたしは心からそう思う。レイカが変わり、わたしが変わり、時間が経って、更に変わる。そうなれば可能性はいくらでもある。わたしは今、レイカをいつか許したいと思っている。それは絶対にありえないとは言えないのだ。
「おばあちゃんね」
レイカはうなずいた。それからかすかに笑った。
「いいと思うよ、歌子の考え」
わたしは笑った。それを見て、レイカも笑みを浮かべた。十年後か二十年後か、もしくは五十年後か、それはいつか起きると思う。レイカは友達だった。今はもう友達ではない。でも、未来で友達かもしれない。
そういう未来を考えてみるのは、悪くないとさえ思う。