センター試験
制服を着崩さずしっかり身につけ、学校指定のコートを着て首に白いマフラーを巻き、毛糸の手袋をつけて貼らないタイプの使い捨てカイロをコートのポケットに忍び込ませる。背中にはいつもは使わない貼るタイプのものを貼って、防寒は完璧だ。一月から家族が率先してその辺りを気遣ってくれているが、今日は特別だと思う。
「忘れ物はない?」
母が訊く。
「腕時計あるし、ペンケースには研いだ鉛筆がたくさん入ってるし、消しゴムも三個持ってるから人に貸したっていいくらいだよ」
わたしの返事に父が顔をしかめる。
「歌子、人のことを気にする余裕なんかないだろ? こう、皆を蹴散らす気持ちで……」
「わかったわかった。まあ、頑張るよ。行ってきます」
焦る気持ちを抑えながら、学校に向かう。わたしの学校の三年生は毎年すぐ近くのS大学でセンター試験を受ける。だから朝礼を済ませてから皆で歩いて行くのだ。センター試験。とてもどきどきする。
「おはよ」
校庭に登校中の渚がいたので声をかける。「おはよう」と返ってくる。
「緊張」
「わたしも」
短くやり取りをし、別れる。着くと学年中が緊張していた。教室で軽く勉強をしながら朝礼を待っていると、田中先生がやってきた。号令が響き、挨拶をする。
「今日はセンター試験だ。皆準備してきたと思うけど、気を抜かないようにな。忘れ物はないように。名前をちゃんと書くように」
子供に言って聞かせるみたい、と思うけれど、先生はわたしたちを可愛がってくれた。年の離れた弟や妹くらいに思ってくれているのかもしれない。
「全力を尽くせ。でも緊張しすぎるな。おれが言えるのはそれだけだ」
「せんせー、それ、難しくないですか?」
前の席の男子がふざけたように声を上げた。皆少し気を抜いて笑う。先生も笑う。
「難しいけど、それが一番大事なんだよなー。ま、頑張れよ。応援してるからな」
先生の「応援してるからな」がとても温かく感じられた。絶対に大丈夫、なんて言えないけれど、それだけでとてもリラックスできる。
「時間まで自由に過ごしていいからな。S大には県内の他校の生徒がたくさん来るし、雰囲気に慣れるために早めに行く予定だ。では、朝礼終わり」
時間まで、わたしはぼんやりと過ごしていた。ほんの数時間前に焦って覚えたことなんて、きっと何ヶ月もかけて覚えたことに圧倒されて消えてしまうからだ。それよりリラックスしたかった。皆が焦っているから、わたしはもっと焦ってしまいそうだった。これまでの楽しいことを一つ一つ思い出した。一年生のときに総一郎の席に押しかけて一緒にお弁当を食べたことや、渚と話したこと、美登里や夏子や光と過ごした楽しい時間、岸の陽気さ、総一郎の笑顔。そういった事柄が、わたしをとても安らがせてくれた。
「そろそろ行くぞー」
田中先生が声をかけ、クラスメイトたちがため息をつくころには、わたしは本当に大丈夫な気がしていた。
*
S大学のキャンパスは巨木が多く、広い森のようになっていて、一番奥にある文学部は先生の案内がなければたどり着けなかったかもしれない。科目ごとに部屋は分かれていて、張り出された紙やプリントや職員の説明に従って科目ごとの場所に行くことになっているようだった。オープンキャンパスで一度来たことはあったものの、階段状の大教室にわたしは慣れていない。落ち着くように言い聞かせながら一人きりで時間を待った。もちろん周りには他校の生徒がたくさんいる。同じ文系だからクラスメイトだって教室の遠い場所に座っている。でも、そんな気分だったのだ。
腕時計を机に起き、鉛筆と消しゴムをいくつか置く。前から順番に問題用紙と解答用紙が配られていく。どきどきしそうになるのを抑えながら待つ。
「それでは、始めてください」
時間になると、試験官は静かに、通る声でそう言った。紙が一斉にめくられる音が、教室中に響いた。
*
短い休み時間や試験のない時間、昼休みを挟みながら、わたしは一日中、二日間、試験を受けて過ごした。自信なんてない。でも、すんなり解けたときや最後に残していたわからない問題を時間内に解けたときは嬉しかった。
終わったときは体中がだるかった。でも不思議と高揚感があって、やりきった気分だった。
センター試験はあとで何点だったと教えてもらえるわけではない。明日には新聞や学校で答えを確認できるけれど、どんなミスをしているかなんてわからない。大丈夫だと信じ、次の二次試験に備えるしかない。
とりあえず寝よう。寝て、答えを確認して、次のために頑張ろう。そう思いながら、わたしは一人で家に帰り、手洗いうがいを済ませ、着替え、早い食事を済ませ、歯を磨き、風呂を済ませ、髪を乾かして眠った。とても長く。色々な夢を見た。随分うなされ、何度か起きた。でも、最後には翌朝いい気分で起きられるような楽しい夢を見られた。