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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校三年生 三学期
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最後の始業式

 朝起きた瞬間、三学期だ、と思った。これが高校での最後の学期なのだ。今日は始業式の日。センター試験が間近なのも相まって、ひどくどきどきした。がば、と起きあがって準備をした。学校のみんなはどうしているのかな、などと考えながら。

 お弁当の準備を簡単に済ませ、忘れ物がないかチェックする。大丈夫だったけれど、何だか頼りない気がして机に駆け寄り、小さなノートに書き込んで作った英単語帳や各教科の要点をメモしたものを鞄に詰め込む。こんなもの、学校では休み時間にちょっと覗けるだけなのだから全部持って行っても仕方ないのにな、とは思うのだけれど。

 母が行ってらっしゃいを言う。わたしも行ってきますを言う。それからわたしは冷たい玄関から凍りつくような往来に出た。

 登校途中で光に会った。あれほど健康的に輝いていた彼女は青白くなっていた。冬に家にこもりっきりで勉強をしていれば、こうもなるだろうな、と思う。やっと私立の志望校が決まったので、冬休み中に願書を提出したのだという。

「はー、受験かー」

 光の表情は暗い。わたしだってそんなに変わらない。少なくとも緊張はしている。

「センター試験、うまくいくといいなあ」

「うんうん。わたしもそればっかり考えてる」

 去年のわたしが聞いても全く面白くないだろう話題でひどく共感してしまう。去年のわたしと今年のわたしはかなり違うな、と思う。それは同級生なら皆同じだろう。

 光と別れ、美登里と夏子のいる教室に向かう。途中憂鬱な表情の拓人とすれ違って挨拶を交わした。荷物を置いて二人のところに行くと、彼女たちは二人でいるのにそれぞれの勉強に没入していた。去年までは問題を出し合ったりしていたのに。

 夏子たちといると何だか焦りが酷くなってきたので、一組に向かう。一組は空気が異様にぴりぴりしていた。うちの学年でも特にできる生徒が多く、期待されることもあるし本人の理想もとても高かったりするので当然だろう。入りにくくて帰ろうとしたら、渚が後ろから「どうしたの?」と声をかけてきたのでびっくりして飛び上がってしまった。

「一組、すごいね」

 わたしが言うと、渚は「まあね。あたしも居心地悪いしね」と返した。この教室なら渚でも居心地悪いのは仕方ない。渚が「どうしたの?」と訊いた。

「どこに行ってもぴりぴりしてて居心地悪いよ。ぴりぴりしてないところで勉強したい」

「そういう歌子もぴりぴりしてるよ。そういう場所に行きたいなら一年の教室にでも行くしかないね」

「そうだね。そうだ」

 渚の言葉に、わたしは肩を落とす。勉強したいと焦っているわたしも当然ぴりぴりしているのだ。

「あたしもゆっくり勉強しようと思ってあちこち行ってみたけど、駄目だね。寒いしあたし自身がいらいらしてる」

「渚もか」

 わたしはため息をつく。仕方がないからそれぞれの教室に戻ってホームルームを待とうという話になり、わたしは教室に戻った。

 上の空でホームルームを済ませ、始業式を済ませ、また授業に入る。最近は復習のような授業が増えた。理解している内容でも真剣に取り組んでしまう。わたしは今が一番人生で真面目な時期だという気がする。辛かろうが面白くなかろうが、喜んでやってしまうのだ。

 昼休みに入って一組に入ると、ようやく総一郎と岸に会えた。総一郎は笑ってわたしに手を振ってくれたが、岸はしょんぼりとした顔でわたしを見ただけだった。受験が不安らしい。渚が呆れた声を出す。

「不安だろうが何だろうが、人前ではそういうのやめてほしいよね」

 岸は口を尖らせ抗議する。

「おれは篠原や雨宮みたいに能力がずば抜けてるわけじゃないから不安なのは当然だろ? 天才様は余裕だな」

「あたしだって必死に勉強してるし不安なの。知ってるでしょ? あたしは文系科目苦手だったんだから。総一郎と違ってさー」

「おれを巻き込むなよ……」

 二人の言い合いに、総一郎が疲れた声を出す。わたしは皆本当に焦っているな、と思いながらお弁当をぱくつく。

「大体さ、護はずーっと暗い顔してるよ。受験が大変なのはわかるけど、あたしたちの前では普通の顔をしてよ」

「そんなのできない」

「何で?」

「……雨宮が返事をくれないから」

 岸の言葉に、わたしと総一郎ははっとして二人の顔を見る。それから互いの目を見る。「大丈夫?」「多分大丈夫」と目で会話する。渚は一瞬黙った。それから口を開いた。

「それは、今じゃないから」

「いつならいいんだよ」

「受験が終わったら」

「本当?」

「本当だってば!」

 渚が思わず大きな声を出す。彼女の後ろの男子が振り向いてこちらを見たが、すぐに参考書に戻っていった。渚は突然お弁当をかき込むように食べ、わたしたちの前で全て食べ終えると、

「こんな時期にかき乱すのはやめてよね」

 と言って自分の席に戻ってしまった。

「岸ー」

 わたしが岸の顔をじっとりとにらみつけると、彼は少し気分がよさそうな顔で答えた。

「悪い」

 悪い、じゃないよ、と言いそうになったけれど、彼の安心した顔を見たら今までの彼が気の毒になったのでやめた。彼と渚の関係の進展は長期戦になりそうだ。今までも充分長期戦だったけれど。

 お弁当を食べ終え、わたしは言った。

「受験が終わったら、何もかも変わるよ」

 良いほうにか悪いほうにかはわからないけれど。総一郎は「そうそう」と引き継ぐ。

「だから皆悔いのないように色々やっとかなきゃな」

 その色々とは、岸の恋も含まれるだろう。わたしは岸がお弁当を済ませて参考書を開くのを眺めながら考えた。渚と岸はどうなるのだろう?

 食事が済んだので、わたしは総一郎と連れだって二階の購買部前に行き、テーブルセットの椅子に座った。

「はー、受験前にもかかわらず色々あるー」

 わたしがつぶやくと、総一郎が笑った。

「岸はずっと好きだもんな、雨宮のこと。学校が別々になる前に決めときたいんだろうな」

「そういえば、岸はどこの大学受けるの?」

「あー。大阪の大学みたい」

「え」

「そう。雨宮は京都の大学だからな」

「近いじゃん。敢えて?」

「それは違うと思うけど、まあ、うまくいくといいよな」

「そうだね」

 わたしたちはしみじみと微笑み合った。それからわたしはふいに思いついたことを言った。

「受験が終わったら、また皆で総一郎の家に集まろうよ」

「何でおれの家? 岸とか雨宮とか」

「単純にわたしがまた行きたい」

 総一郎が声を出して笑う。それから「いいよ」と笑ってくれる。

「で、総一郎もわたしの家に来てほしい」

「えっ」

「お父さんが総一郎とちゃんと話したいって言ってたよ」

「うわ、いじめられそう」

「多分ね」

 わたしたちは笑う。こういう、学校での普通の時間がとても少なくなってきている。あと二ヶ月足らずでもうこの学校には来なくなる。それが寂しい。わたしは総一郎との会話を、噛みしめるように味わう。大笑いしてしまうような劇的な楽しさはないけれど、総一郎と話すと柔らかくていい気分になる。

 センター試験は、あと一週間足らずだ。こういう日常の楽しさは、これからしばらくないだろう。

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