見晴らし窓
「お父さん」
朝食の席で、わたしは父に声をかけた。父は眉を上げ、わたしを見る。
「W大、受けちゃ駄目、なんだよね」
「駄目だ」
父は不機嫌そうにご飯をかき込んだ。
「そう」
わたしは下を向く。不思議と、ショックではなかった。どうせ、入れてもついていけるかどうかわからないのだ。諦めたほうがいいのかもしれない。
日曜日なので、出かけることもせずゆっくりと過ごした。勉強をせず、お菓子を食べたり漫画を読んだりする。夕方になるまでそうやって過ごした。
ジュースを飲みたくて居間に下りると、テレビがついていたのでテーブルの上のリモコンを取り、消した。テレビ台の横の棚には、わたしが集めたDVDがたくさん入っている。よくこんなに集めたなあ、と思う。自分の小遣いで買ったり、夏子にもらったりした。忙しくても一週間に二、三本は見た。
「イヴの総て」など、ベティ・デイヴィスの出演作品のパッケージを眺める。何も感慨はなかった。DVD、片づけようかな、と思った。居間に置いていても家族の邪魔になるかもしれない。一つずつ出して、重ねていく。
「見晴らし窓をつける」
ふと、言葉が頭に浮かんだ。確かこれは、ベティ・デイヴィスの最晩年の作品の台詞の一部だ。海を背景にしたこのシーンを見て、わたしは自分を開こうと思ったのだった。他人に自分を開いてみせる。自分に自分を開いてみせる。
突然涙が出た。できてないじゃないか。わたしはわがままに振る舞っているだけ。自分の思うがままに突っ走るだけ。どうしようもない自分がふがいなくて、泣けてくる。
映画、もう一回だけ観よう、と思った。最後の一回。それでもいい。
*
「総一郎。わたし、お父さんにW大受けるなって言われた。東京に行っちゃいけないって」
わたしは購買部の前のテーブルで向かい合っている総一郎に告げた。総一郎は、目を見開いてわたしを見る。心底驚いているようだった。
「何で?」
総一郎が訊く。わたしは説明をした。総一郎のせいではないことを言い添えて。総一郎の顔がどんどん曇っていく。
「じゃあ、歌子、S大受けるの?」
「お父さんはそうしてほしがってる」
総一郎は頭を抱えて下を向いた。総一郎がこんなにショックを受けるなんて、少し驚いた。だって、総一郎は何度も「大丈夫」だと言っていた。
「歌子」
「何?」
「おれは、大丈夫だって言った」
「うん」
「でも、本当は自分に言い聞かせてた。大丈夫だって思いたかったから。でも、本当は不安だ」
わたしは驚いて彼を見る。彼は唇を噛み、こう言った。
「歌子が同じ東京の大学を受けるって言ったときは、ラッキーだなとしか思わなかった。離れても大丈夫だって、前は思ってたから。でも、思ったよりそのことに依存してたみたいだ。それを聞いて、すごく不安だ。別れ……てしまうんじゃないかとか、互いに何とも思わなくなってしまうんじゃないかとか」
わたしは彼の悲しそうな顔を見て、ぎゅっと胸を引き絞られる思いをした。総一郎も、不安だったのだ。わたしよりずっと不安だったのかもしれない。わたしは軽々しく「寂しい」と言っていたけど、彼は一言も言わなかった。言葉にするのが怖かったのだろう。今度はわたしが言わなければならない。
「わたしたちは、大丈夫」
総一郎は顔を上げた。意外そうな顔だった。
「大丈夫ったら大丈夫。離れて暮らそうが、誰かにつき合いを否定されようが、時間が経とうが大丈夫。絶対に、大丈夫。というおまじない」
「何だ、それ」
総一郎は、ようやく笑った。わたしも笑う。おまじないに頼る以外にどうしようもない。でも、よく効くような気がした。現に、わたしも総一郎もほっとした顔になっている。
「歌子、夢があったのに、おれのせいでこんなことになってごめんな」
総一郎が、すまなそうな顔でわたしに言った。わたしは笑う。
「大丈夫だよ。わたしはもう一回お父さんに頼むから」
「そうなの?」
総一郎が驚いた顔をした。
「うん。必死で頼む。駄目なら、自分で働いて学費を稼げばいいんだし」
総一郎の目が真ん丸になる。甘ったれのわたしから出た言葉とは思えないのだろう。
「それに、わたしには武器があるんだ」
「武器?」
「うん。内緒だけど」
総一郎は生き生きした表情になってきた。わたしの中の活力が彼に移ったかのようだった。
「歌子、最近元気なかったのに、信じられないくらいやる気満々だな。よかった」
わたしはにっこり笑う。
「映画を観たの」
「へえ」
「自分の胸に見晴らし窓をつけて、じっくり自分を開いてみたの」
総一郎は訳が分からない、という顔をしたが、何だか満足げに微笑んだ。
「よかったよ」