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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校一年生 二学期
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雪枝さんと篠原と終業式

 それから数日経って、わたしは雪枝さんに会うことができた。あの新古書店の匂いがする少女漫画だらけの彼女の部屋に行き、狭い床に座り込んで、お互いの大変だった話をする。雪枝さんは職場のアルバイトが突然辞めてしまって、穴埋めが大変だったらしい。ストレスでハゲそうだった、と笑う。社会人は大変だ。

「拓人君とはどんな感じ?」

 床の上に座り、梅昆布茶を飲みながら、雪枝さんは訊いた。

「気まずいからそのまま」

 とわたしは答える。拓人についてはこう答えるしかない。雪枝さんはため息をつく。

「いつかまた仲良くできたらいいね」

 拓人は人生で一番仲良くしてきた人だから、わたしもそうしたい。でも、今は一生そんなことは叶わない気がしている。

「拓人を振った次の日から、わたしについての変な噂が広がったみたいでね」

 わたしが話すと、雪枝さんが心配そうな目つきになる。

「クラス全体がわたしに冷たくなった。女子だけじゃなく、男子も」

「ひどい」

 雪枝さんは顔をしかめた。彼女が何か言いそうに口を開くのを、わたしは遮った。

「でも、昨日篠原が話しかけてくれてね、わたしすごく嬉しい」

 わたしがにっこり笑うのを、雪枝さんは不思議そうに見詰めた。教室で浮いていて孤独な人間の発言ではないように思えるのかもしれない。でも、今はあの日以前の完全に一人だったころよりはずっと楽しいのだ。お弁当を食べる相手がいなくても、朝のホームルームの前や移動教室のときに篠原と話せる。授業の間の十分休憩は短いけれど、わからない問題を訊きに行ったりできる。もちろん以前みたいに篠原にべたべたしないように気をつけている。効果のほどはよくわからないけれど、またレイカたちから呼び出しを受けたりはしていない。約束に縛られるのはちょっとだけ窮屈だ。でも、篠原との約束なら、とわたしは普通の女子高生の型からあっちこっちに飛び出した自分を折り畳む。わたしはわたしでいるしかない。それはそうだ。でも、足りない分は補いようがなくても、飛び出した分はしまうことができるのだ。簡単なことだ。

「うーん、歌子は歌子のままがいいと思うけど、篠原君の言うとおりにするのは、確かに賢いかもね」

 わたしの説明を聞いて、雪枝さんは思案顔で言った。

「わたしもね、好き放題やってた今までは楽しかったけど、しょっちゅう嫌われて苦しいことが多かったから賢いほうを選ぼうと思って。家族や雪枝さんや篠原とだけいるときに、今まで通りの自分に戻るよ」

 わたしは笑う。雪枝さんがわたしをじっと見詰め、

「篠原君とずいぶん仲良くなったんだね」

 と言う。わたしはにっこり笑う。雪枝さんは黒縁眼鏡の奥からわたしに視線を送り、

「篠原君、きっと歌子のことを守りたいんだね」

 と笑った。にやにやと。ああいつもの感じだな、と思う。

「そうだね。友達だから」

「友達だからって、こんなアドバイスするかな?」

「もう、雪枝さん。篠原は友達だってば」

「あ、そうだ。篠原君の写真見せて」

 雪枝さんの口調が急にからっとしたものに変わった。わたしは苦笑しながら携帯電話を取り出して写真を表示させた。笑顔のわたしと真顔の篠原。何だか面白い。

「これが篠原君! 身長何センチだっけ?」

 雪枝さんが写真を見ながら訊く。

「一八〇センチ越えてるんじゃないかな」

 教室の出入り口をくぐるときに頭を引っ込めているのを思い出すに、かなり高い。

「へえ! 何というか、少女漫画に出てくる感じじゃないけど、アクがなくて賢そうな顔だね。素敵な顔!」

 雪枝さんはたいそう気に入った様子だ。わたしは苦笑いし、

「そうかなあ」

 と言う。けれどしばらく考えて、

「そうかもね」

 とつぶやいた。


     *


 篠原との約束を守っていると、意外に篠原にべったりとはいかないことがわかってきた。わたしは朝が遅いから、滅多に朝のホームルームの前に篠原と話す暇がないし、十分休憩は短くて、予習や小テストの勉強で忙しいから移動教室のときくらいしか篠原と一緒にいられない。昼休みは別々だと決めたし、帰りのホームルームのあとは学級委員長で書道部の篠原が忙しい。隙を見つけてようやく、という具合だ。

 でも、それがよかったのだろう。篠原とわたしがつき合っているという噂は消えてなくなったらしい。少なくとも男子はほとんど忘れたらしくて、周りの席の男子が今までどおり挨拶をしてくれるようになった。

「結局、町田は彼氏いないの?」

 放課後、左隣の後藤君がわたしに訊いた。多分彼の頭の中にあったのは噂の真相を確かめようという考えだが、気にしないことにする。

「彼氏いたことないもん」

 わたしはにこにこ笑って答える。後藤君の前の席の木下君は、「嘘だあ」なんてつぶやいている。

「本当だよ。好きな人もいないし」

 わたしが笑って言うと、二人は顔を見合わせた。事実なんだから仕方がない。

 わたしが自分を抑えるようになってからしばらくして、クラスの女子のわたしに対する態度が段々柔らかくなってきた気がする。授業中、右隣の村田さんが落とした消しゴムを拾ってあげたら「ありがとう」と笑ってくれたし、体育で二人一組の準備体操をするとき、わたしがいつまでも余ることはなくなった。このまま新しく女の子の友達ができるだろうか。そんなことを思っているうちに、終業式がやってきた。


     *


 校長先生の話や業務連絡が済み、ちょっとずつ暖まってきていた体育館から冷え切った渡り廊下に出た。これから教室に戻り、担任の田中先生の業務連絡があり、二学期の成績表が配られるのだ。わたしは前を行く篠原を追いかけて早足になる。

「篠原」

 声をかけると篠原は小さく笑って歩く速さを緩めてくれた。

「成績表、楽しみでしょ」

「別に。大して変化ないし」

 篠原は本当に関心がなさそうに見える。

「イヤミだなー。出席率もいいし、変化しないのは当然だろうね」

 わたしが口を尖らせると、篠原はふっと息を漏らして笑い、

「町田はどうなんだよ」

 と訊いた。わたしは嬉しくなりながら答える。

「この間の試験結果がよかったから上がってるに違いないと思う!」

「うわ、イヤミー」

 篠原がわたしをからかう。わたしは一瞬篠原の腕を軽く叩いてやろうかと思ったけれど、周りにたくさん人がいるのでやめておいた。

「ねえ、篠原。皆がわたしに優しくなってきたよ。多分三学期には一部の女の子とは仲良くなれる。篠原のお陰。ありがとう」

 小声で言った。篠原は目を三日月型にして微笑んだ。それからわたしの高さに合わせて屈んで、

「いいよ」

 とささやいた。

 教室につくと、まだ若い男性教師の田中先生は全員が揃ってから短く話を済ませ、順番に成績表を配った。笑う者、呻く者、色々いるがわたしは喜んでいる。成績は思ったよりよかった。ずる休みを一日したけれど、期末試験の結果が穴埋めしてくれたようだ。篠原のほうを見ると、彼はやはりたくさんの人に囲まれて成績表を奪い取られていた。一学期と同じ風景。一学期には呆れて眺めていたけれど、今は何だかおかしくて笑ってしまう。

 篠原の周りに人気がなくなるのを待って、わたしは彼の席に近づいて、話しかけた。

「一位だった?」

「一位だった」

 篠原はわたしを見上げる。椅子に座っているから。珍しい角度だなあと思う。彼がふと横を向いたときに気づいたのだが、篠原の短く刈り込んだ髪は、後頭部で二つの渦巻きを作っている。篠原はつむじが二つあるようだ。

「いいな、一位」

「そうかな」

「篠原、冬休みはどうするの?」

「何も。多分本を読んだり、友達んちに行ったり……」

「年賀状は?」

「ああ」

 篠原は思い出した顔だ。すっかり忘れていたらしい。

「わたし、篠原に年賀状出すよ。篠原もちょうだい」

「いいけど」

 わたしは一気に嬉しくなる。

「毛筆で書いてね」

「ええっ」

「書道部でしょ?」

 篠原は渋々承知してくれた。その場で住所をメモし合う。篠原はわたしと同じ区内のマンションに住んでいるようだ。わたしは篠原のきれいな字で書かれた年賀状が楽しみで仕方がない。

「町田は冬休みどうするの?」

 篠原が訊く。わたしは考える。夏休みほど賑やかなものにはなり得ないのは確実だ。

「年賀状書いて、クリスマスに家族でパーティーやって、大晦日に大掃除して……。あとはお正月に家族で初詣だなあ」

「結構忙しいね」

「毎年のことだけどね」

 わたしはふと思いついたことを言ってみることにした。

「篠原、クリスマスイブの夜……」

 そのとき、教室の隅で誰かが立ち上がる音がした。振り返る。拓人だった。拓人はわたしが呆然としている前で、鞄を持って教室を出て行った。わたしのほうを見ることもなく。

 篠原も拓人のほうを見ていた。わたしは篠原がこちらを見たとき、こう答えた。

「何でもない」

 本当は、クリスマスイブにアーケード街のイルミネーションを見るのに誘いたかったのだ。けれど、そんなことをするのは何だか拓人に悪い気がした。

「それじゃ、わたし帰るね。また来年」

「うん、また来年」

 篠原は椅子に座ったまま手を振り、微笑んでいた。わたしは席に戻って紺色のコートを着て、黄色いギンガムチェックのマフラーを首に巻き、篠原に手を振って冷たい廊下に出た。

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