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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校三年生 二学期
138/156

お祝い

 家で勉強をしていると、ノートの横の携帯電話が鳴った。数学の応用問題に集中していたわたしは、煩わしい気分で手に取った。見ると、雪枝さんからだった。突然明るい気分になる。この時期に電話があるということは、何なのか決まっている。電話を取る。

「もしもし?」

「もしもし、歌子?」

 電話で訊く雪枝さんの声は、微妙に本当の声と違う。でも、嬉しそうに笑っているのはわかる。

「電話なんて珍しいね! もしかして……」

「そうでーす。合格しました!」

 どうやら、わたしの予想通り、二次試験に受かったらしい。わたしは立ち上がって「すごい!」と叫ぶ。電話の向こうで雪枝さんがくすくすと笑う。

「あとは勤務先が決まるのを待つだけ。来年度から先生だよ、わたし」

「すごいすごい! うわー、すごい!」

「歌子、『すごい』しか言ってないよー」

「だってすごいんだもん。ねえねえ、お祝いしようよ」

「そう言うと思った! あのね、母が手料理を振る舞ってくれるらしいんだよね、わたしの実家で。応援してくれたんだから、歌子と渚も呼べって。他の家族もいるけど、来てよ」

 雪枝さんには渚と仲直りできたことを話していた。また二人で雪枝さんに会えるなんて、ラッキーだなあ、と思う。

「もちろん! 中村先生の料理、楽しみだなあ。和風? 洋風?」

「和洋折衷が多いかな。お母さんの唐揚げ、すごくおいしいから楽しみにしててね!」

 しばらく話してから電話を切り、椅子に座る。興奮がとまらない。わたしも頑張ろう、と思う。夢を叶えよう。


     *


 翌日、渚と共に雪枝さんのアパートに行くと、雪枝さんがお洒落をして待っていた。これから一緒にバスに乗り、中村先生の家に行くのだ。雪枝さんは自分用の車を持たないので、去年の荷物を運んだ日のように皆で車に乗るわけには行かない。

 皆でわいわい話をしながらバスに乗り、後部座席でまたおしゃべりをする。雪枝さんが二次試験の面接を、微に入り細を穿つように話してくれる。わたしは高校に入るときに簡単な面接を受けたきりなので、何だかとても恐ろしく、興味深いものとして聞いた。

 バスから降り、見覚えのある風景を眺めながら歩く。古い平屋建ての一軒家が多いこの地域は、やはりわたしの住む地域とは違うなあと思う。

 中村先生の家が見えてきた。コンクリートブロックに囲まれた、クリーム色の二階建ての家。雪枝さんがチャイムを鳴らすと、中から足音がして見知らぬ女性が顔を出した。セミロングの髪を焦げ茶色に染めたかわいらしい女性で、三歳くらいの男の子を抱いている。どうやら雪枝さんのお兄さんの奥さんらしい。男の子は多分甥っ子だ。

「由子さん久しぶり。風太も」

 雪枝さんが言うと、女性は「久しぶり」と笑って返し、男の子は「こんにちは」と幼い声でわたしたち全員に声をかけてくれた。わたしと渚は少し気後れをしながら挨拶をする。中村先生以外の雪枝さんの家族に会うのは初めてだからだ。

 もしかして、家族が全員揃っているのだろうか、と思ったらそうでもなく、本格的な家族のお祝いの席は夜行うのだそうで、お父さんとお兄さんはいないらしい。

 由子さんに招かれるまま家に上がり、居間のソファーに座る。すぐにエプロンをつけて中村先生がやってきた。料理を運んできたのだ。

「町田さんに雨宮さん、よく来てくれたわね」

 大皿に乗った唐揚げが、どん、と大きめのテーブルの真ん中に載った。それから雪枝さんがトマトとモッツァレラチーズの下にパスタが敷かれた中くらいの皿を、とん、とん、と置いていく。わたしたちが慌てて立ち上がって手伝おうとすると、中村先生が「座ってなさい」と命じてすぐに豚の角煮やらサラダやら酢で煮た卵やらを持ってくる。どうやら、かなりのご馳走のようだ。最後に雪枝さんがコップとお茶とジュース、箸を持ってきて、準備は終わった。テーブルは料理でぎゅうぎゅうだ。

 雪枝さんが座り、中村先生もあれこれチェックしてからうなずいて座り、由子さんも風太君を床に下ろし、座る。風太君はテーブルの上の食べ物を物珍しげに眺める。

「じゃあ、食べましょうか」

 中村先生が微笑んだ。わたしたちはめいめいにいただきますを言い、箸をつけた。雪枝さんは真っ先に唐揚げに箸を伸ばし、口に入れると心からおいしそうに笑った。本当に好きらしい。どれもとてもおいしく、中村先生は料理上手なんだな、と思う。でも、雪枝さんはまだ誰からもお祝いを言ってもらっていない。わたしの中では、まず「おめでとう」と皆で声を揃えてから食べ始めるイメージだったのだ。よその家というのは不思議だ。

「でも、よかったですね。雪枝さん、合格して」

 由子さんが微笑む。風太君が不思議そうに彼の母を見る。まだ意味がわからないらしい。中村先生はうなずき、

「よかったわ。でも、これからが大変なんだけどね。まず一年やるのが大変だし、担任とかになるとまた大変だし、とにかく続けるのが困難なのよ」

「大丈夫だって。わたし、やめたりはしないし」

 雪枝さんがにこにこ笑う。中村先生は、

「まあ、信用はしてるけどね。あなたは大丈夫だって」

 とモッツァレラチーズを頬張る。わたしは本当に信用し合ってるなあ、と感心する。うちとは大違いだ。

「でも、よかったわ。町田さんと雨宮さん、仲直りしたのね」

 中村先生がわたしを見て微笑む。それにぎょっとしたわたしと渚が、お互いを見る。中村先生は何もかもお見通しだったのだ。

「この二人は大丈夫だよ。本当に仲いいからね」

 雪枝さんはまた唐揚げに箸を伸ばしながら笑う。わたしたちは雪枝さんにもお世話になったな、と思う。中村先生も雪枝さんも、わたしたちに気を配ってくれている。

 皆で料理を食べ、唐揚げは全て消えたし、その他の品もほとんどない状態になった。わたしたちは満腹状態でおしゃべりを続けた。夕方が近い。わたしと渚も帰らなければならない。

「じゃあ、帰るね、雪枝さん。本当におめでとう」

 わたしが言うと、雪枝さんが笑った。雪枝さんは夜からのお祝いの席にいなければならないので、残るのだそうだ。

「中村先生、ご馳走様でした。ほんっとうにおいしかった!」

 渚が笑うと、中村先生はうなずいて微笑む。

「わたしからも一言。皆さん本当に応援してくれてありがとう!」

 雪枝さんが突然頭を下げた。わたしたちはその勢いに驚いて、彼女を見る。頭を上げず、しばらくそのままで、どうやら泣いているように見えた。

「この子は。もう泣いてどうするの」

 中村先生が雪枝さんの肩を抱く。

「わたし、頑張る。生徒のために全身全霊を傾ける。お母さんみたいな、教師になる」

 中村先生がぐっと涙をこらえる顔をした。

「うん。頑張りなさい。あなたなら、やれます」

 雪枝さんが顔を上げた。それから涙で濡れた顔で、笑った。

 雪枝さんと中村先生が、わたしたちをバス停まで送ってくれることになった。雪枝さんは、初めて見せた涙が恥ずかしいらしく、ずっと無言だ。

 屋根つきのバス停に入り、しばらく話す。渚は雪枝さんと、わたしは中村先生と。

「あ、町田さん。原さんは今、あなたに対してどんな感じ?」

 急にレイカの名前が出て驚く。それでも一応答える。

「今は、そんなに悪くない関係かなって思います。昔みたいに仲良くしてないけど、わたしは原さんのこと、そんなに嫌いじゃないかなって」

「そう」

 中村先生はうなずき、考える顔になった。レイカのことを訊いて、どうするつもりだろう。中村先生とレイカ。とても珍しい組み合わせだ。

「原さんとあなたのことも気にしてたの。でも、それなら大丈夫そうね」

 何がですか? とは訊けなかった。中村先生はすごい先生で、レイカのことも気にするだろうな、と思って納得する。

 渚と雪枝さんは大笑いしている。雪枝さんと渚がまた繋がったのも、ほっとする出来事だ。

 バスが来た。わたしと渚は乗り込み、雪枝さんと中村先生に窓越しに手を振る。

「いやあ、濃い一日だったね」

 渚が言う。わたしもうなずく。

「いいな。雪枝さん。いい関係のお母さんがいて、夢は叶いつつある。わたしのお母さんなんて、お父さんの言いなりだよ。夢はまだ叶ってないしさ」

 不満な顔をしていると、渚が口を尖らせる。

「うちだって、放任すぎて、あたしの存在は何なんだろうって思うよ」

 わたしたちは同時に大きなため息をつく。

「でもさ」

 渚が笑う。

「あたしたちももしかしたら、ああなれるかもしれない」

「中村先生と雪枝さんみたいに?」

 とても信じられない思いで訊くと、渚はうなずいた。

「ああなれるといいなって思うよ」

 渚は窓の外を見て笑った。わたしは曖昧にうなずき、同じ方向を見た。

 父と、仲直りできるだろうか。母は、いつか「お父さんに訊きましょうね」をやめてくれるだろうか。わたしは不安を胸に抱えたまま、バスに揺られて家路に就いた。

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