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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校三年生 二学期
133/156

許せない気持ち

 また、模試。三年生になってから、模試が増えた。日曜日がまた潰れる。クラス中が疲れている。ため息をつき、教科書や参考書を開くクラスメイトを、わたしは眺める。おしゃべりに興じる生徒はほとんどいなかった。いたとしても、短くひそひそと、だ。

 わたしは今回の模試でB判定以上を取りたかったので、張り切っていた。そのために、総一郎に勉強を教えてもらい、自分でも夜遅くまで机に向かっていた。疲れたら映画を観て、自分を燃え立たせていた。絶対に、わたしは目標を達成する。絶対に。今日は洗面所の鏡の前でそう自分に言い聞かせてきた。模試は、目安に過ぎない。けれど、わたしにとっては一つも無駄にできない階段の段の一つという感じがする。

 問題の一つ一つを、力強く解く。春に比べたら段違いに問題を理解できる。無心に試験に向かい、休み時間に入るたびに、きっといける、大丈夫、と肯定的な言葉ばかりを頭の中に並べる。

 昼休みになっても、色々と理由をつけて総一郎たちの一組には行かなかった。渚と会うのが気まずかったのだ。夏子たちとの昼食のあと、教科書とノートを開いてしばらく眺めたあと、わたしはふと立ち上がった。何の気なしに。

 廊下を歩いていると、大きながっしりした背中が見えた。岸だ。後ろから声をかける。振り返った岸は、考えごとから醒めたように、わたしをぼんやり見つめていた。

「一人?」

 わたしが訊くと、「町田こそ」と笑った。わたしは岸に笑いかけた。

「どう? わたしと同じく凡人組の岸としては」

「まあまあ。町田は?」

「まあまあ。というか、自信がある」

「おー」

 わたしたちはにこにこと笑い合った。それから黙った。岸が、何か言いたそうにわたしを見ているのだ。

「何?」

 わたしが訊くと、岸は気まずそうに切り出した。

「雨宮は町田のこと、好きなんだろ」

 わたしは体が強ばるのを感じた。表情も、きっと硬くなっている。それでも岸は続けた。

「ずっと前から知ってたよ。田中先生のこと、好きだってこともさ。二人も好きなんて、おれのライバル多すぎだよな」

 軽く茶化そうとする岸に、わたしは反応を示す余裕がなかった。この話題のときは、いつだってこうなる。

「でも、町田と雨宮は親友だろ? 仲直り、できるよ。いつか時間が経ってさ、いつかお互いが友達として絶対に必要な存在だって気づくと思う。傍から見てもそうだよ」

「できないよ」

 わたしの声は低く、かさついていた。

「渚はわたしを裏切った。友達としてのわたしを切って、恋愛対象としてのわたしを取った。許せないもん。元に戻るなんてありえない」

 岸は黙ったが、数秒ののち、「そっか」とうなずいた。わたしたちはぞれぞれのクラスに戻ったが、わたしの心は固く閉じていた。


     *


「誕生日、おめでとう」

 光がプレゼントを渡してくれた。今日は総一郎と会う日だが、その前にと呼び出されたのだ。よく行くコーヒーショップで、わたしと光は向かい合っていた。

「何が入ってるの?」

 ラッピングされたクリーム色のビニール袋を触ると、四角いものが感じられた。

「お菓子」

 光が笑う。

「好きでしょ? チョコレートのお菓子だよ。おいしいから是非とも篠原君と一緒に食べてよ」

「ありがとう」

 甘いお菓子は好きだ。好きなものをちゃんと考えてくれる光は、本当に気を遣ってくれる友達だと思う。ひとしきり話し、別れる。光はわたしと待ち合わせをするために、アーケード街に出てきてくれたのだ。ちょっとの時間なのに、わたしに会うためだけに。少し感動した。

 総一郎と会ったときも、その気分が続いていた。アイスクリーム屋のウインドウの前で待っていた総一郎は、去年一緒に買ったカーディガンを着ていてちょっとお洒落に見えた。わたしと会うために、わたしが選んだ服を着てくれる。総一郎は優しくて素敵な人だ。でも、暑そう。

「総一郎、無理しなくていいよ。汗」

 わたしはハンカチで総一郎の顔を拭く。手をうんと伸ばして。総一郎はちょっと恥ずかしそうに、上半身を低くする。

 誕生日を一緒に祝うのは、二回目だ。もうそんなにもなるか、と驚く。総一郎を未だにとても好きで、総一郎が未だにわたしを大事にしてくれるのにも驚く。

「誕生日、おめでとう。これ」

 総一郎は小さな包みをくれた。開くと、小さなオレンジのとかげのおもちゃだった。

「くだらないものばっかり贈ってごめんな。あのさ、歌子が一年のときに持ってたおもちゃとそっくりだと思って。もうそういうのは卒業してるかもしれないけど……」

「ううん。ありがとう」

 わたしは感激していた。総一郎はまだあのおもちゃを覚えていてくれたのだ。あのピンクのとかげは真っ黒になって、思い出のものを入れる箱に入れて押し入れにしまったが、愛着があったのだ。総一郎が贈ってくれたこのオレンジのとかげは、プラスチック製で、尻尾がちゃりちゃりと動いて、ボールチェーンがついていた。

「これ、鞄につけられるね。嬉しい!」

 わたしが笑うと、総一郎も笑う。何だか幸せだと思う。

「光からはね、チョコレートもらったの。あとで一緒に食べよ」

「光?」

「友達。去年わたしと同じクラスだったじゃん」

「ああ」

 総一郎は腑に落ちない顔だ。わたしは何だか不満を覚えて、総一郎の腕に絡みついてぐいっと引っ張って歩き出す。総一郎はわたしと同じ速度で歩く。

「歌子は、その、光って子と仲がいいんだ」

 総一郎が訊く。

「うん。映画行ったり、おしゃべりしたり、仲いいよ」

「雨宮は?」

 わたしはむっとする。そのまま黙って歩く。

「雨宮は、親友だろ?」

「もう、親友じゃない」

「え?」

「もう戻れないの」

 わたしは段々悲しい気分になってきた。周りの人たちの言葉で、あのときのことを何度も思い出さなければいけないのが辛かった。わたしは、確かに渚のことが大好きだった。未だに、渚のことを非難する人がいると混乱する。ひょっとしたら、まだ大好きなのかもしれない。

「戻れないよ。絶対」

 総一郎は、黙る。わたしは彼がわたしを心配してくれていることにやっと気づき、深呼吸をしてまた彼の腕に寄り添った。

「ごめん。総一郎にも言えないんだよ、色んなこと」

「そっか」

 彼は微笑む。微笑んで、わたしの気持ちを安らかにさせようとする。その気持ちに、心が引き絞られる。

「わたしの誕生日だってことは、総一郎のお母さんの命日が近いんだもんね。ごめんね。この時期はできるだけ穏やかな気分でいたいよね」

 総一郎はまた笑みを浮かべた。

「いいよ。最近はそんなに辛くないんだよ。落ち着いてきたんだ。歌子のお陰だよ」

「そんなことないよ」

「うち、今いい感じなんだ。今度、皆でうちに来いよ。料理を振る舞うよ。それからさ……」

 総一郎は自分の言葉をまずいと思ったらしく、黙った。わたしは「皆」に渚も含まれることに気づいていた。微笑み、うなずく。

「そうだね。すごく楽しみ」

 その日が来ることはないだろう。少なくとも渚とわたしが総一郎の家で並ぶ日は。それでも、笑った。総一郎は、ほっとしたように前を向いた。

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