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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校一年生 二学期
13/156

篠原と本屋と約束とメール

「篠原、部活は?」

 わたしは篠原と共に商店街に入りながら訊いた。商店が立ち並ぶ中、ほとんど人気がない。遠くで車の音がする。店と店の間に植えられた銀杏の葉が黄色くなって、わたしたちの足元に落ちている。篠原は空を見上げ、

「サボる」

 とつぶやく。わたしも同じようにしながらまた訊く。

「仲間や顧問の先生に怒られない?」

「書道部は自由度高いんだよ。いきなりいなくなっても気にされない」

「そうなんだ。篠原って、字、きれいだよね」

 わたしは篠原が黒板に書く、濁りや歪みのない文字を思い出した。篠原はわたしを見下ろしてちょっと笑う。

「一応師範の資格持ってるから」

「えっ。師範って、習字の先生?」

「うん」

 篠原は面白そうに笑う。

「かっこいい」

 わたしが満面の笑みで言うと、篠原は少し赤面した。無言になり、わたしはそれに合わせて黙る。アスファルトを靴で踏む音がする。わたしの靴の音、篠原の靴の音。商店街の小さなざわめき。色々な音が混ざりながら聞こえてくる。

「今度書道部の部室に行こうかな」

 わたしが独り言めかしてつぶやくと、篠原がわたしを見た。

「駄目だよ」

「どうして?」

「部室、狭いから。美術部と兼用なんだよ」

「廊下から見るから」

「いや、駄目」

「もう!」

 わたしは篠原の腕を軽くひっぱたいた。篠原は大袈裟に痛そうにして、そのあと声を上げて笑った。

 わたしは本屋に行きたかったので、篠原につき合ってもらうことにしたのだ。商店街の、昔ながらの店。周りは寂れ気味の商店だらけになり、人もまばらだ。でも食料品が安いから、わたしはよく母のお遣いとしてここに来る。

 本屋の前には看板やら自転車やら色々なものが置かれている。中を見るとわたしたちのような高校生や、年配の男性くらいしかいない。わたしと篠原は、ドアを押して中に入った。

「町田は何がほしいの?」

「少女漫画」

「そう」

 篠原はついて行けない、という顔だ。わたしは構わず少女漫画のコーナーに行く。

「あった。これね、すごく素敵なんだよ。学校中で一番の王子様が冴えない女の子を好きになる話」

「ん? 学校に王子がいるの?」

 篠原の頭の中にいる王子はわたしのイメージとは別のようだ。

「篠原、どんな王子をイメージしてる?」

 篠原は眉間にしわを寄せる。

「モーツァルトみたいな白いかつら被った、短パンに白タイツの……」

 わたしは笑った。篠原のイメージは硬直している。

「違うよ。学校一人気があるかっこいい男子の比喩」

「ああ」

 篠原の眉間のしわがほどけた。納得したらしい。

「女子はそういう男が好きなわけか」

「まあ大体は」

「町田も?」

 篠原がわたしの顔を覗き込む。わたしは首を振り、

「わたしは誰のことも好きになったことがないから」

 と答えた。しかし、どうやら回答を間違えてしまったようだ。篠原は黙ってしまった。

「これが王子様のお姿ね」

 わたしは沈黙を破って、漫画の表紙のきらきらした目の男の子を指差した。

「ん? これ、人間?」

「人間。しかも王子様だよ」

「わからん……」

 篠原には少女漫画が向かないようだ。読む気もなさそうだし、読む能力もなさそう。わたしはおかしくなってくすくす笑った。篠原はその少女漫画を手に取り、老人のように目を細めて見ていた。

 漫画を買ったので、本屋を出てぶらぶらする。篠原は無口なので、特に何も話さずわたしの隣を歩いていた。再び学校に向かっている。わたしの家は、ここから近い。

「ねえ、篠原。何でわたしを無視してたの?」

 わたしは何気なく訊いた。篠原はうなずき、答える。

「変な噂が流れてたから」

「噂?」

 篠原は少し言いにくそうだった。

「町田が浅井を捨てて、おれに乗り換えたって噂」

 わたしは何となく予想がついていたので、唇をへの字にして続きを促した。

「わざわざおれに訊きに来る奴がいてさ、わけがわからないよな」

「ごめん。篠原を巻き込んじゃった」

「いいよ。で、あまり町田に構ったら噂を裏づけることになるから、無視する形になった。こっちこそごめん」

「ううん。ありがとう」

 わたしは篠原を見上げた。本当に、感謝の気持ちで一杯だった。

「人の噂も七十五日って言うからさ、もうそろそろ話しかけてもいいんじゃないかと思って話しかけた。最近元気ないから心配してた」

「ありがとう。篠原、大好き」

 わたしが笑うと、篠原の顔が一気に赤くなった。わたしはまじまじとそれを見詰めていたが、篠原は顔を逸らした。

 また無言になった。篠原の顔の赤さはなかなか変わらない。校門の前に戻った辺りで、やっと顔色が元通りになった。

「町田。浅井のことなんだけど」

 数分ののちの篠原の言葉は、わたしの笑顔を消した。

「浅井もおれと同じだと思うよ。町田に構わないようにして、噂を必死で打ち消してた。だから、浅井は町田の味方だよ」

 わたしは無理に笑った。篠原はうなずき、

「おれも町田の味方だから」

 と言った。


     *


 結局、篠原は校門から真っ直ぐ続く道の先にあるバス停でバスに乗るのだとかで、わたしは家まで一人で帰った。寄り道せずに本当に一緒に帰ったら、校門まで歩いてあとは二手に分かれることになるようだ。篠原はわたしと話がしたかったらしい。その気持ちが、嬉しい。

 噂だって、篠原が話してくれた以外にもあったのかもしれないな、と思う。もっと残酷でいやらしいもの。ただあれだけなら誰とも目を合わせられなくなるなんて思えないから。篠原は一番肝心なことだけ教えてくれたのだろう。

 別れ際、お弁当を一緒に食べるのはやめようと言われた。わたしは女子に対するみたいに男子に接するから周りに誤解を与えるのだと。確かにそうかもしれない。この間篠原と写真を撮ったときだって、大変なことになった。篠原とご飯を食べられないのは寂しいけれど、そうしたほうがいいのかもしれない。その代わり、お昼以外は一緒にいていいし、たまには帰りに寄り道するのにつき合ってくれるらしい。嬉しい。


     *


「人は他人を全て受け入れるだけの度量がないんだ。町田がしたいことをしたいだけすると、誰かが不満に思うんだよ」

 篠原は言った。わたしは神妙に聞いている。

「その誰かを怒らせる前に、町田がやりたいことを引っ込めることも大事だと思うよ」

 校庭の高いフェンスの前で、わたしは篠原のほうに体を向けて、うなずいている。

「おれは自由奔放な町田のほうがいいと思うけど、そう思わないやつもいるから。これ以上傷つく前に、約束。な?」

 わたしは笑って応じた。篠原もあの小さな笑いを浮かべていた。篠原って素敵だな、と思った。わたしのために、色々考えてくれたみたいだから。篠原が言うなら、そうしよう。

「じゃあね」

 とわたしは手を振った。

「じゃあな」

 と篠原は言い、少し迷った顔になった。


     *


 家に帰って今日のことを考えた。いいことばかり起きた気がした。ベッドに座ってメールを打つ。

「篠原のお陰で久しぶりに楽しかった。ありがとう」

 送信したあと、少女漫画を読みながら待つことにした。今日買った分を読み終わり、他の本を読み返して、とうとう本棚を整理したのだけど、返事が来ない。篠原はメールが面倒なタイプなのかもしれない、と何だか悲しくなってきたころに、携帯電話のバイブレーションが鳴った。すぐさまメールを開く。

「ごめんふだんメールしないからおそくなった。よかった」

 わたしはひとしきり笑った。篠原はメールを打つのに慣れていないらしい。漢字が出せないみたいで、まるでお年寄りが書いたような文章。きっと何度も書き直したに違いない。篠原って面白いな、と思う。

 これ以上メールを送って時間を取らせるのも悪いので、「いいよ。また明日ね」という返事を送ってからそのまま放っておいた。すると、しばらく経ってからまたメールが来た。

「きょう、かえりにいえまでおくるべきだったかな」

 わたしはそれを読んでから、携帯電話をぎゅっと抱き締めた。篠原は、素敵だ。

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