朝礼と期末試験
翌週の朝礼で、岸が表彰されていた。剣道個人戦の三位というのは、本当にすごい成績なんだなあと思う。壇上に上がった岸は、いつもとは全く違った緊張した面持ちで表彰状を受け取っていた。大きな体を小さく縮こめて、らしくないなあ、なんて思う。五位の松井君も表彰された。一番周囲をざわつかせたのは団体戦の準優勝で、主将の松井君が受け取っていた。総一郎が一度も負けずに活躍したことを、大声で自慢したかった。
体育館から教室に戻るとき、総一郎たちと合流した。「やったね」とわたしが言うと、岸が「当然」と威張ってわたしたちは笑った。壇上での様子はとてもそんな風には見えなかった。
「表彰状は?」
渚が訊くと、総一郎が答えた。
「全部先生が持ってる。団体戦のは学校に置くし、個人戦のは額に入れてあとで渡すらしいよ」
「そうなんだ。二人とも、部屋はトロフィーや表彰状で一杯なんだろうね」
わたしが言うと、総一郎と岸は顔を見合わせた。総一郎がわたしに言う。
「おれは全部大事にしまってるよ」
岸は言いにくそうに答えた。
「居間に専用の棚があって、そこに全部飾ってある」
「嘘ー! すごい!」
渚が驚くのを見て、岸が参ったように笑う。
「両親が毎回すごく喜んでくれるんだよ。恥ずかしいんだけどさ、まあいっかと……」
「こいつの親、結構ドライな感じなんだけどな。トロフィーとか、一番目立つ場所に飾ってあってすごいよ」
総一郎が笑う。わたしは、トロフィーや表彰状で両親を喜ばせたことがないなとふと思う。
次の模試でいい成績を収めたら、喜んでくれないかなとも思う。この間の諍いから、父はあまり喜びを表さなくなっていた。わたしは去年の三倍くらい勉強していたけれど、そのことについて両親は何も言わない。やはり、わたしの希望する進路に反対らしい。
三人が剣道の話題で盛り上がっている間に、わたしは一人、進路のことを考えていた。最近は、前向きで明るい気分で何事もこなしていたけれど、たまにぼんやりしてしまうのだった。
「歌子、また意識が飛んでる」
総一郎がわたしの顔を覗き込んだ。わたしははっとして笑みを作った。
「ごめんごめん、大丈夫!」
こうやって総一郎がわたしを明るいほうに引き戻してくれるから、頑張れる。わたしは本当に総一郎に感謝していた。
*
「うわー、雨!」
わたしが叫ぶと、渚が窓の外を見た。いつの間にか、雨が本降りになっていた。梅雨に入ってから、本当に雨が鬱陶しい。降るたびに憂鬱になっていた。
「困ったね。歌子、傘は?」
「持ってる」
「ならいいじゃん」
「雨が降るだけで憂鬱だよー」
「そういうこと」
渚は笑い、席を立つ。
「どこ行くの?」
わたしが訊くと、渚は手を合わせて謝る格好になった。
「ごめん、あたし、田中に呼び出されててさー。多分この間課題忘れちゃったから、怒られるんだろうけど」
渚が世界史の課題を忘れるなんて、珍しいことだった。三年生になってから、渚は勉強も課題もしっかりこなしていたからだ。
「だから、先に帰って」
「わかった」
あとでわたしの家で落ち合う約束をして、別れる。わたしは一人で一階に降り、少し少女趣味に感じられ始めたピンク色の傘を広げて歩きだした。雨が傘の上で激しく鳴る。足元も濡れ始め、不愉快な気分になる。今日は総一郎も用事があるということで早く帰ってしまったのだった。わたしは一人、校門を抜ける。
「歌子さん」
聞き覚えのある声がして、足がとまる。嫌な予感がしたけれど、まさかと思ったので振り返ってしまった。内田が黒い傘を持ち、笑みを浮かべて立っていた。制服らしい開襟シャツ姿だった。ぞっとして、立ち尽くす。
「話があるんだ。ちょっとそこまでつき合ってくれない?」
わたしは走り出した。二十メートルほど走ってから振り向くと、内田はいなくなっていた。心臓が壊れそうなくらい激しく鳴っていた。多分、走ったせいだけではない。
家に着いてしばらくしてから、渚が来た。わたしの顔は多分青ざめていたけれど、渚も上の空で、わたしの様子に気がつかなかった。わたしは渚にさっきのことを言うことができず、黙っていた。
*
「総一郎! わたし、今日の教科は全部すっごく手応えを感じた!」
「よかったな」
わたしが一組に飛び込んで開口一番に報告すると、総一郎は笑ってこう答えてくれた。どうせ総一郎は毎回手応えを感じているのだろうけれど、気にしないのだ。
一昨日から期末試験が行われていた。わたしは日頃の勉強の成果が如実に現れることに感動していた。だから、この間のことも忘れ、はしゃいでいた。
「この間の模試も少しはわかるようになってたし、本当に少しずつよくなってるよ。わたし、頑張ってよかった」
総一郎がにこにこ笑う。数人だけにしか見せないリラックスした笑顔。わたしは微笑んでそれをじっと見る。総一郎は突然はにかんだような笑みになり、わたしから目を逸らす。どうやらじっと見つめすぎたようだ。
「渚はどんな感じかな。今度こそ総一郎を追い抜けそう?」
わたしが渚の席に行って訊くと、渚はぼんやりしてこちらを見るばかりで答えなかった。
「渚?」
渚がはっとする。聞いていなかったらしい。
「渚、元気ない?」
わたしが訊くと、渚は微笑んだ。
「大丈夫。元気だよ」
「総一郎は抜けそう?」
「もっちろん。今度こそあたしが学年一位! 万年二位とは言わせない! 理系科目は基本的にあたしが上だし」
「一点か二点だけだろー?」
総一郎がにやりと笑う。二人とも、理系科目はほぼ満点なので、差がつきにくいらしい。おまけに総一郎は文系科目もほぼ満点なので、文系科目の成績にばらつきがある渚はどうしても総一郎を抜けないのだ。
でも、渚はどうしたのだろう。この間から少しおかしい。
試験が終わったので、渚と一緒に帰る。わたしはこの間から校門を抜けるときは緊張するようになっていた。一瞬黙るわたしを、渚が不審そうに見る。
「歌子、この間から変じゃない?」
ぎくりとする。校門は通り過ぎて、誰もいなくて安心していたところだった。
「何かびくびくしてるような気がする」
「それを言うなら渚もぼーっとしてるよ」
わたしが言うと、渚は微笑む。
「ちょっとね。今度話すから、気にしないで。それより歌子だよ。歌子、何かあった?」
わたしは心配をかけたくなかったので黙っていたのだが、このまま内緒にするわけにもいかないので話し出した。総一郎の県大会で、内田に絡まれたこと。この間、内田に待ち伏せされていたこと。渚は怖い顔になって話をじっと聞いていた。
話が終わると、渚はちょっと怒りながらこう訊いた。
「何で黙ってたの?」
わたしは唇を噛み、心配をかけたくなかったんだよ、と言った。
「ストーカーじゃん。何かすごく思い込んでるよ、そいつ。ヤバいから逃げないと」
「でも、名前も学校も知ってるみたいだから、どう逃げればいいのかわかんないよ」
渚は盛大にため息をついた。
「歌子はどうしてそういうしつこい男にばかり好かれるんだろうね」
「ばかり?」
「浅井はしつこかったじゃん」
「それは性質が違うというか……」
「とにかく、内田はしつこいよ」
「どうしよう」
「帰りはあたしと帰ろう。それでも現れるんなら、総一郎にこてんぱんにしてもらうしかないよ」
「ええっ」
「それしかないでしょ。そういう手合いは女の意志なんて自分の頑張りで変えられると思うんだから」
わたしは落ち込んでしまった。変な人に目をつけられてしまったなあ、と思う。
どうしてこんな目に遭うのだろう。いい加減、自由になりたい。
*
次の日、渚は一緒に帰ってくれた。家まで来て、一緒に勉強して帰っていく。まさか、内田はまた現れたりしないだろうと思っていた。わたしだったら、走って逃げられたりしたら流石に諦めると思う。
でも、その次の日に内田は現れた。校門を出ると立っていて、炎天下にいたからかすごい汗をかいていた。渚と一緒に歩き去っていこうとするわたしに、内田は話しかけようとした。けれど、渚がすごい顔で睨みつけたのでひるんだようで、黙ってわたしが去るのを見ているのを感じた。
うろたえた様子を見て、少し可哀想だと思ってしまう。でも、ここで振り向いたりしたら余計面倒なことになってしまう。黙って歩く。
内田は部活をサボってまでここに来ているのだろうか。個人戦と団体戦で優勝したということは、次の大会のために練習をしなければならないということだろうに。現に総一郎も岸も毎日練習している。
そう考えると強い執着を感じてぞっとする。