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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 三学期
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レイカとの会話

 家に帰ってから、お遣いに出かけた。母から頼まれたのだ。

 春休みは色々予定を立てていた。渚と二人で遊んだり、美登里や夏子を交えたり、光たちと出かけたりするのだ。もちろん総一郎とも会うし、岸と渚と四人で遊ぼうと約束していた。雪枝さんとも会いたい。わたしは足取りも軽く商店街を歩いた。

 全ての買い物を済ませ、いつものように大通りに出てコンビニに向かう。わたしはコンビニに行くのが好きで、よくお菓子や漫画雑誌を買うのだ。コンビニに入ろうとして、駐車場を横切る。その途中で、わたしは気づいた。

 コンビニの横の路地に、他校の生徒がたむろしていた。煙草の煙が漂い、くつろいだ様子で話をしている。堂々としたものだ。わたしはそっと店に入ろうとした。

「じゃね、レイカ。わたしたち、帰る」

 彼らの一人が腰を上げて、奥の誰かに言った。女の子が奥から「えーっ」と不満の声を上げた。

「ここ目立つからさ。何なら夜会おうぜ。リョウ君ちに集まろう」

 髪を白っぽい金色に染めた男の子の一人が笑って答える。女の子は一瞬黙り、

「ごめん、ヒデ君に怒られるから」

 と答えた。他校の生徒たちは恋人のことで彼女をひとしきりからかってから、いなくなった。

 女の子が駐車場に出てきた。わたしは彼女と目が合い、動けなくなった。レイカは、わたしを見た瞬間顔をしかめ、持っていた煙草をリップクリームで光る唇に持っていった。紺色の制服を着たままだった。わたしはとっさに言葉を発していた。

「レイカ、煙草は駄目だよ」

 レイカは堂々と煙草を唇に挟み、吸う仕草をした。数秒の沈黙ののち、煙が口から出てきた。少し離れていたけれど、臭いがこちらまで伝わってきた。

「退学になるよ」

「別に、なってもいいし」

 初めて発した言葉には、何の感情もこもっていなかった。

「田中が『受験だぞ』『応援してる』っつってたね。笑っちゃわない? 受験しない生徒は目に入ってないんだね」

 レイカは唇の端を上げたが、目は笑っていない。わたしはつかつかと歩いて彼女に近づき、ちびた煙草を奪って地面に落とし、踏みにじった。レイカはそれを黙って眺めながらぼんやりしていた。

「レイカ、お父さんたちが心配するよ」

 わたしが言うと、レイカが笑った。面白いことを言われたみたいに。

「あんた、うちの親の本性を知らないのによくそんなことを言えるね」

 わたしは不思議に思ってレイカを見た。彼女は笑っていて、その顔は幼くて可愛らしいくらいだった。彼女の両親には数回会ったことがある。彼女と仲良くしていたときに、家を何度も訪ね合ったから。父親には一回しか会ったことがないが、真面目そうな、むしろ厳めしい表情をした人で、わたしは少し怖かった。母親はレイカによく似ていてきれいな人で、お菓子やジュースをよく出してくれた。でも、それだけだ。頻繁に会ったわけではないから、印象はほとんどない。わたしの表情を見て、レイカはもう一度笑った。

「年度末の成績表見せたらさ、わたし、きっと叩かれるよ」

「叩かれる?」

「顔を平手で叩かれる。まあいつものことだけどさ」

 わたしが驚いていると、彼女はうなずき、

「そうだろうと思うよ。あんたは優しい両親に大切に育てられて、叩かれたこともなくて、成績はまあまあで……。とにかく幸せに育ったんだよね」

 わたしは固まったままレイカの言葉を聞く。彼女は微笑む。わたしを蔑むように。

「わたし、中学のときは成績よかったんだよ。あんたは知らないだろうけどね。親もたまにしか叩かなくて、高校に行ったらもっと頑張ろうって思ってた」

 高校でのレイカの成績は、いつも赤点すれすれで、彼女は試験があるたびに不機嫌になっていたものだった。わたしはそんな彼女をあまり気にしたことがなかった。友達だと思っていたときも、そうだった。

「高校入ってから赤点取るたびに罵倒される。この程度じゃ駄目だ、もっともっと、って追い立てられる。最初は頑張ったよね。せめて赤点を取らなくていいように。でも、それじゃあ駄目なんだよね。もっと上じゃないと。どこまで上なのかわからないけど、もっと上。二人とも頭よかったらしいからさ、わたし程度じゃ駄目なんだね」

 レイカは真顔になった。思い詰めたように地面を見つめた。

「ヒデ君だけがわたしを全部受け入れてくれるの。わたしの汚いところも馬鹿なところも。全部かわいいって言ってくれるの。だからわたしはヒデ君がいくら浮気したって平気。でもね、歌子。あんたと浮気するのだけは許せなかった」

 本当は違ったけどね、とレイカは笑う。わたしは黙ったまま硬直している。

「あんたはわたしと違って親に愛されて育って、仲良くしてるわたしがいくら苦しんでてもぜーんぜん気にしてなくて、成績が中くらいだから残念、なんて言ってた。あの子はぼーっとしてるけど悪い子じゃないし、気にしないようにしないと、と思ってずっと我慢してた。でも、ヒデ君と浮気したと知って、絶対に許せなくなった。もう、断固として許しちゃいけないって」

 わたしは怒りが一瞬燃え上がるのを感じた。でも他の感情がわたしの怒りを吹き消した。わたしが無神経に振る舞っていたのは確かだったのだから。

「皆に歌子はこんな子なんだよって泣きついた。皆わたしの味方をしてくれた。あんた、人望なかったもんね。空気読めないし、にこにこ笑ってるだけだし。ああいうの、よくなかったと思うよ」

 わたしは唇を開き、また閉じた。口の中がからからだった。舌がうまく動かない。

「浮気相手があんたじゃないとわかったからさ、許してあげようと思ったのに、あの態度はなかったんじゃない?」

 今となってはどうでもいいけどね、とレイカは笑う。

「光と何人かはあんたのほうを選んだ。わたしは力を失った。前みたいに自分に輝きを感じないんだ。あんたはきらきら輝いて、人を惹きつけて、昔みたいに嫌われるような振る舞いをしてない。何かさー、わたしの時代は終わった、って感じ」

 乾いた笑い声を上げ、レイカはわたしの顔を覗き込んだ。

「どうしたの? 何で何にも言わないの? わたしのこと、嫌いでしょう?」

 わたしは一拍置いて、彼女の目を見た。それから、頭を下げた。

「悩んでること、気づかなくてごめん。仲良しのふりしてただけなんだね、わたし」

 顔を上げると、レイカは目を丸くしてわたしを見つめていた。わたしは真っ直ぐ彼女に視線を向ける。

「だけど、レイカのやり方は汚いし、わたし、本当に苦しかった。嫌われやすい人間だって、わかってる。でも、レイカと仲良くできて本当に嬉しかったんだよ。こんなわたしにも友達だって呼んでくれる人ができたんだって。レイカは明るくて気が利いて人気者で、本当にいい子だと思ってた。わたしはさ、昔から自分が何をやらかしたか、数秒遅れて気づくの。でも、言っちゃいけないことを言って、しまったと思ったときにレイカは笑って『いいよ』って言ってくれた。ストレスかけてたなんて知らなかった。ごめんね。けど、わたしの駄目なところをはっきり言ってほしかった。もうつき合いたくないなら、皆を巻き込まずに『もう無理』って言ってほしかった」

 レイカは黙ってアスファルトの地面を見つめていた。ちゃんと聞いてくれている、とわかっていた。

「わたしは、いくらか大人になった。過去の自分のいけないところが、少しわかるようになった。わたしはわたしだ、って未だに思うよ。誰に何を言われようが変えようがないって。わたしはどうしても人間関係に目端が利かなくて、他人には見える心の機微がわからなかったの。今は少し見えるけど、前のわたしは教育を受けてない幼稚園生が九九を言えないのと同じで、全くわかってなかった。だから、変えようがないって思う。でも、色んな出会いで変わった。周囲に変えてもらった。前だったら、レイカに今のことを言われてもわからなかったと思う。今はわかるよ。本当に、気づかなくてごめん。レイカの苦しみも、苛立ちも、気づくべきだったのに」

 わたしはもう一度頭を下げた。レイカはぽつりとこう言った。

「いいよ」

「え?」

 頭を上げ、わたしはレイカを見た。わたしより少しだけ背の高い彼女は、こちらを見て、自分に困惑したような顔をしていた。

「別に、いい。謝ってくれるんなら、もういい。そもそもさ、謝るようなことでもないよ。わたしはあんたに親のことを黙ってたし、他のことも全部黙ってた。だから、気づかないのは仕方ないことで……。わたしは……」

 レイカは本当に混乱していた。わたしが謝ったことが、彼女をこれほどに戸惑わせるようだった。

「わたしは、あんたのことが嫌いだった。このまま嫌いでいるんだと思ってた。仲間外れにしても、罪悪感なんて湧かなかった。謝られると、困る」

 そのまま、レイカは黙った。わたしとレイカは無言で立ち尽くしていた。不意に、レイカは言葉を発した。

「わたし、帰る」

 わたしはうなずいた。

「煙草のこと、心配してくれてありがとう」

 目を見開く。レイカはわたしと目を合わせずに、急ぎ足で歩道に出た。去っていく彼女の後ろ姿を、わたしは黙って見つめた。大通りの車道を走る自動車の唸り声が、わたしの横で何度も聞こえた。おそらく彼女は恋人が住むアパートに向かったのだった。

 レイカのことが、それほど嫌いではなくなっていた。

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