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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 三学期
112/156

放課後の真実

 渚は笑って教室を出ていった。二人でわたしのクラスにいたのだが、親と食事に出かけるから早く帰るとのことで、うきうきした様子だった。渚も自分の両親のことが好きなのだなあ、と思う。無機質なくらい片づいた家やあまり家にいない両親のことを思うと、関係は冷え込んでいるのかと思いきや、渚の気持ちのほうはそうでもないらしい。

 わたしは立ち上がり、総一郎のクラスに向かおうと教室を出た。その途端、舞ちゃんとぶつかりそうになった。

「ごめん」

 と言うと、彼女は目を逸らして無言で教室に入った。少し虚しくなりながら廊下を行き、二組を覗いた。総一郎は、いなかった。渚がいるなら一緒に帰ってもいいと思っていたけれど、彼女ももう学校を出てしまったようだった。ちょっとがっかりしながら自分のクラスに戻る。舞ちゃんは、相変わらずいた。机にノートを広げ、勉強している。テニス部はどうしたのだろう。わたしは喉がごくりと鳴るのを感じた。

「舞ちゃん」

 声をかけると、彼女は顔を上げて無表情にわたしを見、わたしが続く言葉を発するのを待った。

「部活は?」

「体調不良で休んでるの。お節介、やめて」

 よどみない答え。お節介、か。わたしはたじろいだ。この間からわたしはお節介ばかりしているような気がしたからだ。だって、わたしは今、舞ちゃんへの質問を用意していた。片桐さんのために。半分は自分のためでもあった。わたしも同じことをされたから。でも、確実に誰かから余計なことだと言われることだった。わたしが黙っているのを、舞ちゃんが見る。怪訝な顔だ。わたしは、訊いた。

「ねえ、わたしや片桐さんに変なメールを送ってたの、舞ちゃん?」

 時間がとまったかのように、舞ちゃんは表情一つ変えずにわたしを見ていた。わたしはどきどきしながら続けた。

「拓人に近づいたら、酷い内容のメールが届いた。わたしは着信拒否にしたきり来なくなったけど、片桐さんにはしょっちゅう届いて、拒否しても届いたんだって。見せてもらったら、舞ちゃんのメールアドレスで届いてた。……舞ちゃん、なの?」

 その途端、舞ちゃんがじろっとわたしをにらみつけた。わたしはどきどきしながらただ立っていた。どこか、信用していたから。舞ちゃんは、仲間外れにされていたわたしと普通に接してくれていたし、友達になってくれた。何かの間違いかもしれない。訊いてみればわかるかもしれない。そう思っていた。舞ちゃんは、口を開いた。

「そうだよ」

 心臓が激しく鳴り、胸が痛いくらいになった。舞ちゃんはただただわたしをにらみつけ、静かに怒っていた。

「それが何?」

「それが何、じゃないよ」

 わたしは驚いて言葉を発した。片桐さんがされたことや、わたしへのメールの酷い文面を忘れたとでも言うのだろうか。舞ちゃんは教室の真ん中のいつもの席で、盛大にため息をついた。

「ああ、片桐さんと友達になったんだよね。この間アドレス交換してたの、見たよ」

 舞ちゃんは薄笑いを浮かべた。わたしは呼吸をするのも困難に感じるほど、強ばっていた。

「そうやって自分が正しいって思う。自分が正しいと思ったらすぐに行動する。真っ直ぐに育ったんだね。でも正直言って迷惑」

「迷惑……?」

 わたしは自分の過去を思い出した。自分に正直に生きてきたわたしは、確かにそうやって迷惑がられたこともあった。むしろそのほうが多かったのだった。仲間外れにされた坂本さんに声をかけて皆から無視されたのだって、クラスの女子の輪を乱したからという理由もあるだろう。片桐さんのことで拓人に話しにいったら、笑いながらだけれどお節介だと言われた。わたしは自分に正直に生きて、損することが多かった。でも、それがわたしだし、そんなわたしに満足していた。けれど、目の前の舞ちゃんは冷たく蔑むように笑って「迷惑」だと言う。わたしが舞ちゃんのやったことを聞きただすのは、彼女の平和な生活を乱して不愉快な面もあるだろう。それでも彼女が片桐さんにしたことやわたしにしたことを思えば、狼狽するくらいの反応をもらえるかもしれないと思っていたのだ。謝罪の言葉がもらえなくても、「もうしない」くらいは言ってくれるかな、と。

 舞ちゃんは、こう続けた。

「わたしがあなたにしてあげたこと、覚えてる? わたしはクラス中から仲間外れにされてるあなたと友達になってあげた。わたしは、あなたを助けてあげた。ここまではわかる?」

 わかるけれど、言葉の端々が気になってうなずけなかった。舞ちゃんはそんなわたしの反応を待たずに続ける。

「わたしは、あなたを助けてあげた。だからあなたはわたしを敬って、大事にして、言うことを聞かなければならない。なのにわたしの忠告を無視して坂本さんのことを助けるなんて、どういう神経? あれは助けるタイミングではなかったの。皆がもういいって思ったら、徐々に親しくしていけばよかったの。だから忠告してあげたのに、無視した。そこでわたしはあなたのことが嫌いになった。あなたはわたしの言うことを聞く存在だと思ってたから」

「ちょっと待って。わたしはそんな存在になった覚えはないよ。だって……」

「それに」

 舞ちゃんはわたしの言葉を遮って大きく声を張り上げた。

「クラスには順番があるの。スクールカーストってやつ。このクラスで原さんが一番偉いの。彼女の言うことを聞かなければならないの。あなたはそれも無視したよね。……クラスの底辺まで落っこちたら、そこから這い上がるのは困難なのに。原さんに逆らって、彼女と対等の存在にでもなったつもり? 偉そうだよね。すっごく生意気。わたしは、あなたが大嫌い」

 わたしは呆然としていた。舞ちゃんの中の秩序は整然としていた。わたしからすれば、単純に決めつけすぎているという気がした。彼女は歪んでいる、と思った。

「舞ちゃん、それはおかしいよ」

 わたしの言葉に、彼女はつまらなそうに視線を向ける。

「わたしはこのクラスに在籍してるだけ。このクラスの生徒とも、たまたま一緒にいるだけ。順番や特権なんてないと思ってる。わたしは自由だって思ってる。わたしを嫌うのは自由だけど、そういう理由で嫌うのはおかしいと思う。わたしは助けてくれた舞ちゃんには感謝してるけど、言うことを聞かなきゃいけないとは思ってない」

 舞ちゃんは視線を机の上のノートに移した。整った字で書かれた数式を、ぼんやりと見つめた。

「わたしのことが嫌いだからあんなメール送ったの? だって、あのときわたしは舞ちゃんと話したこともなかった。片桐さんだって、嫌われる理由なんてない。おかしいよ、そっちのほうが」

 わたしは感情が高ぶるのを感じた。怒りと悲しみで、頭の中が熱くなっていた。だから、後ろに誰かがいるのに気づかなかった。

「そりゃあおかしいよねー。だってわたしが送ったんだもん。舞じゃない」

 新しい声に驚いて、振り向く。あやちゃんだった。舞ちゃんといつもくっついていて、とても大人しいあやちゃん。彼女は今、にやにやと笑ってわたしを見つめていた。ショートヘアの髪は、テニス部の活動のせいか乱れ、体操服を着た体はくつろいだように手をぶらりとさせていた。舞ちゃんが青ざめ、あやちゃんを見ていた。まるで叱られると思っているみたいに。あやちゃんは、言った。

「駄目じゃん、舞。わたしの罪を被るなんてこと、誰が許した?」

「ごめん」

「まあいいけど」

 舞ちゃんは先程とは打って変わって自信がなさそうな様子になった。わたしはこの二人のこの姿に、驚いている。だって、普段あやちゃんは舞ちゃんにつき従っているように思えたから。あやちゃんはわたしに言った。

「びっくりしてる? わたしたち、二人きりのときはいつもこんな感じだよ。わたし、本当は舞より偉いの」

 逆だと思った? と舞ちゃんは笑う。

「舞はねー、中学のときいじめられて以来、ああいう歪んだ考えを持ってるの。ごめんね、歌子ちゃん」

 いじめ? わたしは舞ちゃんのほうを見る。彼女は泣きそうに顔を歪めていた。

「まあ、一番の理由はわたしが歌子ちゃんのこと大っ嫌いだって知ったからかな。あ、いじめられてる舞はわたしが助けてあげたの。それ以来の関係」

 わたしはあやちゃんが舞ちゃんの前の席にある椅子を引き、座るのを見た。二人とも座っていて立ったわたしを見ている。何だかさっきとは立場が違う。

「あのメールはね、浅井君、歌子ちゃんのことが好きみたいだからさ、さくっと消えてくれないかなーと思って送り続けたの。そしたらさ、浅井君は急に片桐さんに乗り換えるんだもん。そっちに移ったら、しばらくしてまた歌子ちゃん、次に片桐さん。忙しいでしょ、わたしも。片桐さん、ころころメールアドレスを変えるし着信拒否するから、舞から一回メールアドレス借りたの。だから、舞はほとんど何も知らない。わかった?」

 気づけば、手がこぶしを作っていた。怒りで手が痛かった。消えてくれないかな、と気軽に言われたのが、とてもショックだった。

「拓人のこと、好きなの?」

 あやちゃんは、ふん、と鼻を鳴らした。

「そうだよ。それが何?」

「好きなら、話しかけるなり告白するなりすればよかったでしょう? それなのにそれができない怒りをわたしや片桐さんにぶつけるなんて、歪んでる。舞ちゃんより、ずっと」

 あやちゃんは笑った。まるで面白いことを言われたかのように。

「わかってるよ、そのくらい。わかってなくてやってると思った? 歌子ちゃんって馬鹿? わたしは自分が歪んでるってわかってるよ。その上で歌子ちゃんや片桐さんが消えてくれるようにメールを送り続けたんじゃん。こういうことをしても浅井君に嫌われるだけだってこともわかってる」

 でもね、とあやちゃんは言う。

「そうすることでしか生きていけない人間はいるの。特に、わたしは歌子ちゃんや片桐さんみたいにきれいじゃない。むしろ地味だし、男子からは名前も覚えられてない。そういうの、わかんないだろうね」

 わたしは、わからない、と答えた。

「そんなの、少し勇気を出せばどうにかなることだと思うよ。嫌われるようなことを繰り返す前に、もっと努力すれば……」

「努力?」

 あやちゃんはにやっと笑った。

「努力するのも怖い。そういう人間の気持ちもわかんないんだね。努力して、笑われたら? 指を指されて、『あいつ、あんな顔して好かれようとしてる』って言われたら?」

「わからない! あやちゃんは、おかしい!」

 わたしが思わず叫ぶと、あやちゃんは無表情になってぴたりと口をつぐんだ。わたしは肩で息をしながら半分泣いていた。

「そういう理由で、他人の関係や気持ちやプライドを滅茶苦茶にしていいっていう理由はないよ。わたし、傷ついた。辛かった。ああいうメールが来て、毎回心臓に刺さった針が増えていくみたいだった。片桐さんだってそう。辛くて、友達を信用できなくなっていったりした。だから……」

「ああそう」

 あやちゃんはおざなりにうなずいた。それからまたにやりと笑った。

「わたしや舞の学校生活がどんなものか、わかってないんだね」

 隣の舞ちゃんがびくっと肩を揺らした。あやちゃんは彼女を愛おしそうに見てから、こう言った。

「クラスの、底辺。部活でも、底辺。村田さん? 立花さん? ああ、あの地味でつまらない子ね。そういう扱いを受けたことないんだ。そうだよね。原さんが特別嫌う歌子ちゃんだもんね。特別な人間だもん。そうだろうと思うよ。舞なんかね、わたしが一番の仲良しだって言ってあげることで何とか生きてるの。歌子ちゃんと仲良くしたのは、気の迷い。わたしもね、原さんに呼び出されたときは何だと思ったよ。びくびくしながら何? って訊いたら、このアドレスに『ビッチは死ね』って送れって携帯電話を見せられるの。その通りにした。何回か、言われた文面を送った。そしたらね、何だか快感になっちゃって、自分でも送るようになった。楽しかったな。そういうのわかる? わからないよね。きっと」

 あやちゃんは、突然立ち上がった。顔には表情がなかった。舞ちゃんはそれをじっと見上げていた。

「帰る。舞、一緒に帰るでしょ?」

 舞ちゃんはうなずいた。そして、あやちゃんがすたすたと歩き出すと、舞ちゃんは慌てたようにノート類を片づけ、鞄を持って彼女についていった。残されたわたしは、呆然としていた。軽い気持ちで開けた箱から、恐ろしいものが次々飛び出してきたような気分だった。

 翌日から、片桐さんにはあのメールが届かなくなった。教室や廊下で見かける舞ちゃんとあやちゃんの態度も、以前と変わりなかった。舞ちゃんがリードし、あやちゃんがそれにつき合う、以前と同じ態度。わたしは怖くなった。けれど、あやちゃんや舞ちゃんが幸せでないことはわかった。とても悲しかった。

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