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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 三学期
111/156

卒業式

 卒業式の日が来た。わたしには縦の繋がりがないので、去年と同じく歌いながら泣くこともなく、声をかけ合う先輩もいない。表彰状を受け取る王先輩を見た。透き通るような肌は冷たい空気にさらされて更に硬質な輝きを見せ、背筋を伸ばした先輩は完璧な動きでお辞儀をし、壇上から降りていった。

 答辞を読むのは王先輩だった。知らなかった。三年の主席は王先輩だったのだ。じゃあ、きっとT大に行くのだ。きっと、一年遅れて総一郎が入ったらまた仲良くするのだろう。地元でくすぶっているわたしを差し置いて。王先輩はあの深みのある声で朗々と答辞を読んでいた。声も、きれい。

 暗い考えに浸っていたら、式は終わった。主に運動部の女の子たちが、先輩が卒業するのを惜しんで泣いていた。ぞろぞろと体育館から出る。わたしは総一郎を見つけて駆け寄った。微笑んで見下ろしてくれるのを、嬉しく思いながら隣を歩く。そうだ、総一郎は王先輩をきっぱり振ったのだ。だから大丈夫。でも、総一郎が隠した何かが気になって、わたしは心がざらざらしているのを感じた。

 教室に戻り、田中先生の言葉を聞いてから、卒業生の出迎えをするために一階に降りた。総一郎がいたのでまた走り寄る。総一郎は岸や渚と一緒だった。いつものメンバーだ。

「あ、おれ剣道部の胴上げに参加してくる」

 岸が言う。どうやら剣道部は全ての先輩を胴上げするのが伝統らしい。総一郎が気づいた顔をして、「おれも」と歩き出す。わたしは渚と二人きりになった。彼女はわたしを見下ろす。

「歌子、王先輩のこと気にしてるでしょ」

 渚の言葉に、わたしはぎょっとした。

「総一郎、あの日全部言わなかったもんね」

「うん」

「でも歌子もどうかと思うよ。王先輩が総一郎を連れ出そうとしてるのに、あっさりしすぎ」

「そうかな」

 確かに、心の中で総一郎の態度を責める割には、わたしは平気な顔をして総一郎を送り出していた。

「総一郎も、気にしてるかもよ」

 渚の言葉に、そうかな、と考え込む。その瞬間、卒業生が昇降口から出てきた。晴れやかな顔、泣きはらした顔、名残惜しげな顔。たくさんの三年生が下級生と話したり、お互い別れを惜しんだりしている。校舎の前は人で一杯になった。植え込みの前で待っているわたしと渚は、ぼんやりとそんな人々を眺めていた。

「あ、王先輩だよ」

 渚の言葉に視線を移すと、昇降口から出てきた王先輩は、友達と楽しそうに話しながら歩み出てきていた。やっぱり、きれいな人。誇らしげな顔で、彼女は歩いた。

「町田さん」

 王先輩がわたしに気づき、やってきた。驚いたわたしは体を硬直させる。

「町田さん、わたしたちもお別れだね」

 先輩は笑う。わたしはうなずき、笑顔を作る。この間よりは自信がなかったけれど、総一郎が彼女を振っているとわかっていたから、強い抵抗感はなかった。

「せいせいする?」

「いえ」

 驚いて否定する。本当に突然の言葉だったから、声が跳ね上がった。先輩は微笑んだ。

「あ、ソウが来るね」

 見ると、総一郎が人混みをかき分けてやってきていた。剣道部の胴上げは、途中で抜け出してきたらしい。

「ケイカ先輩、卒業おめでとうございます」

 総一郎は固い表情で言った。王先輩は柔らかく微笑む。

「ソウ、町田さんに言った?」

「何をですか?」

 総一郎が首を傾げる。

「あの日、ソウがわたしに言ったこと」

 その瞬間、総一郎の顔が真っ赤になった。わたしの不安が暗く一気に燃え上がった。

「ソウはね」

 王先輩がわたしを見ながら話し出す。嫌だ。聞きたくない。

「あなたのことが大好きなんだって」

 ふと、周りの喧噪がやんだように、静かに感じられた。目の前の王先輩は微笑んでいる。

「大切で大切で仕方がないんだって。愛しくて愛しくて、悲しくなるくらいだって。ソウはね、あなたのことを宝物だって言った。きらきら輝く宝石みたいだって。だからね、わたし、振られた」

 総一郎は赤くなったままわたしを見ない。わたしは胸が熱く苦しくなるのを感じた。総一郎の赤裸々な感情が、わたしに流れ込んできていた。

「わたしがつきまとっても振り払えなかったのは、大切な先輩だからだって言った。こういう本音を言える先輩はわたしだけだって。でも、町田さんのことはもっと大切だから、気持ちには応えられないって」

 王先輩はにっこり笑った。完全に吹っ切れた、本当の笑顔だった。

「わたし、アメリカに留学するんだ」

「え」

「親がどうしてもって言うから。日本の大学に行くつもりだったんだけどね。だから、最後だったんだ。後悔したくないから、伝えた。本当にすっきりしたよ」

 王先輩は、歯を覗かせて笑った。

「ソウのこと、よろしくね」

「……はい」

 そんなことを言われても、王先輩のことを図々しいとは思えなかった。総一郎と王先輩の関係は、わたしと総一郎とはまた違った奥深さで、重んじるべきものだと思った。

 王先輩は歩きだした。わたしは先輩の後ろ姿に声をかけた。

「先輩」

 彼女は振り向いた。

「留学、頑張ってください」

 王先輩は、わたしに大きく手を振った。

「二人も、頑張れ!」

 わたしも手を振り返す。総一郎もそうする。王先輩は遠ざかっていった。歩いて、父親らしい男性の元に行く。それから校門に向かい、その後ろ姿は小さくなっていった。


     *


 総一郎と二人で、商店街の喫茶店に向かう。渚はわたしたちに気を利かせていなかった。

 総一郎は黙っている。わたしはちらちらと彼を見る。嬉しくて仕方がなかった王先輩から伝え聞いた彼の言葉は、優しく、甘く、わたしの心をとろかす。喫茶店に着くと、彼はいつものように狭い座席に大きな体をねじ込み、わたしは向かいに座った。彼はブラックコーヒーを注文し、わたしはココアを注文する。

「……ケイカ先輩、まさか全部暴露するとは思わなかった」

 彼の落ち込んだ声に、わたしは吹き出す。彼は情けなさそうな顔でわたしを見つめた。

「呆れた、だろ?」

「全然。すっごく嬉しい」

 わたしが笑うと総一郎は目を逸らした。

「……おればっかりさらけ出してる。歌子、ずるいよ」

「言ってるじゃん、好きだよって」

「歌子、そういうこと言うの平気だろ? 隠してた気持ちとか、そういうの……」

「教えてほしい?」

 こくりと総一郎はうなずいた。わたしは微笑む。

「ないよ、そんなの。わたし、全部さらけ出してる」

「そっか」

「総一郎のこと大好きだよ。それじゃ足りないの?」

 彼はテーブルを見つめる。それからこうつぶやく。

「何か、あっけらかんとしすぎてて。おれの歌子に対する感情は重くて、伝えるのが怖いくらいなのに」

「わたしの感情は軽くないよ」

 わたしは唇を尖らせた。そんなわたしを彼は暗い苦悩の目で見つめる。そして、こう言った。

「おれ、歌子のことを自分のものだって言いたい」

 わたしは目を丸くする。総一郎は言いにくそうに唇を噛む。

「できるものなら、体の関係だって持ちたい」

「そう」

 わたしは嬉しくなる。総一郎の気持ちが重いなんて、全く思わない。でも、彼は苦しそうにわたしを見るのだ。

「歌子はおれに対してこんなに重苦しい気持ちを抱いたり、しないだろ?」

 わたしは首を振る。髪が広がって、風を作る。軽く乱れた髪を、総一郎はすくった。

「総一郎と喧嘩したあと、ストーカーみたいになった。毎日毎日、総一郎のことばかり考えた。わたしは結構重い女だと思うよ」

 総一郎の手から、髪がさらっと落ちた。総一郎は訊く。

「本当?」

「うん。わたしは総一郎がいないと、こんなにあっけらかんとしていられないんだ」

 わたしが笑うと、総一郎は少し泣きそうな顔で笑った。

「わたしは総一郎のものだよ」

 わたしは総一郎の大きな手を握る。彼はそれを握り返す。

「わたしは総一郎のものでいることで、生きてられるんだ」

 わたしがにっこり笑うと、総一郎は何だか悲しそうに微笑んだ。

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