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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校一年生 二学期
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両親と児童公園の拓人

 家に帰ると、夕飯前にお風呂に入った。体を洗ったあと真新しいお湯に浸かり、体を眺める。平べったい体。細いばかりで、子供みたい。胸はAAカップだし、お尻だって小さい。多分わたしは、色々な意味で他の同級生より幼いのだと思う。

 小学校高学年のとき、恋人がいることを公言するませた女子がいた。その子は早いうちから初潮があり、今のわたしよりずっと豊満だった。中学生のときにやっと初潮が来たわたしは、いつの間にか周りに取り残されていた。皆ちゃんとしたブラジャーをつけているのに、わたしはAAカップの子供ブラ。恋人を作る子、恋人がほしいといつも言う子、色々いたけれどわたしみたいな子はいなかった。つまりは恋人が必要ではない子。

 成長が遅いのかもしれない。あるいは成長しないのかもしれない。一歩か二歩、他の女子より遅れているからこんなに嫌われやすいのだろうか。でも、他の女子に合わせるのはとても困難だ。

 つまり、わたしはわたしでいるしかないのだ。

 湯船から上がり、脱衣場で髪を拭く。洗面台の鏡の中の、憮然としているわたしに笑いかけた。


     *


「お母さん、話がある」

 夕食を済ませたあと、両親と向き合ったままわたしは言った。二人は顔を見合わせてわたしを見る。

「だからお父さんは席を外して」

「おいおい、お父さんが聞いたっていいだろ? 仲間外れにすんなよ」

 父はいつも通り上機嫌だ。わたしは困惑する。強く言って追い払うのも可哀想だ。

「歌子ちゃん、どうしたの?」

 常ならぬわたしの態度に、母も心配そうだ。

「お父さんがいないほうがいいかなって。恋愛の話だから」

 しんとなる。父は笑みを消し、母は笑おうとしてできていない。父が身を乗り出した。

「彼氏できたか?」

 どうやら席を外す気はないらしい。わたしは仕方なく首を横に振った。

「拓人の話。拓人、わたしのこと好きだって」

「えーっ」

 両親が同時に声を上げた。それからまた顔を見合わせる。

「この間言われたの?」

 母が訊くのでわたしはうなずいた。父はしかめ面になり、腕まで組んでいる。

「やっぱり話し合ってよかったな。こんな日が来ると思ってた」

 この間母が言っていた、拓人とわたしが家を訪ね合わないようにするための話し合いのことらしい。わたしは気まずくなる。だってキスはしてしまったから。

「でも、歌子ちゃんと拓人君はただの友達だもんねえ」

 母の念押し。笑っているけれど、そうでなくては困るといった顔。わたしは頭が混乱してくる。

「ただの友達かどうか、よくわかんない」

 両親が共にぽかんと口を開ける。

「わたしが拓人とつき合うことになっても、何にも変わらないよね」

 わたしは自分が何を言っているのかよくわからないまま話した。たちどころに両親が口を開いた。

「変わるわよ」

「そうだよ。友達から男女になるんだから」

「お母さんはよくないと思うなあ。まだ歌子ちゃんたちは若いんだし」

「お父さんは反対だ。拓人が相手でも反対だ」

 わたしは二人が口々に言うのを上目遣いで聞き、うなずき、少し大きな声で叫んだ。

「ありがとう。参考にする」

 二人はなおも何か言っていたが、わたしは居間を出て階段を上がった。相談しなければよかった、と思いながら。


     *


 ベッドの上で携帯電話を睨みつける。何度も文面を変え、絵文字を一切消し、もっと納得できる文章があるはずだと考え抜いたけれど、結局は単純なものに決まった。

「明日の昼、あおぞら児童公園で待ってる」

 拓人のメールアドレスに向けて送信する。送信が済むまで、わたしは呼吸がとまっていた。

 明日だ。


     *


 あおぞら児童公園は、わたしと拓人の家の近くにある。やはり住宅街の中にある小学校と、わたしたちの家の間。ここに来るのは数年ぶりだ。通り過ぎることならあったけれど、自動販売機すら設置されていないこの児童公園に、中学生以降のわたしが来ることはなかった。

 家二軒分くらいの広さの公園には、滑り台のついたオブジェと砂場と乗って揺らす遊具くらいしかなかった。どれも昔よりペンキの色が真新しい。わたしたちのころは、もう少し遊具があった気がする。危ないからと撤去されてしまったのかもしれない。

 昼前から公園で遊んでいたわずかな子供たちは、それぞれの親に連れられて家に戻っていった。多分昼食だとか昼寝だとか、子供に必要な諸々のことを済ませるためだろう。暖かい日差しが、ベンチに座るわたしをぼんやりさせた。

 そのまま十数分が経ったが、予想もつかないくらい突然に肩を叩かれて飛び上がった。振り向くと、拓人が立っていた。紺色のジャージを着崩した彼は、いつもの様子とは違っていた。緊張してのことかもしれない。

「部活終わって、急いで帰ってきた」

「そう」

 わたしも負けず劣らず緊張している。ちっとも笑えていない。拓人はわたしをまともに見られないらしく、遠くを見ながらしゃべり出す。

「懐かしいね、あおぞら児童公園」

「うん。遊具減っちゃった」

 拓人は辺りを見回した。

「ほんとだ。でかい金属のボールみたいな、回る遊具がない」

 そういえばそういうものがあった。美しい球形で、回っているときにしがみついていると飛ばされそうになったものだった。それがもうない。何だか、寂しい。

「あの遊具。歌子はよく一人で乗ってた」

 パンダの形をした小さな揺らす遊具を、拓人は指差した。わたしは苦い思い出に、顔を背けそうになる。

「仲間に入れてもらえなかったから、あそこから見てた」

 それも、小学校高学年のとき。公園で女子たちが内緒話をしたり交換日記を読み合ったりしていて、わたしはそれをよく見ていたのだ。

「そっか」

 拓人は詳しく訊こうとせず、それだけ言った。彼はわたしの過去を知り尽くしている。

「砂場で遊んだの、覚えてる? もっと小さいころ」

 覚えている。拓人とわたしと近所の何人かの子で、砂の城を作ったのだ。もっともっと高く、と砂を積み重ね、水を周りに溜めてお堀を作った。全員泥だらけで、とても楽しかった。

 今、拓人以外の幼なじみは、引っ越したり疎遠になったりして会っていない。でも、わたしにとっては今でも輝く美しい思い出だ。

「懐かしい」

 わたしがつぶやくと、拓人は笑った。

「そうだな」

 そのまま沈黙が落ちた。わたしは何を話せばいいかわからず、拓人も話し始める様子がない。本題を待っているのだとわかっていた。でも、なかなか言い出せない。

「歌子はさ」

 拓人が話し出した。

「誰よりも楽しそうで、すごく軽やかに見えた。小さいころからにこにこしてて、人懐っこくて、かわいくて、好きにならない奴はいなかったと思う」

 わたしは拓人の顔から目を逸らす。

「でも本当は脆いよな。泣くし、わめくし、親の前ではわがままだし、裏表が激しい。自分に対しても嘘をついてる。表側の自分を本物だと信じてるんだ。その信じ方が痛々しくてさ。何というか、全部ひっくるめてかわいいと思う。人間の中で一番きれいだと思う」

 わたしは拓人の顔をもう一度見た。拓人はわたしを全部知っている。全部知っていて、きれいだと言う。

 拓人は強張った笑みを浮かべ、うなずいた。

「だから好きだよ」

 わたしは涙をにじませた。こんなにわたしのことを知り、認め、包み込もうとしている彼を、拒もうと思っているから。

「ごめん拓人」

 話し出した途端、大泣きしていた。拓人はわたしの言葉よりもわたしの涙に反応して近づいてきた。

「拓人のこと好きだけど、違う意味なの。好きだけど、好きじゃなくて」

 しゃくりあげるわたしを、拓人は手をとめて見詰めている。

「拓人と恋人になるのは、今のわたしにはできない。ごめん」

 拓人は魂が抜けたような顔をしていた。わたしはまた泣き出し、涙をてのひらで拭いた。

「好きな奴いるの?」

 静かな声で、拓人は訊いた。わたしは目を開き、

「誰のことも好きじゃない。篠原も、他の男子も、全員好きじゃない」

 と言った。拓人は呆然としたままうなずき、

「わかった」

 と言った。それからわたしの手を握り、

「家に帰ろう」

 と言った。わたしは泣きながら拓人に手を引かれ、家までの道を歩いた。幼いころのようだった。わたしと拓人は、お互いがこんな風になると予想もできないころ、こうしてここから帰ったものだった。懐かしいなんて、もう言えない。

 わたしは寂しかった。

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