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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 三学期
108/156

バレンタインデーのデート

「どこ行く?」

「取りあえず映画観る?」

 わたしはうなずいた。それからバッグの中の包みを意識した。総一郎は笑い、わたしの隣で歩きだした。二人ともコートを手に持ち、セーター姿だ。

 映画館はとても混んでいた。バレンタインデーに少女漫画原作の映画を観る人というのは、意外に多いらしい。わたしは総一郎に少女漫画の素晴らしさを知ってもらいたくてこの映画を推薦したのだが、彼はあっさり「いいよ、それで」と言った。わたしが観たいならそれでいいということらしいが、娯楽にあまり興味のないストイックな彼のそんな反応に少し落胆していた。

 映画は、素敵だった。女の子が男の子に出会って恋愛するだけ。それだけなのに色々な仕掛けがあって楽しめるのだ。総一郎の反応を見た。薄暗い映画館の中、無表情にスクリーンを見つめている。面白くはなさそうだ。

 映画が終わり、感嘆のため息をつきながら通路を歩き、現実世界に戻ると、総一郎は突然わたしの手を取って握った。それから微笑んで、

「次は本屋に行こうか」

 と言う。何だかどきどきしてしまった。映画の影響を引きずっているのかもしれない。わたしたちはそのまま同じビルの本屋に向かい、総一郎がよく読むような難しそうな本やわたしの好きな少女漫画を見たりした。総一郎が薦めるので、わたしは小説を二冊買ってしまった。昔のアメリカの作家が書いた短編集と、日本の作家が書いた少女小説。小説を読む習慣がないわたしだが、総一郎がわたしのために薦めてくれたというだけで舞い上がってしまった。

 下に降りるため、エレベータを待つ。わたしと総一郎はまた手を繋いでいた。ふと思いついて、総一郎を見上げる。

「総一郎はさ、わたしとデートするの、退屈じゃない?」

 わたしが訊くと、総一郎は目を丸くした。わたしは口ごもりながら、

「ほら、わたしって総一郎みたいに色々ものを知らないし」

 と上目遣いに彼の顔を見た。彼は呆れたようにわたしを見下ろし、

「退屈だったらこんなに長くつき合わないよ」

 と言った。わたしはほっとし、うなずいた。総一郎は続ける。

「おれのほうが、何で歌子がおれとつき合ってるのかたまに疑問に思うよ」

 今度はわたしがびっくりする。

「え、何で?」

「おれ、あんまり面白くない人間だと思うし」

「そんなことないよ」

「堅物だし」

「そんなことないってば」

 黒いセーターで包まれた腕を握って総一郎に言うと、彼は微笑んだ。

「歌子がそう言ってくれると、本当に自分が魅力的な人間みたいな気がしてくるよ」

「総一郎は魅力的だよ。だってさ」

 言いかけたところで、エレベータが開いた。珍しく人がいない。わたしたちは乗り込んだ。

「だってさ、何だか素敵だもん」

「それ、すごく漠然としてる」

「勉強ができるとか背が高いとか剣道が強いとかそういうのじゃなくて、何だか素敵なの。わたしにとって。だから……」

 わたしがまくしたてていると、総一郎が屈み込んでキスをした。わたしは黙って受けとめ、自分からもキスをした。それから総一郎の口の中に舌をそっと入れた。総一郎の体がびくっと動いたのがわかったが、わたしは構わず彼の首に手を回して深く口づけた。総一郎の舌がわたしの舌に絡みつき、柔らかく動いた。総一郎の腕がわたしの腰に回った。わたしたちはキスを続け、一階に着くころには二人ともぼんやりしていた。

 エレベータを出て、街を歩く。夕暮れが近い。わたしたちはくっつき合ったままふらふらと歩き、気づけば歩道に立ち尽くしていた。

「次、どこ行く?」

 わたしが訊く。

「うーん」

「ホテル行かない?」

「……え?」

「総一郎と一緒に、ラブホテル行きたい」

 わたしの突然の発言に、総一郎の顔が真っ赤になった。

「いや、あの、でも……」

「行きたい」

 わたしが頑として譲らないので、総一郎はうろたえていた。しばらく額に手を当て、目を閉じて考えていた。

「駄目だ」

「え、どうして?」

「とにかく駄目」

「皆行ってるよ」

「皆のわけがないだろ。駄目」

「総一郎とわたしはつき合ってるんでしょ? いずれはするよ」

「するとか言っちゃ駄目だよ。とにかく駄目ったら駄目」

「駄目ばっかり。わたしは……」

「おれたちにはまだ早いよ。だから、今日はもう帰ろう」

 あやすように、総一郎が言った。うろたえた顔のまま。わたしは何だか悲しくなり、地面を見た。それからバッグに入れていた包みを取り出し、「チョコレート」と言った。

「ありがとう」

 総一郎はうろたえたまま笑う。わたしは昨日頑張って作ったガトーショコラのことを思い出しながら、うなずいた。アーケード街はとても冷え冷えとしている。わたしは総一郎を見た。彼はわたしの視線を戸惑いがちに受けとめている。

「帰ろっか」

 とわたしが言うと、

「うん」

 と彼は答えた。わたしは拒絶されたショックを抱え、総一郎はぎこちなく笑い、わたしたちは帰路についた。そして、それぞれの自転車で帰った。


     *


 渚は田中先生にチョコレートをあげたらしい。でも、特別な意味を込めずにあげたから、素直に受け取ってくれたのだそうだ。

「特別な意味、込めないの?」

 と訊いたら、渚は微笑んでうなずいていた。渚はわたしにもチョコレートをくれていた。わたしもあげたけれど、渚のチョコレートには本当に何の意味もこもっていないのか、気になる。彼女はあれ以来わたしに友情しか示していないように思えるから、思い過ごしかもしれないけれど。

 わたしと渚の関係は、少し複雑だ。だから何も考えずに恋愛の相談なんてできないし、ましてやこの間のことなんて、詳しく言えるはずもなかった。ましてや、ここはわたしのクラスだ。ほとんど人がいないとはいえ、抵抗がある。でもどうしても相談したかったので、こうぼかした。

「総一郎とわたしの関係って、どう思う?」

 本当に曖昧な質問だ。渚はちょっとびっくりしたようにわたしを見、こう答えた。

「いい関係だと思うよ」

「総一郎、わたしのこと子供だと思ってるのかな」

「どうして?」

「その……」

 渚はにっこり笑った。わたしは感づかれたな、とわかった。恥ずかしくて、少し体が熱くなる。

「大丈夫だよ。総一郎は歌子を大事にしすぎるだけ。気にしなくていいよ」

「大事に……」

「そう。すんごい大事にしてるよ。高校生ならもう少し前のめりだと思うのに、歌子のこと宝石みたいに大事にしてさ」

「宝石かあ」

「うん。だから気にすんな」

 渚は手をひらひらさせて笑った。わたしはうなずいて、笑い返した。渚には話を聞いてもらってばかりだし、助けてもらってばかりだ。いつか、彼女を助けたい。そんな日は来るのだろうか。

 渚と一緒に二組に行った。総一郎は無表情に勉強をしていた。机に広がっている英文法の本に陰を作るように見下ろすと、総一郎はわたしの顔を見た。少し赤くなって、それからまた本に目を落とした。

「総一郎、この間薦めてもらった本、面白かったよ」

 わたしはいつもの調子を作って笑った。総一郎がそっとわたしを見る。

「そっか。よかった」

「映画の原作になった話なんだね。今度、映画観ようかな」

「古いハリウッド映画だよ。ストーリーはかなり変えてあるけど、歌子好みだと思うよ」

「ありがとう」

 わたしが笑うと、総一郎は初めて唇を三日月型にして笑い返した。わたしは続けてこう言った。

「好きだよ」

 総一郎は、また真っ赤になった。

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