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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 三学期
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美容室

 土曜日、わたしは上田さんと倫子さんの美容室に向かった。髪型を変える気はなく、一月前に切ったときと同じ長さにするだけのつもりだった。大きなガラスに囲まれた小さな美容室には、拓人がいた。

「こんにちは」

 わたしの担当美容師である倫子さんが笑う。おっとりとした声が心地よい。拓人は一生懸命店長の上田さんに何かを訴えかけていて、わたしは聞き流しながらシャンプー台に向かった。シャンプー中は水の音で聞こえないので、拓人が何を言っているのかわからないままだった。

 カット台に座ると、隣の拓人の声が嫌でも耳に入ってきた。要するに、また髪型を変えたいと訴えかけているらしい。

「おれさ、もうこの髪型は嫌なの。飽きたの。変えたいの」

「拓人君が飽きても、わたしは飽きてないわよ」

 上田さんがむっとした様子で胸を反らす。拓人が上田さんを直接見ながらまた説明する。

「おれの頭に生えてるおれの髪の毛をどんな形にしてもらおうが、おれの自由だろ」

「拓人君の髪はわたしのものです」

「それ、おれの小さいころから切っているがゆえの思い込みだから。おれの髪はおれのです」

 拓人と上田さんがにらみ合う。わたしは髪を乾かしてもらう。ドライヤーの音で拓人と上田さんの声が聞こえなくなる。終わると、わたしは倫子さんと相談し、いつも通りに切ってもらうことにした。

「何か、拓人君いつもより強情。いつもは十分くらいでめげる癖に」

 上田さんが唇を尖らせる。拓人はじっと考え、作戦を練っている様子だ。しばらくして、口を開いた。

「あのな、上田さん」

「何?」

「おれ、彼女と別れたんだ」

「えっ」

「失恋したんだよ」

「本当?」

 わたしは二人を静観している。拓人はどう話を持っていくつもりなのだろう。拓人は、重々しくこう切り出した。

「失恋したから、切りたい」

 拓人の言葉を聞いた上田さんは、笑った。

「やっだー! 拓人君ったら昭和の女みたい」

「はあ?」

「今時女の子でも切らないわよー。失恋くらいで」

「いいじゃん、切りたいんだよ。切ってくれよ」

 作戦は失敗のようだ。でも、拓人は諦めず、こう続けた。

「おれはさ、上田さんに切ってもらいたいんだよ。この髪型、愛着あるよ。女子みたいだから友達にからかわれたりしたし、逆に女子からは評判よかったりしてさ。でも、もう卒業するときなんだよ。おれはもう女の子みたいな顔をしてない。多少は男の顔になった。こういうふわふわした髪型は、おれの外見にも中身にも反してると思う。おれは、少しは中身も大人になったと思ってる」

「ふうん、でもね……」

「さっきの失恋の話。おれ、変わりたいの。髪型変えたからって性格ががらっと変わったり、元カノが寄ってきたり、するわけないと思うよ。でも、つき合ってたころの情けない自分とは気分を変えたいの。だから、……髪型を変えてほしい」

 上田さんは腕を組んだ。じっと考え、悩み、倫子さんをちらりと見て、決意したように拓人を見た。

「拓人君の演説が心に響きました。切りましょう!」

「やった!」

 拓人が拳を作った両手を上げた。わたしと倫子さんが拍手をする。

「うー、寂しいなあ。この髪型、好きだったのに」

 上田さんは嘘泣きをしながら拓人の髪を持ってはさみを入れた。はさみの音が響く。わたしもまた髪を切られ始めたので拓人のほうを向けなくなった。

 わたしの髪型は梳く必要があまりないので、拓人より早く終わった。支払いが済み、することがないわたしは倫子さんと話しながら拓人の様子を見ていた。拓人の髪は見る見る変化していく。ふわっとしているのは生来の髪質のようだが、短く、すっきりした感じになっていくのだ。終わると、上田さんは拓人の髪を用心深く払い、「よし」と言った。拓人が髪を触る。

「別人みたいだねえ」

 とわたしが言うと、拓人はにっこり笑った。

 拓人の髪型は、総一郎みたいなほぼ坊主頭とまでは行かないが、襟足はかなり短かったし、前髪も爽やかに眉上で切られていた。これはこれで、女子がきゃあきゃあ言いそうだ。

「格好よくなったねえ」

 倫子さんが言うと、上田さんが、

「当たり前でしょ」

 と威張る。拓人は満足気に鏡を眺めたあと、

「さっすが上田さん」

 と振り返った。上田さんの背中がますます反り返る。

「ありがとう」

 拓人の言葉に、上田さんが照れる。何だかんだ言って、彼女は拓人のことが大好きなのだ。

「これからもこの店に切りに来てよね。あ、歌子ちゃんも」

 わたしと拓人は笑ってうなずいた。それから拓人が支払いを済ませると、一緒に美容院を出た。

「拓人、気分変わった?」

 わたしが訊くと、拓人はうなずいた。

「まあ、少しは」

「きっともてるよ」

 わたしの笑みを、拓人は楽しそうに見る。

「まあ、肝心の子に響くかはわからないんだけどな」

 肝心の子、というのがわたしではないことはわかっている。

「響くといいね」

「おう」

 それからわたしたちは寒空の下の商店街をゆっくりと歩いていった。

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