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蜂蜜製造機弐号  作者: 酒田青
高校二年生 三学期
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総一郎の目標と自分の目標

 足はかなりよくなってきた。少しひきつるような違和感がある以外は問題ない程度だ。走るのには抵抗があるが、足を引きずることなくてくてく歩く。その先には総一郎のクラスがある。人いきれが残る教室は、そのお陰で廊下より温かかった。総一郎は席に着き、体に不釣り合いなほど小さな机に頬杖を突いて窓の外を見ていた。気の抜けた表情を見られたことが、何故か嬉しい。

「総一郎、来たよー」

 声をかけると、彼はこちらを見て微笑んだ。柔らかい笑顔がわたしの心をきゅんとさせる。

「歌子」

「ん?」

「おれの目標の話、していい?」

 どきっとした。王先輩から聞いて、総一郎と断絶するきっかけになったその話題は、あのときのことを一瞬思い出させた。けれどどうしても知りたくて、うなずいた。彼の隣の席に着くと、彼は頬杖をついたままわたしのほうを見る。くつろいだ様子の彼は、わたしのほうに手を伸ばし、わたしの手を握った。わたしは思わずそれを握り返した。

「歌子が話を聞いてくれたから、母さんのことに向き合えそうなんだ」

 総一郎は笑った。母親の話をするときの彼は、いつだって強ばっていたのに。わたしは思わず笑みを浮かべていた。

「よかったね」

「うん」

 総一郎はこっくりとうなずく。

「母さんのために何もできなかったからさ、今更だけどできることがないかなって考えたんだ。色々考えて、……おれ、創薬の仕事がしたいって思った」

「創薬?」

「薬を作る仕事だよ」

 王先輩を通じて知った総一郎の目標だが、わたしは今やっと納得した。同時に、とても彼らしい目標にほっとした。彼の能力と母親にまつわる経験は、そうなるのが当然だと思えるくらい彼の目標に繋がっていた。彼なら、できるだろう。わたしは彼のもう片方の手も握り、軽く振って、

「総一郎ならできるよ!」

 と言った。総一郎はうなずいて、歯を覗かせるように笑った。

「でさ、T大学に行きたいんだ」

 彼は東京にある最難関大学の名前を出した。わたしは急に気持ちがしぼんでいくのを感じた。東京は、遠い。片手が離れた。

「行けるよ、総一郎なら」

「歌子は、どうする? 地元の大学に行く?」

 総一郎が訊く。本当に何でもないような訊き方で。わたしは気がつけばせっぱ詰まったような気分になって、こう答えていた。

「東京にある大学に行きたいな。総一郎のそばにいたい」

 総一郎は一瞬困ったような顔をした。それをわたしは見逃さなかった。心臓が悪い打ち方をし、地面が一段下がったような気がした。

「それは駄目だよ。おれのためだけに大事なことを決めたら駄目だ」

「でも、わたし」

「歌子のために言ってるんだ。駄目だよ」

 総一郎はわたしの気持ちをわかってくれていない。わたしは総一郎とずっと一緒にいたいのに。総一郎はわたしと一緒にいたくないのだろうか。

 わたしはもう片方の手も離した。すねた顔をするわたしに、総一郎は、

「将来のことは、しっかり考えて決めよう」

 と笑いかけた。わたしは顔をぷいと逸らした。わたしには将来の目標なんて立派なものはないのだ。あるとしたら、総一郎と一緒にいたいという事実だけ。それすらも叶わないなんて、残酷だ。


     *


 拓人と同じ教室にいるのは、結構気を遣う。席替えが行われてから席が近いし、彼は人気者で派手に教室に入ってくるし、わたしも教室に入ると結構な数の生徒が声をかけてくれるようになっていたから、お互いの存在に気づかないわけにはいかないのだ。

 時々、わたしと拓人の関係について考える。わたしは拓人にずっと助けられてきた。いじめられても励ましてもらえたし、いつも優しくしてもらった。でも、わたしが好きになったのは総一郎で、わたしの気持ちは全部総一郎に傾けられ、拓人には何も返せていない。幼なじみとして、返せるものはないかといつも考えていた。

 拓人がわたしをちらりと見た。わたしがそれに気づいた瞬間、目を逸らす。彼の背中を見ながら、今、何か話しかけようとしたな、とわたしはわかっている。つき合いが長いから、わかるのだ。きっと、話しかけて仲直りをしたいけれど、わたしたちの関係には様々な噂や事実がとぐろのように渦巻いていてできないのだ。それに、わたしたちは振った人間と振られた人間だ。簡単に仲直りなんてしてはいけないのだ。拓人だって、今わたしが何事もなかったかのように話しかけても、いい気分はしないに決まっている。

 教室にはクラスメイトがたくさんいて、授業の始まりを待っている。けれどわたしには、拓人とわたしだけがいるような感じがしていた。要するに、わたしは拓人の存在を強く意識していたのだ。幼なじみとして。

 片桐さんはどうしているのかな、とわたしは思った。

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