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六連星の王座  作者: シトラチネ
第2章 迷いの摩利支天
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§3

物着星ものきぼしだ」

 ニセもん、とリクに一蹴された豆腐製ターキーハムのサラダを渡そうとした指を、スヴァルに掴まれた。掴むというより包むようなソフトさでも、いきなりのことにマリスは反射的に手を引こうとする。

 だがそれは、あなたを警戒してますと確言するに等しい仕草だ。瞬時に思いとどまり、スヴァルが早く放してくれるのを待つことにした。

「……ものきぼし?」

「ほら」

 長い指がマリスのフレンチネイルの爪に浮かんだ、白く小さな斑点を示す。

「この星が出来ると、服が手に入ると言われてる。……知らない? あなたは大和日本育ちなのに」

 マリスはスヴァルがどこで生まれ育ったのか知らなかったが、大和日本ではないらしい。そのスヴァルに大和日本語を教えてもらってるなんて、と情けなくなった。

 まだ手を握られている。そのうえ顔を覗き込むようにスヴァルが身を屈めて来て、マリスはその場で消えてしまいたくなった。そんないづらさをスヴァルの瑠璃の瞳に完全に見抜かれていそうだ。

 俯く事でどうにか視線を逸らす。

「午後はわたしとデートしないか? あなたにプレゼントをさせて欲しい。物着星のお告げだからね」

 あまりに奇想天外な事を言われると、むしろ驚いた反応など出来なくなるものだ。マリスはそれを頭の隅でやけに冷静に実感しつつ、スヴァルを仰いだ。

「あっ、じゃあダブルデートしましょう、カイリさん!」

 すかさずリクがカイリに詰め寄っている気配がする。あらじゃあ梶原さんも、と話が大きくなり出したところでマリスは我に返った。

「いえ、結構です!」

 サラダをスヴァルに押し付けて手を引く。ありがとう、いただきますと冷静ににっこりされるとますます身の置き場が無い。

「ねえマリス。リクは優秀なボディガードだけれど、男二人でモールをうろつくのは少々味気ないんだよ」

 諦めていないようだ。マリスはもう一度、いいえとはっきり発音した。

「スヴァルさんに服を買って頂く理由はありませんから」




「今日は四マイルだ!」

 翌朝のP.T.では案の定、カイリとのデートチャンスを潰されたリクの報復が待っていた。子供じゃないんだから、と思うが口には出来ない。悟られないように、マリスはほんの鼻先だけで溜息を吐く。

「嫌われてしまったようだ、ってスヴァルさん苦笑してたぞ。おまえがあんな風に言うから」

 マリスが渋々マシンの設定を変更していると、リクは事のついでのように呟いた。

「嫌ってはいません」

「でも好きじゃねーだろ」

 リクの黒い瞳はブラックホールじゃないのか、と思うことがある。視線を逸らすのを許さないような強さがあるのだ。マリスはその強さから逃れることに失敗した。ふん、と馬鹿にしたように笑われてしまう。

 マシンに走らされるのではなく、足でベルトを回しているような力強さでリクは走り出す。マリスも黙ってマシンに乗った。

「おまえ半端なやつだよな」

 苦味の効いた口調だった。リクは武士のような、荒削りでしっかりした顔立ちをしている。笑えば普通の青年なのに、機嫌が悪い時は頭を押し付けられるような威圧感がある。

 マリスは胸が冷える圧迫を恐る恐る押し返して、リクへと顔を向けた。

 仏頂面、というのは釈迦の知恵が仏格化した仏頂尊の無愛想な面相に由来するとも言われる。マリスは仏頂尊勝曼荼羅を見た事があったが、今のリクの方が遥かに無愛想だった。

「家が寺だから、仏教徒になった。給食で食わされたから、半端なベジタリアンになった。徴兵されたから軍に入った。好きじゃないのは嫌ってないとか言う」

 マシンが急に速くなったように感じた。リクの言葉には質量があって、聞いた瞬間に体重に加算されたようだった。マリスは足許を流れていくマシンのベルトに視線を落とす。

「おまえの意志は何処なんだ? おまえは何をしたいんだ。腹の底が見えないやつは嫌いだが、腹が決まって無いやつはイライラするね」

「申し訳ありません」

 マリスはやっとそれだけを絞り出す。

「おまえみたいのが軍にいると士気が下がる。徴兵期間が終わったら、さっさと大学でも寺でも行くんだな」

「申し訳ありません」

 アメリアに渡って三年、馴染みきれずにいるマリスは根から刈られた草のような状態で漂っていた。

 大和日本を出たのはアメリア連邦での母との生活よりも、父と密教から逃げたかっただけだった。自分の半身を失ったような気持ちのまま月日だけが白々しく過ぎてゆき、マリスはそう認めざるを得なかった。

 ここにいていいのだ、いるべきなのだと思える土地がなければ、草は土を探して岩場にしがみつくだけで精一杯だ。成長し、花を咲かせる余裕などない。

 テイトから、リクの家系にアメリア軍日系二世部隊、四四二連隊の兵士がいたと聞いたのを思い出す。ブートキャンプでも習った、アメリア軍史の暗部の一つだ。

 大戦当時、アメリア国内に移住していた日系二世達は敵国の人種として偏見の目で見られた。アメリア政府は彼らの熱意に押されて部隊を編成したものの、最初は戦地に送る気が無かったのだという。両親家族を強制収容所に送られ、家や畑を買い叩かれ、それでも彼らはアメリアに忠誠を誓った。

 誓うしかなかったのだろうとは、マリスには思えなかった。日系人の地位向上という高い志があったに違いない。だからこそ四四二連隊、第百歩兵大隊は全アメリア軍部隊の中で、勲章・死傷者の数ともに最高という戦歴を残したのだ。

 リクも同じように日系人でありながら、アメリア連邦軍に志願している。心がすでにアメリアに根ざしている。リクのような愛国主義者にはなれないと分かっていても、マリスにはそのひたむきさが羨ましかった。

 美味しい肉を食べられないベジタリアンは可哀想だ、信仰を持たない人間は哀れだ、そう嘆く人達をマリスは狭量だと思う。一方で、彼らにそう盲信させる程の確固たる地盤を自分も手に出来ればいいのにと、ひどく半端者の気分になるのだ。

 マリスは自分が密教修法を再現出来ないのが、父に対する不信感の余波でない事を察していた。父と密教を捨てて来た筈なのに、ドッグタグにはBuddhistの刻印がある。ベジタリアンをやめられない。そういった自分自身の半端さが原因なのだ。

 そして恐らく、スヴァルに反感があることも。

 昨日の話し合いの最後に、テイトが何か言い足りなさそうにしていたのはこれだったか、と思う。

「If I die in the combat zone, Box me up and ship me home.」

 いきなりリクが歩調を取るために歌い出し、マリスは俯いていた顔を慌てて上げた。

「If I die in the combat zone, Box me up and ship me home.」

「Pin my medals upon my chest. Tell my Mom I've done my best.」

「Pin my medals upon my chest. Tell my Mom I've done my best.」

 戦死したら家に送り返して、胸にメダルを着けてくれ。母に自分はベストを尽くしたと伝えてくれ。

 自分が送り返されたいhomeは何処なのだろう。ベストを尽くしたとリクから伝えてもらえるだろうか。マリスは握る拳に力を篭めた。




 突然のノックに、マリスは筆を落としそうになった。硯に筆を置きながら、はいと答える。ドアから上半身を覗かせたのはスヴァルだった。

「おはよう、マリス。サラダのドレッシングは何にしたいご気分かな?」

 言われて気付くと、とっくに朝食の用意にかからねばいけない時間になっていた。慌てて詫びの言葉と共に立ち上がろうとする。

「ああ、いいよ。知事の息子もサラダくらい作れないとね。ところで、それは?」

 それと聞かれて、マリスはテーブルを眺めた。硯、筆、和紙、そして書きかけの符。

「除難符を謹書しようとしていましたが、失敗しました」

 役に立てるよう努力するとテイトに約束した、その第一歩としてマリスが自分に課したのが護符の謹書だった。スヴァルはテイトから話し合いの内容を伝え聞いていなかったらしく、意外そうに一瞬黙った。

「すまない。邪魔をしてしまった」

「いえ、違います。今朝はP.T.が一マイル多くて、筋トレも厳しかったんです」

 書きかけの護符を向けて見せる。

「疲労で手が震えて、直線が心電図になってしまいました」

 途端、スヴァルは弾けるように笑い出した。マリスは見せるんじゃなかった、と即座に後悔して書き損じを丸める。どうしてこうこの人はいつも、自分を困らせるようなことばかりするのか。今日は朝から散々だ、と頭の中でぼやく。

「違うんだ。あなたが涼やかに心電図とか言い放つのが可笑しくてね」

 事実を述べただけなのに、何がそんなに可笑しいのか。マリスが理解出来ずに突っ立っていると、スヴァルは無理矢理笑いを飲み込んだようだった。緩んだ口元を拳で押さえている。

「失礼した。気を悪くしないで欲しい、マリスの言い方がすごく気に入ったんだよ」

 本当なのか誤魔化されているのか判別出来ずに、曖昧にはいと返事をする。

「リクは可愛い後輩が出来たから喜んで鍛えてるんだな、きっと」

「はい」

 先刻のリクの態度は厳しかった。だがマリスは、あれがリクなりの激励だと考えることにしていた。リクはどうなってもいい人間相手にわざわざ嫌味を言うような、意地悪な性格で無いようだ。だがここでいじけたりしたら、恐らく本当に見放される。マリスはどうにかして力を取り戻し、リクに見直してもらいたかった。

「それで? ドレッシングはジンジャー・ソイがおすすめなんですが」

 そうだ朝食、とマリスは急いで頭を切り替えた。

「いえ、わたしが作ります」

 断ってから、嫌われてしまったようだと言っていたと聞かされたのを思い出す。険悪な表現だったろうかと心配になる。

 アメリア連邦陸軍特殊作戦の重要人物にこんなこと頼んでいいんだろうか。マリスは躊躇いつつも聞いてみた。

「ですので、あの……手伝って頂けますか?」

 優雅な笑みが返って来た。誰もが王家の血筋と信じるに違いない、自然で与えるような笑顔だ。

「勿論、喜んで」




 スヴァルさんはどういう方なんですか。マリスが切り出すと、だらしなく落ちてくる長い前髪を耳に掛けていたテイトの指が止まった。

 上官に対する質問としてはあまりに幼稚だったか。マリスは即座に後悔するが、仕事のためでもあるし、と気力を奮う。

「梶原さんとスヴァルさんは作戦前からのお知り合いだと伺っていましたので。わたしはスヴァルさんに対して、偏見や誤解を持っているのではと感じたものですから」

 昨日呼ばれた時よりも、テイトの部屋からはさらに床スペースが減っていた。壮大な紙のオブジェを作ろうとでもしているかのようだ。製作段階から大いに不評であるようだが。

 孤高のアーティストはやんわりと困った笑顔をした。

「あー……実はですねえ、カイリさんが心配していたんです。マリスさんのスヴァルに対する第一印象は悪かった筈だ、って」

 はいとも答えにくくて伏せがちにしたマリスの目は、テイトのヨレたシャツに歯磨き粉らしき縦長の染みを発見する。これもカイリの心配事の一つだろうとマリスは容易に推測出来た。

「何やら脅迫めいた事を言っていましたからねえ。そうそう、偽証罪がどうとか」

「嘘をついたわたしがいけなかったんです。でもその節は庇って頂き、ありがとうございました」

 頭を下げるマリスに、テイトはいえいえと扇子を振る。それから扇子の先を顎に当てた。そこが栗色の無精髭にうっすら覆われているのを見てマリスは、この人は早く結婚するべきだと思う。

「スヴァルがどういう人か、ですか……」

 すらすらとした回答を予想していたマリスは、テイトの沈んだような表情に戸惑った。たっぷり一分程も黙り込まれ、質問を撤回しようかとマリスが考え始めた頃に、ようやくテイトは頷いた。

「マリスさんは、疑問に思いませんでしたか? グアヌの王族、ヒアデス・アルデバランの一卵性双生児ともあろうスヴァルの存在が何故、ヒアデスにも父親にも世間にも知られていないのか。何故そんな都合のいい話があるのか」

 母親が極秘裏に養子に出したのだろうか、程度にしか考えていなかった。マリスは答えに窮して、膝を揃え直したりしてみる。

「スヴァルの存在はねえ、ヒアデスを生んだ母親でさえ知らないんですよ」

 一卵性双生児であることを母親さえ知らない、そんなことが有り得るのか。

 唖然とするが外面上は努めて平静を装って、マリスはテイトの説明を待ち受ける。対するテイトの青眼は、真剣というより憂いているように見えた。

「アメリア連邦陸軍は病院関係者に、アルデバラン五世の妻から胎児の細胞を盗ませました。スヴァルは代理母から生まれた、ヒアデスのクローンなんです」


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