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六連星の王座  作者: シトラチネ
第2章 迷いの摩利支天
7/23

§1

「I love working for Uncle Sam! Let me know just who I am.」

「I love working for Uncle Sam! Let me know just who I am.」

「1,2,3,4, United States Marine Corps! 1,2,3,4, I love the Marine Corps!」

「1,2,3,4, United States Marine Corps! 1,2,3,4, I love the Marine Corps!」

 陸軍特殊作戦軍民事/心理作戦軍団第二心理作戦部梶原隊の朝は早い。

 階級的にも年齢的にも一番下であるマリスは四時起きである。そしてまずすることはP.T.――Physical Training、つまり体力向上訓練。Good Morning Runの通称は聞こえはいいが、実情は地下ジムで筋肉大好き歩兵とみっちり三マイルのランニングだ。

 毎朝マリスはリクとランニングマシンで並走し、歩調を取るための軍隊特有の歌に声を張り上げさせられる。地下で音が漏れないからというリクの提案だが、新兵マリスにとってそれは命令となる。

 二マイルに差し掛かったところで、マリスはグアヌ入りしてから数日来、ずっと不審に思っていたことを口にした。

「あのう、先輩」

「何だ後輩」

 マリスは猪植陸上等兵を先輩と呼んでいた。

 通常ならばCorporal Inoueと呼ばねばならないところだが、そうもいかない。ここグアヌ準州における作戦展開中は、民間人として大学生を装うことになっているからだ。

 かと言ってアメリア人学生らしくRickと呼び捨てるのは新兵として流石に気が引けて、困ったマリスは先輩と呼ぶことにしていた。

 同様の理由で梶原艇人准尉は梶原さん。花咲海璃看護師はカイリさん、そしてスヴァルはスヴァルさんである。

「これって、陸軍じゃなくて海軍の歌ですよね」

「俺の好みだ」

 にべも無い返事。

「My Corps! Your Corps! Our Corps! The Marine Corps!」

「My Corps! Your Corps! Our Corps! The Marine Corps!」

 陸軍なのに、陸軍の花形・特殊作戦軍なのに。先輩の名前も陸なのに、とマリスは複雑だ。

「海軍に入りたかったんですか?」

 問えばリクはぴたりと黙る。マリスは走りながら冷静にリクの唇を観察した。端が忌々しげに引きつっている。

「……ひょっとして先輩、泳げなくて水が怖いとか」

「黙れ一兵卒! 三マイルから五マイルに増やされたいか!」

 一マイルは一.六キロ。ブートキャンプでも毎朝三マイル走らされていたが、もともと体力が自慢ではないマリスはそれ以上は御免だった。

「No, Sir! I don't want no teen-age queen. I just want my M14.」

「I don't want no teen-age queen. I just want my M14.」

 女の子よりライフルを。マリスは、この歌詞がリクの気に入りなのを知っていた。たちまち機嫌を直したリクが調子外れに合わせるのを確認すると、マリスはやれやれと溜息を吐く。




 それが終わってシャワーを浴びると朝食の支度になる。

 梶原隊の面々はなかなか好みがうるさい。まずマリスは消極的demi-vegとスヴァルにからかわれた、鶏肉と魚肉は食べるベジタリアン。

 マリスの父は菜食主義者だった。仏道にある者は肉に加え、五葷ごくんと呼ばれる臭気の強い野菜も避ける。具体的にはニンニク、玉葱、韮などである。

 父親はマリスにもそうさせたがったが、大和日本の学校では宗教による食事の差別化にはあまり配慮がなされていない。しかも宗教上の理由で給食を残すことを認めない、頭の凝り固まった教師がいるのも事実だ。なし崩し的に肉も食べる羽目になったのが、消極的デミ・ベジの所以だ。

 スヴァルは卵や牛乳も禁忌するstrict vegetarianを心がけている。成り代わる対象、ヒアデス・アルデバランがそうだからだ。よってスヴァルの食事担当は、父親の食事でベジタリアンフードを作り慣れていたマリスに決まった。

 一方、リクはBBQを語らせたら翌朝になりそうなmeat-eater。ベジタリアンにも段階がある事さえ知らないようだ。

「チキンウィングが食べられなくなったら、俺は二日ともちませんよ。えっ、じゃあ代わりに何を食べるんですか? ああ、フレンチフライか」

 食事から肉を引いたらフライドポテトしか残らないという思考回路から推量するに、リクはmeat-eaterなだけでなくfast food-eaterでもあるようだ。

 リクはコーラが世界最高のドリンクだと信じている人種に違いない、とマリスは密かに思う。

「先輩、野菜はジャガイモだけじゃないんですよ。豆類には先輩のだーい好きなプロテインも含まれてます。豆腐が原料のステーキやハムもありますよ、先輩も一度試してみては」

「ニセもんで腹が膨れるか!」

 リクには精進料理の存在意義を認める気が無いらしい。

 スヴァルが含み笑いしながら首を振って見せていた。こういう人には何を言っても無駄だよ、となだめられたようだ。

 密やかな断念がされているとも気付かないようで、リクの嘆きは止まらなかった。

「ガーリックもオニオンも駄目? チーズバーガーなんて無理? かーっ、俺は坊さんにはなれない。頼まれても金積まれても、絶対ならない。肉がなきゃ生きてけない」

 真剣に肉への情熱を語るリクに、カイリがにっこりしてみせた。

「安心してね、リク君。お肉なら売るほど冷蔵庫にあるわ」

「ありがとう、カイリさん! 御礼に何でもします!」

「そお? じゃあキッチンの壁、塗り直してもらおうかな」

「Yes, Ma'am! I'd be delighted!」

 こうして、リクの食事担当は特に主義の無いカイリということになった。そしてリクはうまく操縦されて雑用の力仕事をさせられるのだが、delightedの言葉通り喜んで従っている様子だ。

 残るはテイト。金髪青眼のくせして朝は和食派だが、その他のこだわりは無い。そもそも食べることに興味が無いらしい。調査に熱中してダイニングに下りて来ないこともしばしばで、その度にカイリに部屋から引きずり出されてくる。

 よって、朝のキッチンは各自の主義と好みに合わせた食材が飛び交うことになる。

 マリスはふと、特殊作戦部隊の仕事で納豆をレンジ解凍している自分に首を傾げた。




 朝食も済むとブリーフィングが待っている。

 スヴァルはグアヌの地理を把握するために、ボディガードのリクを伴って外出する日が続いていた。ヒアデス・アルデバランが過去に歩いた場所をくまなく歩き、地形や地名を頭でなく体に叩き込むためだ。二人からはその進捗状況と予定の報告がされる。

 カイリは隊員達の健康管理と家事の傍ら、テイトの秘書も務めていた。資料作成や連絡などを甲斐甲斐しくこなす。だがマリスにはカイリが秘書仕事より、部屋に篭もりがちなテイトに食事と睡眠を取らせる事に燃えているように見えた。

「じゃあ、今日も一日よろしくお願いします」

 自分には何も報告させずに打ち合わせ終了を告げるテイトの声を、マリスは唇を引き結んで聞いていた。

 テイトとスヴァルが何を期待して自分をこの特殊作戦に参加させたのか、マリスは痛いほど承知していた。それに応えられない不甲斐無さと、応えたくない反発心が同居している。

「マリスさん、ちょっと」

 テイトに手招きされ、マリスはとうとう来たかと腹を括った。

 ここはグアヌ準州の首都アガタの郊外に建つ、四バス四ベッドルームの一軒家である。

 玄関にはセキュリティ会社のサービス加入を示すラベルが貼ってあるが、誰かが押し入った場合に駆け付けて来るのは警備員でなくアメリア海軍だ。しかも屋内にはリクが毎日愛情篭めて手入れする銃器類が待ち構えている。ただの空巣にしろ、賊は生きて帰れないことを保証されていた。

 その中の一室、テイトの部屋は足の踏み場を見つけるのも苦労する程の本に埋もれていた。カイリには整理整頓と掃除の観点から、リクには警備上の観点から散々片付けろと言われても、テイトはへらっと笑ってこう言うのだ。

「いやあ、散らかってても僕は、何処に何があるのか把握しているんですよ」

 そうでなくて、と詰め寄られても平気なものだ。

「それがO型の特徴なんですよねえ」

 するとカイリもリクも、とりあえずその日は文句を言うのを諦める。

 マリスは最初、テイトがわざとはぐらかしているのかと思っていた。だが真面目に受け答えしているつもりなのを知って、頭の中の隊員観察メモ・テイト欄に無頓着の文字を追加していた。

 何処に何があるのか把握している以上は崩してはいけないのだろう、と慎重に本の塔の間を縫って、マリスは勧められた椅子にたどり着く。そこにもファイルが重ねられていたが、テイトは気付いていないようだ。

 仕方なくマリスは近辺のカーペットが露出している貴重なスペースをそのファイルで埋めて、ようやく腰を下ろすことに成功した。




「実を言いますと僕は今、困っていましてねえ。何がって、友人の調査結果を信じるか、部下である君を信じるかということなんですが」

 マリスは一週間前の、フォートブラッグ基地での会合を思い出した。父親に教育され、摩利支天の密教修法を全て体得している筈だと断言したスヴァルの強い視線が蘇る。

 息を一つ大きく吸い、実際に眉尻を下げて困っている様子の准士官を見つめ返した。

「ご友人の調査通り、わたしは摩利支天の修法を行なえます」

 テイトは大きく瞼と腕を開く。それは感嘆でもあり、何故嘘をついたのかという問いかけでもあるようだった。

「ですが、全部ではありません。だからあの時、スヴァルさんにはいいえと言いました」

 眼鏡の向こうの青い目がきょとんとする。開いていた腕が、膝の上にぱたりと落ちた。

 全ては体得していない。そういう意味でいいえと言ったのは故意の説明不足だ。

 マリスは叱られるかと覚悟していたが、返って来たのは意外にも朗笑だった。わざわざ私物で持ち込んだのか、テイトは扇子で膝を打ったりしている。

 軍配団扇のつもりですか、と聞いてみたくなるのを我慢した。

「あーそうか、そうだったんですねえ。いやはや」

 まるっきり白人の顔で、いやはやなどと言われると気が抜ける。あの人調子狂うんだよな、と独り言のように呟いていたリクに賛同したくなった。

 しかし喜ばれて困るのはマリスである。途端に上機嫌になったテイトを制そうと、急いで言い足した。

「それに、今は出来ないんです。この任務を命じられてから、努力はしています。けれど三年間のブランクがありますし」

「Hm-hum.」

 先刻と打って変わって、テイトの相槌はアメリア人的だ。

「わたし自身、迷いがあって……力不足で、申し訳ありません」

「差し支えなければ、何に対して迷っているのか、聞いてもいいですか?」

 テイトはマリスの上官だ。差し支えなければなどと下手に出る必要は無く、話せと命令出来る立場にいる。

 けれどそうしようとも、そう出来るとも思っていなさそうなテイトの謙虚さに打たれて、マリスは話す決意を固めた。


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