§5
禍々しい話の数々にカイリ、Kylie Hanasaki、花咲海璃看護師は胸が悪くなっていた。
この准尉はアメリア人なのにアジアの、しかも恐ろしげな宗教集団を研究しているなんて変わっている。だが彼みたいな分析官がいるからアメリアの治安が保たれようとしているのだ、と即座に思い直した。
それにしても、とカイリはテイトの痩せた頬を眺める。
この人の、梶原准尉の不健康そうな肌といったら。研究に没頭して寝食を忘れ、ろくに日光に当たらず、運動もしていないに違いない。熱帯海洋性気候のグアヌでは初日に倒れてしまうのではないか。
しっかり食べてもらわなくちゃ、と早速に課題を頭へ刻む。
「裏密という一派は公式の文書には一切登場しませんし、勿論、皇族も彼らとの繋がりどころか、彼らの存在さえ認めていません」
その健康不良青年の言葉で、カイリは健康問題から呪術集団へと関心を引き戻される。
「ですから、これは確たる裏付けの無い話に過ぎないのですが……数々の貴重な証言を元に推測すると、次のようになります。皇族と繋がって暗躍していた裏密一派ですが、皇族の力が弱まった幕府の時代になって影を潜めます」
カイリは父親の仕事の都合で、高校生までを大和日本で育った。当然その過程で大和日本の歴史も習っている。看護学校はアメリア連邦で修了したが、入隊してからは大和日本国内にあるアメリア連邦軍基地に配属されていた。
外見以上に大和日本人文化に近いカイリは、テイトの説明をすんなりと理解していた。
むしろリクの方が見た目は大和日本人なのに、説明を噛み砕くのに苦労しているようだった。説法、怨敵などという口語的でない単語が出てくる度に、彼の眉間には皺が寄せられる。
不明瞭な点が無いか後でフォローしてやらねば、とカイリはまた課題を頭に入れた。
「裏密はその後、勢力復活の希望を見出します。一八六九年の大政奉還ですね。皇族と共に再び活動を活発化させるかと思われましたが、もはや皇族は裏密を必要としていなかった。時代が変わっていたんですねえ。パトロンに見放され、失望した裏密は新天地を求めたようです」
宗教って、地盤が危うくなると海外へ布教しに行くわね。カイリはそう思ったところで、はっとする。
「グアヌのアルデバラン王朝成立は一八九〇年。大政奉還の僅か十一年後。このタイミング、そしてアルデバラン家の極めて呪術性の高い密教修法、パトロンに頼らず自力で王国を樹立しようとする動き。私は、アルデバラン一族こそが大和日本を捨てた裏密一派と考えています」
復活を目論むアルデバラン家の執念を生々しく感じて、カイリの腕には鳥肌が立った。
「裏密は一家相伝、つまり教義は弟子でなく一家に代々伝えられてきたと言われています。つまりアルデバラン家が裏密ならば、唯一の教義継承者であるヒアデスをスヴァルに替えた時点で、裏密は途絶えることになります」
アジア・オセアニア地域に展開するアメリア連邦太平洋軍の看護師団の一員として、カイリはグアヌの戦略的重要性を良く知っていた。これはグアヌ準州の独立によって海軍の大きな拠点を失うのを阻止する一方で、危険分子を排除する一石二鳥の作戦なのだ。
ホワイト大佐、梶原准尉を隊長とする特殊作戦分隊、スヴァル氏、そしてグアヌ現地の情報源であるドス。カイリはこの七人に課せられた任務の重さを思い知った。
「アメリア連邦によって暗殺が計画されたかは、我々の知るところではないが」
カイリが重圧に身を縮めているというのに、そう話し出す替え玉本人はどこか楽しそうだった。
王家の血を引いているのが理由かは分からないが、存在感も気品もある。会話の進め方を見ると、頭も良さそうだ。けれどマリスに対しては少し強引に感じた。
彼らに軋轢がないといいけれど、とカイリは心配になる。
「それなりの警護もついているし、何しろグアヌ準州民の圧倒的な支持を受ける要人だ。消すより親アメリア派に転向してくれた方が、手間はかかっても得策というわけだね」
スヴァルが悠然と見回す様は、人の上に立つ者の風格を感じさせた。
「アメリア連邦特殊作戦軍のtruth、つまり真理は四つある。Humans are more important than Hardware. 武器より人材。Quality is better than Quantity. 量より質。Special Operations Forces cannot be mass produced. 少数精鋭」
長い指が数えていく。
「そしてCompetent Special Operations Forces cannot be created after emergencies occur. 備えあれば憂いなし」
それにしても不思議な子だわと思いながら、カイリはマリスへ目を向ける。
大和日本人種としては標準以上の身長があるが、アメリア人の中ではやはり小柄だ。リクのような精気に溢れる存在感はなく、むしろ周囲に融けて消えそうだ。かと言って影が薄いわけでもない。
こうして見れば綺麗な子ね、とカイリは思った。
ストレートのブルネットを丁寧にアップにして、ナチュラルなメイクは清潔感がある。アメリア人女性が薔薇のような華やかさを競うなら、彼女は百合の静けさを湛えている。
新兵というのはとにかく緊張して場から浮いてしまいがちなのに、マリスはそういった意味での新兵らしさを感じさせなかった。
やっぱり寺院の娘だからかしら、と納得してみる。
カイリは大和日本での暮らしが長かったが、流石に摩利支天という名までは聞き覚えが無い。マリスはその秘術は出来ないと言ったが、カイリからすれば密教の知識は中央情報局の専門家であるテイトと同等に豊富なのは確かだった。その博学さを買われているのだろうと推測する。
「作戦遂行にあたっては、慎重な行動が求められます。と言いますのも裏密つまりアルデバラン家は、敵に対して積極的に呪術を仕掛けると考えられるからです」
マイペースな研究者といった風情のテイトも、流石に硬い口調で注意を喚起している。
「前々回、五年前のグアヌ準州知事選挙においても、アルデバラン五世の対立候補は選挙直前に突然の発作に見舞われています。彼は健康上の理由を選挙戦から降り、アルデバラン五世の再選後に死亡しています」
技術的な問題のため、前回の知事選直前に撮影されたほどの詳細な衛星写真は得られなかった。だがこの時もアルデバラン邸の庭では火を焚いているような映像が確認されている、と説明があった。
「そしてこれも確実性のある話ではないのですが」
カイリは分隊が相手にする者の陰湿さに背筋が寒くなり、思わず自分の肘をさする。
「日本を見限って去る際に、裏密は自分達を用無しとした大和日本の天皇家に呪いをかけたとされています。具体的には明冶天皇の後嗣です。太正天皇が養子という話はご存知でしょうか」
明冶天皇と皇太后の間に皇子女は生まれなかった。側室との間に生まれた四人の親王、内親王も次々に亡くなっている。
そして即位した太正天皇は、典侍と呼ばれる宮中の女官との子である。明冶天皇とこの女性には他に三人の皇子女があったが、いずれも成年に達することはなかった。
太正天皇も出生直後から健康に優れず、また精神状態においても懸念があると噂され続けた。皇位を継承して健康状態が悪化、即位後僅か七年で皇太子が摂政となり、更にその七年後に四十七歳で亡くなっている。
そういった説明を受けて、カイリは怖くなる。
アルデバラン家断絶が計画されていると知ったら、彼らはアメリア大統領を手にかけることだって厭わないだろう。この特殊作戦分隊も危ない。
敵に悟られるような軽率な行動は厳に慎まねば、とカイリは身を引き締めた。
資料はその場で全てシュレッダーにかけられた。作戦展開中は物的証拠を残さないように厳重注意される。写真等の撮影は厳禁、筆跡の残る手紙やメモも必ず焼却処分。
作戦終了後はスヴァルは勿論、各メンバー間の連絡、面会は絶対禁止。成功にしろ失敗にしろ、任務が完了すれば二度と再び会うことの許されない人になる。
軍隊ってつくづく非人間的な組織ね、とカイリは唇を尖らせた。