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六連星の王座  作者: シトラチネ
終章 暁天の星
23/23

§1

 グアヌ準州知事、ヒアデス・アルデバランの服喪が明けた。

 心臓を患っていた前知事アルデバラン五世が、知事邸出火の夜に急逝してから一年が経つ。焦土と化した前庭には今や芝生の青が敷き詰まり、グリークリバイバル様式の邸宅にはすでに一刷けの煤も残されてはいない。白亜の知事邸は高くなりつつある南洋の太陽の下、毅然として空を支えている。

 昨日催された追悼法要の疲れはヒアデスの背を丸めさせ、自室への足取りを緩慢にさせていた。

「冷たい物をお持ちしましょうか?」

 振り返れば、小柄で浅黒い肌をした現地チャバロ人女性の使用人が緊張の面持ちで返答を待ち受けている。

「いえ、結構。昼食まで少し休みます」

 かしこまりましたの後半を、閉まるドアでやんわり切断した。そこへそばだてられた耳は、使用人同士の密やかな噂話を拾う。

「真面目すぎてとっつきにくいったら。お勤めして一年経つけど、まだ慣れなくて」

「いいじゃないか、陰気さが不遇な王族の末裔らしくて。あれでも知事になられて少しは社交的になったさ」

「親アメリア政治じゃ、本土に笑顔を振りまくのも仕事だろうしねえ。おかげでグアヌじゃ空前の景気ときた」

「いずれにしろ、グアヌ州民にとっちゃありがたいお方だよ。さ、掃除だ掃除だ。ホールをすっかりきれいにしちまわないと」

 掃除用具のぶつかり合う音がし始めて、ヒアデスはそっとドアから後退した。バスルームへ向かいながらネクタイを緩め、襟元を楽にする。洗面台に手を突き鏡の中の青年を見上げれば、会心の笑みが出迎えた。

「――いかがかな、ヒアデス・アルデバラン。スヴァルが演じるあなたは?」

 父を悼む神妙さ、持ち越した疲労、愛想のなさに俯く先程までのヒアデスはもういない。藍を絞った瞳に冴え冴えとした光を湛え、背筋をぴんと伸ばして、硬かった口角に穏やかな微笑を載せる。

 アメリア連邦政府にとって都合の悪い各界の要人。政府はそうした要人の子供の遺伝子を盗み、軍の研究所奥深くで何百人ものクローンを育成している。時機が来れば本物とクローンをすり替え、親アメリア路線へ誘導する――プロジェクト・ダブル。

 スヴァルはプロジェクト・ダブルのクローンとして成功を収めている、と自負していた。

 アメリア連邦政府にとってグアヌ準州は最早、独立運動の火種ではない。環太平洋地域のハウイ州に次ぐ軍事拠点として急成長している。アルデバラン知事は州民と政府間の利害調和において公約以上の成果を実現、高い支持率を維持していた。

 同時に、自分以外の準州政府の政治家の人気と権力を巧みに分散させた。また反アメリア派を少数ながら残した。そうなればアメリア連邦政府はスヴァルを切れなくなる。

 プロジェクト・ダブルの最終段階は、クローンすり替えによる親アメリア路線定着に留まらない。いずれクローンもろとも証拠隠滅し、計画の存在及び介入を完全に隠蔽する事だとスヴァルは読んでいた。故にスヴァルなしにはグアヌ準州の平穏が有り得ないという状態こそ、スヴァルの命綱となる。

 用心すべきは政敵でなく、スヴァルというクローンを生産したアメリア連邦そのものだ。強大な相手であれど、魂の友人達が命懸けで通してくれた生の道を、不注意につけ込まれ封鎖されるわけにはいかなかった。

「持ちこたえてみせるよ。究極のボディガード……マリス、あなたがいなくても」




 ほぼ一年前。

 グアヌ準州海軍病院の一室は梶原隊聴取のため、陸軍特殊作戦軍の調査団とホワイト大佐によって占拠されていた。テイトの先導で到着したスヴァルは、ホワイト大佐が提出された配偶者推薦書に目を通す隙を与えなかった。

 その場を私事に借用する事を詫び、次いでマリスの前で膝を突く。

 聴取を受けていたマリスは、まるで被告人席のように環視に晒された質素なパイプ椅子の前で直立不動を保持していた。スヴァルの急な来訪も、推薦書へ注がれる大佐のアイスブルーの瞳が一層希薄になったのも、マリスの頭の中は理由を求めて暴れているに違いなかった。

 それでも冷静を装っているクール・ビューティーの手。捧げ持てば頬の奥にうっすら朱が咲くのを、スヴァルは満足に浸りながら仰ぎ見る。

「あなたがいなければわたしは、あなたの前にひざまずくこの男が誰なのか……考えずにおかせただろう。そう、パンドラの箱のように」

 ヒアデスとして生きねばならない、選り好みする立場にない。そう自らを欺きスヴァルというクローンの死を受け入れねば、スヴァルとしてもヒアデスとしても生きるに耐えられないと思っていた。

「だが今は言える。あなたを愛するこの男は、ヒアデスでもスヴァルでもない……一個の自由意志で、それこそがわたしだと。だから答えて欲しい。アメリア連邦の軍人としてでなく、あなたとしての答えを」

 星のようだ、とスヴァルは思った。マリスの瞳は微動だにせず頭上から見詰め返している。

「結婚して頂けませんか?」

「…………」

 音を吸う宇宙のごとき無言が続いた。

 一時は打ちのめされ、恐れたその静寂は今や脅威ではない。心優しさ故に落命した女性が、親友だと誓ってくれた男を通じて、あれは彼女の驚愕の振舞いだと教授したから。

 やがて漆黒の星は、肉眼では捉えられない揺らめきに瞬き始めた。細い指が遠慮がちに温かさを増して握り返す。珊瑚色の唇から零れる消え入りそうに微かな息は、それでいて迷いのない返事を成す。

「はい。喜んで……」

「梶原准尉、この推薦書を却下する」

 しかし地雷よりも唐突な宣言が、一瞬にして部屋の空気を凍結した。

「最初に注意した通り、プレアデス計画終了後の関係者同士の接触は一切禁止だ。ミスター・アルデバラン、答えを聞けば満足だろう。知事邸へお戻り願おう。今後、配偶者の決定は特殊作戦軍本部で行う」

「ありがとう、マリス」

 仮にもアメリア連邦陸軍特殊作戦軍の中枢を担うホワイト大佐に、スヴァルは一瞥もくれなかった。大佐の事務的な通達を完全に黙殺し、マリスへと微笑む。たちまちマリスの下瞼には痛みが湧き出し、抱えきれなくなったまつ毛の間から転がり落ちてきた。

 こうなることは予想していた。ねじ込むチャンスはあるとテイトは希望を繋いでいたが、スヴァルは結婚どころか、マリスのグアヌ準州兵転属さえ却下されるだろうと分かっていた。

 ただマリスの答えを聞きたかった。

「ですが、大佐」

 焦燥に声を上ずらせるテイトが、突き返されようとしている推薦書と大佐の顔を交互に見比べている。

「接触の禁止理由が機密漏洩防止ならば逆に、配偶者が関係者なのは不利ではな――」

「無駄だ。仮にそうであったとしても、私は禁を解く権限を持たない。警護兵に連行されたくなければ退室願おう、ミスター・アルデバラン。ここは一般人の立ち入る場所ではない」

 テイトが返却されるのを拒否した推薦書は、大佐の指で幾枚にも引き裂かれていく。まるでそれがスヴァルとマリスの絆かのように念入りに。

 大佐は机の上から紙屑を払いのけて、機械が読み上げる判決文のごとき単調さで告げた。

「連邦大統領の推薦でも取り付けて出直したまえ、出来るものならばな」




 回想に浸っていたスヴァルを電子音が現実へ引き戻す。電話に呼ばれていた。

 複雑な暗号化が施された軍事衛星携帯電話を、スヴァルは通信先限定でその使用を許されている。かけてきたのはホワイト大佐の補佐官で、グアヌ準州施政についての特殊作戦軍との連絡役だ。

 通常の、およそ確認に過ぎなくなった定時連絡を早々に済ませる。補佐官はスヴァルが頼みもしないうちに、既に定例となった転送を実行してくれた。

 呼び出し音が鳴る間に腕時計を確かめる。フォートブラッグ陸軍基地及びホワイトハウスのあるアメリア連邦東部時間帯との時差は十五時間、向こうは日付が変わって小一時間経つ。

 Helloと潜めた応答に、スヴァルは通信先が職務中なのを悟った。

「すまない。あなたのボスはもうベッドに入られたかと」

『入っておいでです。ファーストレディでないご婦人と』

 またなのか、と呆れる。

「あなたがS.P.になってからというもの、彼の愛人宅通いは度を過ぎている。あなたの隠形術に気が大きくなって、またパパラッチの面前を突っ切ってみせたりしてるんじゃないだろうね?」

『……あと一年の辛抱ですから』

 明言を避けた答えは、究極のボディガード兼不可視シールドを手に入れたアメリア連邦大統領の浮かれっぷりを示唆していた。大統領の執務中に限らず一日中、世界中を連れ回されるマリスへと、スヴァルはねぎらいのキスを電波に乗せる。

 スヴァルもマリスも、あの時プロポーズを退けた大佐の真意を汲み取っていた。大佐は、大統領の推薦を受ければ超法規的措置で結婚の許可が下りる可能性を教えたのだ。

 マリスは二年間のS.P.勤務と交換に、スヴァルの配偶者としての推薦を得る契約を大統領に取り付けてきた。マリスが単身ホワイトハウスの大統領執務室に侵入してみせたと大佐の補佐官経由で聞いた時、スヴァルは電話の奥に大佐の愉快そうな笑い声を聞いた。

 それから約一年、週に一度の通話だけがスヴァルとマリスに辛うじて許された全てだ。大統領がどれだけ放映されようと、四六時中側に控えている筈のマリスの姿は決して映らない。

『先週、首脳会議で大和日本へ同行した折、僅かですが父と会う時間を頂きました。御礼を言えました……父の教えが今、大切な人を守るために必要不可欠になっていると』

 呪殺の修法、摩利支天神鞭法を巡って対立した父娘。和解の知らせにスヴァルは心からの安堵と祝福を送る。

「しかし大切な人というのがアメリア連邦大統領だと知ったら父上は、あなたのように驚愕に硬直したりするのかな」

『……その……それは、大統領の事では』

 恥じらいにうろたえるその返事を期待していたと、知られては拗ねられてしまう。軍部の、そして大統領の暗部の只中に身を投じながらもマリスの星は輝きを濁らせない。それを針一本ほども曇らせてしまいたくはなかった。

 スヴァルは幸福にたゆたいながら瞼の裏にマリスを描く。

「わたしも愛しているよ」

 暁の陽光を手繰り寄せる代わりに、星々は姿をそっと消されて行く。それでも存在を胸に留め置くだけで、光輝は永続する。例えその在りかを知る者が、暁天の星のごとく僅かな数であろうとも。


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