§4
陸軍から支給されたボディアーマー、その素材であるケプラーは繊維全体で銃弾の衝撃を緩和する。一昔前の防弾プレート挿入型より軽量だが、二、三発の被弾で防弾性能を失う。
印契を掠めた銃弾に右胸を叩かれたマリスが上体を折るのが見えた。
「マリス! くそっ」
リクは右手に構えたH&K MP5PDWサブマシンガンをヒアデスへと連射する。潜伏していた廃屋から突如飛び出したヒアデスは激怒していた。封言術で呪術攻撃力を奪われ、捨て身でマリスの殺害を企んだのだろう。術者を殺せば術が解ける、同じ理由でヒアデスを倒そうとするリクには瞬時に理解出来た。
「射殺しろ!」
ホワイト大佐が自らも発砲しながら叫んでいる。しかし二羽の迦楼羅が集中砲火の標的たるヒアデスの両脇を固め、主の負傷を許さない。僅かな隙間を縫ってヒアデスの腿に一発が沈んだが、怒りに痛覚さえ消し去られたのかヒアデスの突進は止まらず、手にあるライフルは二発目を放った。
マリスが仰向けに倒れ、遂に指の印が解ける。
「――死ね、摩利支天の使い走りめ!」
声と共に腿の痛みも取り戻したか、ヒアデスは転倒気味に膝を突く。それでもライフルの先は執拗にマリスへと差し向けられた。
リクの戦闘本能は標的が足を止めた一瞬を逃さなかった。ヒアデスを護衛する迦楼羅にサブマシンガンを投じ、その一方で左手はホルスターからH&K Mk23を抜く。アメリア特殊作戦軍SOCOMの別名を持つ特殊部隊の愛挺、そして看護師カイリの命を絶った拳銃だ。
迦楼羅がサブマシンガンに食らいつきヒアデスから身を離す僅かな瞬間を、リクは鮮烈なコマ送りとして眺めていた。瞳孔は銃口からヒアデスのこめかみまで一直線の弾道を見出す。
カイリの最期のメッセージは『ヒアデスを殺すな』――ヒアデスの意識操作下にあったにしろ、心優しいカイリの胸底には確かにその思いが潜んでいたに違いない。だからこそ術に嵌まった。
だがリクにとってカイリを殺した拳銃は、ヒアデスの血によって洗い流す事でしか癒されない。他の選択肢を受容するつもりはなかった。戦場では迷った者が真っ先に死ぬ、カイリが命をもって実証させられた真理にリクは従う。
有機体として植物にも生命が存在するならば、ベジタリアンと言えど人間は所詮、命を刈り取って生き長らえる原罪から逃れられない。魂の生存という戦場で、リクは己の信念のために原罪を一つ重ねる。
軍人として急速に成長し、常人離れした集中力と法力で仲間の窮地を救ってきた後輩、マリス。そのボディアーマーは既に二発を受け限界に達している。そこへライフルの照準を定めるヒアデスのこめかみ一点に向け、リクはトリガーを絞った。
「許せカイリ……」
銃砲や弓矢を扱う者ならば、手応えというものの不思議さを体感する筈だ。撃ち出された瞬間に弾丸や矢は手元を離れて独立するのだから、それらが目標物へ到達したかどうか理論上は感知出来ない。だが目標物によって跳ね返された衝撃波を研ぎ澄まされた肌はレーダーのように受信する。飛行を阻んだ物質の密度さえ手に取るように。
リクの中で、カイリの肉を裂いた弾丸の感触がヒアデスの手応えで上塗りされていく。
どんな炎より紅く染まったヒアデスの指は被弾の驚きによってか最期の執念か、ライフルの引き金を引いた。
その銃声がフムジョンマンズロー山に響き渡ると、雁が撃ち落されるように二羽の迦楼羅は主の骸へと墜落する。だがヒアデスを火葬にする威力もなく、風に吹かれて消えた。
「マリス、しっかりしろ! ……ん?」
ヒアデス・アルデバランの死を見届けるのも早々に後輩の元へと駆け戻る。被弾の衝撃で倒れたマリスへ屈み込んでいたのは、隣にいたはずのホワイト大佐でも捜索隊員でもなかった。
「そうは言ってもね、マリス。ボディアーマーとユニフォームを脱いでくれなきゃ、傷を確認しようがないじゃないか」
「どうしてあなたが、嫌です! げほっ」
「ほら咳き込んでいるし、肋骨や肺に損傷を負っていたらどうする? 強情もいい加減にするんだ」
マリスと手の攻防を繰り広げている長身の青年の横へ、リクは呆れたため息をつきつつ腰を落とした。
「スヴァルさーん、ここはコンバットゾーンです。神聖な戦場で俺の後輩にセクハラすんのはやめて下さい」
「おやおや。勝手に軍を離脱した君達に、先輩後輩なんて上下関係は消滅したと認識していたが」
ヒアデスの三発目はマリスを捉えていなかったが、ライフル弾二発を受けたケプラーのボディアーマーは潰れている。リクは小さく安堵の息を吐いた。間一髪でマリスを救った銃身をそっと撫で、H&K Mk23をホルスターに収める。
「第一、フムジョンマンズロー山まで奪いに来いと焚き付けたのはリク、他ならぬ君だろう」
あてつけながらもスヴァルは王族の笑顔だ。アルデバラン別宅を出発する際には殴りつけてきた相手だが、口では勝てないのを重々承知なリクは、降参の印に両手を軽く挙げた。
「私がノコノコと戦闘地域に入るのは、軍法会議覚悟で臨んだ君達の意思を無駄にする行為だと思ってね。テイトと麓で通信を傍受していたんだが、女性兵士負傷と聞いてつい……マリスが大事に至らなくて、摩利支天に感謝しなければ。ああ、勿論リクにも」
取ってつけたような謝辞に含まれる故意は聞き逃さない。
「俺に殴られた事、軽く恨んでませんか?」
スヴァルは眉をひそめ、心外を露わにする。
「まさか。たっぷりと恨んでいるよ」
リクはがくり、と迷彩パンツの膝の間に頭を垂れた。
「グアヌ準州民に同情しちまうな。スヴァルさんが知事になるなんて」
おかげさまで、と泰然と微笑むスヴァルにリクもつられて笑う。そこへ急いた足音が走り寄って来て、見れば通信兵を伴ったテイトが手を振っていた。
「海軍に救急ヘリの出動を要請しましたよ! マリスさん、もう少しの辛抱です」
スヴァル及び梶原隊員は、再び生きて集結した。リクは南国の抜けるような青空を見上げ、そこへカイリの笑顔を重ねた。
自分で歩けると主張するマリスを無視し、スヴァルが衛生班の担架を呼び付ける。膝を突いて外傷を調べていた衛生兵の指先がふと、マリスの戦闘服の袖をつまんだ。徽章が無いのを見咎めたようだ。陸軍特殊部隊の要請で出動した海軍衛生科としては、素性の知れぬ民間人を迂闊に海軍病院へ搬送するわけにいかない。
「衛生兵、向こうの射殺体を検死しろ。……どうした」
ヘリ内へヒアデスの検死を命じたホワイト大佐が衛生兵の警戒を目ざとく嗅ぎつける。混乱に紛れてマリスを治療させたかったリクは舌打ちして草を蹴った。
「徽章とドッグタグを確認出来ません」
「私の部下です」
テイトの主張に大佐の冴えたアイスブルーの瞳がマリスを、そしてリクを射抜く。無表情の裏で、俺達はもう梶原隊員じゃない、俺達の意思でヒアデスを殺すと迫ったリクの言葉を吟味しているのは明らかだった。
「No.」
案の定、薄い唇から出た否定にリクは拳を握る。
「私のボディガードだ」
すかさず申し出たスヴァルの人相を衛生兵はそこで初めて認知したようだった。
「あ、あなたは……アルデバラン氏? 彼女はS.P.ですか?」
「No.」
困惑して問う衛生兵に答えたのはまたしても大佐だった。抗議するつもりだろう、スヴァルが険しい顔つきで口を開く。
それを制したホワイト大佐の手が短髪からギャリソンキャップを浮かせた。布地に矢尻を象った特殊作戦軍、及び鷲が翼を広げた大佐を示すメタル階級章が光る。
キャップは担架上のマリスの胸へ捧げられた。
「私の命の恩人だ。直ちに治療を与えろ」
「Yes, Sir!」
弾かれるようにして衛生兵が担架を持ち上げる。同時に大佐のミリタリーブーツの踵が打ち鳴らされた。
「果敢なるアメリア陸軍兵に敬礼!」
背筋を伸ばした大佐が号令をかける。周囲にいたヒアデス捜索隊員も、ヘリで担架を待ち受ける衛生兵も、テイトも、スヴァルも指先まできっちり揃えた敬礼で胸を張りマリスの担架を見送った。
リクは熱くぼやける視界を強い瞬きで叱咤した。