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六連星の王座  作者: シトラチネ
第4章 運星を掌に
20/23

§3

 グアヌ準州はレジャーアイランドの印象が強いが、その実まだ七割は常緑広葉樹から成るジャングルである。フムジョンマンズロー山麓はココヤシから油をとるコプラ産業のココヤシ園として栄えたものの、一九八〇年代以降にコプラ産業は急速に衰退、あちこちに荒廃したヤシ園が打ち捨てられる結果となった。

 ヒアデスが潜伏していたのはそうしたコプラ加工所の廃屋で、周囲の植生はすでにヤシ園の跡地なのかジャングルなのか判別できないほど入り乱れている。

 山道を埋めていた雑草は軍用車になぎ倒され、急ごしらえの車道が出来ていた。それをたどって到着したマリスとリクは、二日間で顔なじみとなったヒアデス捜索隊員の姿を認めて車を飛び出した。

「約三十名で包囲している。生かしたまま捕獲したいようだな、ホワイト大佐の到着と指示を待機中だ」

 兵士の報告を聞き、リクがくそっと舌打ちを放つ。

「大佐が来るのか、面倒だな」

「火を焚いた形跡はありましたか?」

 問いたいのは、ヒアデスがスヴァルに対する調伏護摩を焚いた様子はあったかという事だ。それを阻止するために捜索隊参加を申し出たのだ。固唾を飲んで答えを待つ。

「潜伏が発覚したのは住民による山火事の通報だが、山火事でなく廃屋での焚き火だったようだ。それがどうやら捜索対象人物らしい。今は火の気配はない」

「畜生、遅かったか!」

 思わず目をつぶる。マリスはスヴァルへ無事を確認する連絡を入れたくなった。

『行ってはいけない、マリス』

 車を取りに走る背中で聞いた、スヴァルの悲痛な声が脳裏に蘇る。制止を振り切ってここまで来たからには、間に合いませんでしたと頭を垂れて帰るわけにはいかない。

 ヒアデスはラムラナ山の密教寺院を襲った際に強奪した不動明王像を本尊として、調伏護摩を焚いたはずだ。大威徳明王護摩で用いられたアルデバラン家の大威徳明王像は、知事邸襲撃時にアメリア軍が没収したからだ。

 不動明王護摩は一日で祈祷が可能。七日間を費やして焚かれる大威徳明王護摩ほどの威力を持たないが、裏密の継承者ともなれば充分に強力だと予想出来た。

「マリス、護摩の呪いを取り消す事はできないのか?」

 リクの問いに首を横に振る。賽は投げられてしまったのだ。

「でも、断ち切る方法が一つだけあります。一刻も早く術者、つまりヒアデスを殺す事です」




「はっ、そいつは俺の望み通りの解決法だな」

 ホワイト大佐はヒアデスの生け捕りを計画している。軍籍を離脱し、ヒアデスを亡き者にしようとするマリス達は捜索隊と行動を共にはできない。そもそも大佐はマリスとリクがこの現場に来ていることを知れば、激昂して帰れと命令するだろう。

 先程の兵士には後方待機すると嘘をつく。ヒアデスとの距離を不用意に縮めない事、接近するなら手か口かどちらかの自由を奪う事を忠告してその場を離れた。

「間一髪でしたね、先輩。大佐のお出ましです」

 荒れ果てたヤシ園に繁茂する下草へ身を潜めたところで、軍用ジープが山道を駆け上がってきた。助手席から降り立ったホワイト大佐を双眼鏡越しに確認、前方視界に入らぬよう後退する。ヒアデスの潜む廃屋を頂点にマリスとリク、大佐の車両で長い二等辺三角形を結ぶ配置となった。

「屋内の潜伏者に告ぐ。武装兵力が包囲している。武器を捨てて直ちに投降せよ。五分以内に投降の意思を示さなければ、武力行使する用意がある。繰り返す……」

 軍用車に装備されたスピーカーがホワイト大佐の警告を伝えている。平坦さと感情の無さは、投降の機会を与えるというよりは我々に手間をかけさせるなとの威圧に聞こえた。

 リクの構えるサブマシンガン、H&K MP5PDWの銃口が廃屋のドアへと狙いを定める。

 極限まで切り詰められた銃身を持つこのサブマシンガンはスーツの下にも携行出来るコンパクトさを買われ、強力な護衛用銃として名高い。しかし近接及び屋内戦闘において威力を発揮する機動性、つまり銃身の短さは精度と引き換えにされている。

 コプラ産業盛栄期には事務所として使用されたのであろう廃屋の外板は風雨に晒され、白いペンキが剥落していた。錆びきって赤褐色を垂れ流す蝶番がドア板を放さずにいる事に感心するくらいだ。

 そこまで約百五十フィート。故アルデバラン五世が準州知事邸を包囲した不動迦楼羅火焔界の半径より長い。だからといって安全圏である保証は無いうえ、すでにスナイパーが狙撃銃を用いるべき距離だ。梶原隊にとって長距離狙撃は想定外であり、ライフルは配備されていなかった。

 精度の低いH&K MP5PDWでヒアデスを確実に射殺するには、捜索隊がヒアデスを身柄確保しに接近する前に行動を起こさねばならない。

 摩利支天の隠形術が不可視の暗殺者を生み出す事に、マリスとリクは気付いていた。

 陽炎のように姿を消し、人の目からも災厄からも逃れて防御を徹底する摩利支天の利益。術者自身は精神集中と印契を要するため防御一辺倒だが、戦闘能力を有する者と組み隠形に参加させる事で攻撃性を両立し、生きたステルス爆撃機となる。

 ヒアデスに警告が突き付けられる間にマリスの印契と誦呪は始まっていた。

「一分経過。標的の移動なし」

「武器の有無、確認出来ず」

 軍用車搭載の赤外線探知機、そして双眼鏡で廃屋内のヒアデスを監視する兵の報告がかすかに聞こえる。

 武器を捨てよ、という警告はマリスに幾度目かの失望と焦燥を呼んだ。ヒアデスの武器は密教呪術であり、忘却や堕落によって朽ちる事はあれど物理的な廃棄を要求出来るものではない。大佐が密教修法を否定し続ける限り、準州知事邸のデルタフォース焼死に類する悲劇は繰り返されるに違いなかった。

「二分経過」

「……オンマリシエイソワカ、摩利支天隠形」

 修法の完成によって誰の目にも映らぬ、二人一組の暗殺者が誕生する。

 一歩前進した瞬間、目的地である廃屋から火柱が噴出した。




 火柱は花火が咲くように展開して空を覆い、火炎の網へ姿を変えた。捜索隊からどよめきが起こる。マリスの腕を掴んでいたリクの左手にも力が篭もった。

「何だあれはっ」

「不動明王の羂索けんさくです」

 右手に魔を払う剣、左手に悪を縛る羂索を持するのが不動明王の代表的な像容である。羂索とは元来狩猟用の投網であり、漏れなく衆生を救う不動明王の法力を象徴している。

 だが今フムジョンマンズロー山腹に出現した投網は縄でなく炎で編まれていた。その火力は降下する羂索に触れたヤシの梢が一瞬にして砂塵化した事実が雄弁に語っている。

「あんなに広い羂索を具現化出来るなんて……」

「総員退却、一時退避!」

 ヒアデスが空へ投じた網は捜索隊大将であるホワイト大佐のジープを明確に狙っていた。大佐の飛び乗ったジープはタイヤを軋らせるも投網の方が早く、周縁部は一気に地表へ刺さり燃え盛る円蓋を成す。大佐や周辺の捜索隊数名を乗せた軍用車三台が内部へ囚われた。

 火炎の包囲網の突破を試みた一台のジープが轟音と爆風を残して破片に、あるいは溶解した金属塊になる。続こうとしていた大佐のジープが激しい急ブレーキを踏んだ。

 その間にも円蓋は急速な降下と縮小を怠らず、触れた者は喉の裂けるような断末魔を上げ炭と化す。外周から中心へと成長する灰の輪に追い立てられていく捜索隊の姿は、熱線の鳥籠で逃げ惑う鳥に等しかった。羂索へ向けて内外から銃が連射されるが効果は皆無だ。

「あの網をくぐれるな?」

「はい」

 隠形ならば羂索に触れても無事に通れるか、そう鋭く訊ねるリクの口調は質問でなく確認に近かった。マリスは先輩の信頼に誇りを温められ、しっかりと請合う。

「大佐を救出する!」

 マリスの印契を崩さぬように腕を引き、迷わず走り出すリクの判断に驚いた。軍を捨てたはずのリクが、梶原隊を信用せず冷遇するばかりのホワイト大佐の救出を即断したのだ。

 死の円周を絞る羂索を駆け抜けながら、マリスはリクの判断が正しいことを悟る。術を解くためヒアデスを殺害しようと距離を詰める前に、羂索は大佐を灼き尽くしただろう。そして指揮官を失った捜索隊は混乱に陥り、ヒアデスの逃亡可能性を広げてしまう。

 軍を捨てても、戦闘のプロフェッショナルという意味でリクは軍人なのだ。

 もう部屋ほどの空間も残されていない炎の網の中央、ジープの助手席で大佐は落ちてくる円蓋に向け無益な発砲を繰り返していた。普段は冷徹な大佐も流石に焦燥と熱気に顔を歪ませている。瞳孔が縮んだようなアイスブルーの瞳は死の淵を見ているのだろう。

 リクの手が大佐の腕を掴んでシートから引きずり下ろし、マリスの肩へと乱暴に押し付けてくる。次の瞬間に火の鳥籠は点に達し、数名の捜索隊員と二台の軍用車は動かぬ物質にまで焼き落とされた。




「捜索隊にヒアデス射殺の許可を!」

「おまえは梶原隊の」

 鷹を連想させる険しい目が一瞬にして羂索と部下の焼失を確認する。管理職に就いていても数々の死線をくぐった特殊部隊上がりだけあって、大佐は無様な狼狽を見せたりはしなかった。

「なぜ私だけが無事に……」

「犠牲を増やすためにおまえを助けたんじゃないぞ、石頭!」

 暴言を放ったリクが大佐の手をマリスから遠ざけ、そこで初めて元上官の双眸が驚愕に染まる。隠形の効果から離れた大佐の眼前でマリスとリクの姿はかき消え、なのに手首を掴まれている感覚とリクの声は継続しているはずだ。

「これが隠形……か」

「そうだ。ついでによく聞け、俺達はもう梶原隊員じゃない。俺達の意思でヒアデスを始末する」

 直後、炎が横一線に視界を切り裂く。軍用車の残骸から昇る白煙を蹴散らし、飛跡を導火線に残して突っ切ったのは二羽の火の鳥だった。

「先輩、迦楼羅が」

 知事邸襲撃の夜、アルデバラン五世が放った結界の線描者。既に迦楼羅は遥か後方まで山を下り二手に分かれると、退却した捜索隊をも内包する巨大な炎の輪を描いた。

 マリスは隠形術を一旦解き、新たな印を素早く結び始める。説明している時間は一秒たりとも許されなかった。

「大佐、デルタフォースを焼き殺した火の海が来る。マリスの隠形の効力は触れている者だけ。結界内の全隊員を救うため封言を試みる」

 説明せずとも真意は通じている、それがマリスの奥底を鳴動させ沸き立たせる。

 リクがサブマシンガンを抱えて腰を浮かした。

「俺はヒアデスを仕留めに行く。ヤツが術をかけ終わる前に殺せば――」

「摩利支天の行者がいるな?」

 不意に割り込んできたスヴァルの声に、マリスは危うく誦呪を乱しそうになる。違う、と理性で波立つ感情を抑え付けた。声は廃屋の中からで、置き去りにしてきたスヴァルでは有り得ない。

「まさかアメリア軍にいようとは……」

『行ってはいけない、マリス』

 ヒアデスの声は耳の奥でスヴァルの叫びと重なる。別人だ、とマリスは自分に言い聞かせて印契を続行した。

 幸いにもスヴァルとヒアデスがそれぞれ声に含む温度は違いすぎた。厳しさも優しさも真摯に与えてくるスヴァル、だがヒアデスは陰湿に侵されている。

「一族の積怨、地獄道で思い知れ! ナウマク サラバタタギャーテイビヤク サラバボッケイビヤク……」

 結界を張り終えた二羽の迦楼羅が主を守るように廃屋の周囲を旋回し、朗々としたヒアデスの誦呪が燃える翼の上昇気流に乗って響き渡るようだった。

 捜索隊員が放った催涙弾は廃屋に達する前に火の鳥の口先で溶解する。迦楼羅が食らう人間の三毒――欲、怒り、愚痴に比べれば銃器など前菜にもならぬと言いたげなあっけなさ。接近を目論む隊員を威嚇し、あるいは襲撃する迦楼羅にリクもまた足止めを余儀なくされていた。

「全捜索隊員に射殺を許可する!」

 ホワイト大佐の指示も、弾丸を阻む迦楼羅の前では何の意味も持たない。空中爆発に終わる手榴弾や散発する銃声、捜索隊員の罵倒と怒号が朽ち果てたヤシ園にこだました。

「センダマカロシャダ ケン ギャキギャキ……」

「オンマリシエイソワカ……」

 その喧騒にそぐわぬ静かな次元で、二つの真言誦呪が繰り返されていた。廃屋の内と外、不動明王と摩利支天の真言は完成に向けて先を競う。

 ヒアデスが仕掛けようとしているのが、知事邸でデルタフォースを焼殺した火生三昧であるのは容易に想像出来た。ヒアデス逃亡を許し、カイリを使った反撃の糸口を与えた猛火の修法。マリスは倒れたカイリを抱き起こした際に血糊に濡れた、その手で結ぶ印契に一層の念を籠める。

 プロジェクト・ダブル、プレアデス計画、アメリア陸軍、父との確執、マリスはそういった枷から自由になる。スヴァルにも梶原隊にもヒアデスの魔手を触れさせない、そのためには持てる全てを供出する。

 マリスの髪が風とは違うものに舞い乱れた。

「――マリシエイソワカ、摩利支天封言」

 持物である針と糸であらゆる者の目と口を縫う摩利支天、その加護を受けた神兵の封言術が完成した。

「サラバビキンナ」

 唐突にヒアデスの誦呪が途絶える。不気味な誦呪よりも一層不気味な静寂が場を支配した。

 一拍の後に廃屋のドアが内側から蹴り倒され、ヒアデスが走り出た。汚れた衣服に憤怒の形相、その唇は叫びたくとも叫べぬもどかしさでいびつに歪んでいる。迦楼羅に駆逐された捜索隊員が落としたライフルを拾い一直線に駆けて来る。

 マリスは銃口に捕捉されているのを自覚しながらも、印契を結ぶ指を緩めない。

 マリスの心を満たすのは襲い来る殺戮者ではなかった。同じコーヒー色の髪と顔を持つ、けれども理知的な気品を漂わせる青年。

『尊格の名に過ぎない真言が誦呪によって修法となる。ならば猪の名を冠した猪植陸と摩利支天にちなんだ泉摩利守が、絆によって星を動かす事だって有り得る』

 スヴァルは彼の運星、運命を左右する星回りの一端をマリスの掌に託した。マリスは印契を解けば零れ落ちてしまう運星を決して離すつもりはなかった。

 唇だけで宣誓のように呟く。

「生きて下さい」


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