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六連星の王座  作者: シトラチネ
1章 統べる星、スヴァル
2/23

§1

 蜂蜜が塗られたようにてろりと光るダークオークの扉の前で、マリスは丹田へ息を引き込んだ。

 権威が形を得たような扉の向こうには、権威が人になった者がマリスを待っている筈だった。高まりすぎて肺を圧迫していた緊張を呼気と共にゆっくり吐いていく。

 アメリア連邦ノースカロライナ州フェイエットビル、フォートブラッグ陸軍基地。三年前にアメリア連邦籍を得て移住して以来、マリスはここを訪れることになるなど想像したこともなかった。

 一年前にアメリア連邦軍は志願制から男女共に徴兵制となり、マリスはハイスクール卒業早々に入隊した。軍籍に入りそれでもなお、この基地に足を踏み入れる可能性は欠片も感じていなかった。

 何しろフォートブラッグ陸軍基地と言えば、陸軍特殊部隊の代名詞とも、聖地とも呼ばれている。レンジャー連隊、グリーンベレー、デルタフォースを擁する特殊作戦軍の中枢だ。八週間のブートキャンプ、すなわち新兵訓練を昨日修了したばかりの少女新兵マリスどころか、一般兵卒には一生縁が無い場所と言っても過言でない。

 新兵訓練修了式直後に教官からこの基地への召喚を告げられたマリスは、ここへ来てもなお何かの手違いではないかと疑っていた。ゲートの守衛もすれ違う者達も軍人特有の無表情を装ってはいたが、明らかにマリスの階級章へ視線を走らせていた。

 山形一つの階級章が表すのはプライベート、つまり二等兵。初等兵から元帥まで二十五以上にわたる階級の中で下から二番目、特殊部隊とは無縁の最下層である。

 しかもマリスは生粋の大和日本人種だ。大和日本では落ち着いた所作によって年上と思われがちだったが、白人が過半数を占めるアメリア連邦において、マリスは実年齢以上に見られたことがない。

 陸軍の制服であるグリーンのギャリソンキャップにドレスジャケットで固めてはいたものの、学生が基地に紛れ込んでいると誤解されても不思議でなかった。

 階級と年齢に対する密やかな視線を差し向けられても、マリスは毅然と顔を上げて、このホワイト大佐の執務室へとたどり着いた。深呼吸をし、革靴の踵を今一度きっちりと揃えて、マリスは扉をノックする。




 氏名と所属を告げると、相手はホワイト大佐の副官だと名乗った。集合まで、このまま執務控室にて待機。そう言われて初めて、召集されたのが自分だけでないことを知る。

 手違いだと追い返されるのを予想し半ば期待もしていたマリスは、倍になって襲い来る緊迫を感知しないよう、自らを騙しながら控室の壁際に立った。

 幸い召集メンバーの中では一番乗りだったようで、マリスは後続が副官に名乗るのを余すことなく聞くことが出来た。

 最初は陸軍看護師団、カイリ・ハナサキ。

 ラストネームからして日系と思われたが、亜麻色の髪に栗色の瞳は、クォーターよりももっと大和日本人種の血は薄そうだ。白人系の年齢を推量するのにはまだ慣れないマリスだが、二十五にはなっていないだろうと踏む。

 看護婦だけにいわゆる軍人とは少し雰囲気が違い、その動きは無駄が排除されていても柔らかさを残している。カイリはマリスと目が合うとほんの微かに目尻を緩め、年上女性の優しさを滲ませた。

 続いて中央軍第三軍団第四歩兵師団上等兵、リク・イノウエ。

 彼は耳が痛くなりそうな気合の入った大声で名乗った。この時点でマリスは彼を体育会系と認識する。

 マリスと同様、純粋の大和日本人種に見えた。歩兵に相応しく短髪で日焼けし、ジャケットの上からでも明らかな筋骨隆々の体躯をしている。黒目からは武闘派に特有のぎらぎら強い光を振り撒いていた。

 上等兵という階級で考えると、年齢は二十か二十一と推測出来た。

 そして三番目は軍服ではなく、スーツ姿の三十に近そうな男性だった。中央情報局アジア宗教分析官、テイト・カジワラ。

 マリスは現実に会う事を想定したこともなかったその肩書きだけでなく、カジワラという名字を持ちながら彼が金髪青眼であることに驚きを覚えた。恐らく大和日本人種の血は受け継がれていない。カジワラを名乗るにあたって何らかの事情があったのかもしれない、とマリスは考えた。

 マリスが隣で見上げれば首が痛くなりそうな長身で、肌は学者にありがちで不健康に白い。だらしなく伸びた金髪を後ろで束ねて眼鏡をかけ、張り詰めた空気を居心地悪そうにしている。彼の曲がり気味のネクタイにケチャップと思しき染みがあるのには、気付かない振りをすることにした。

 所属も階級もばらばらな四人が並び、何の理由で、どんな目的でここに呼ばれたのか更に訳が分からない。

 だがマリスは感情を表に出さずにいる点で、新兵訓練センターの教官を感心させていた。不可解な召集に戸惑いを深めつつも、きっちりと冷静な表情を貫き通す。父親の長年にわたる指導によるものであり、この点に関しては父に感謝しなければいけない、とマリスは苦々しさと共に認めた。

 ここで予定の人物が揃ったらしい。副官は大股に部屋を横切ると、ホワイト大佐の執務室へ続くと思われるドアを開けた。




 重くはないのだろうか、というのがホワイト大佐に対するマリスの第一にして率直な感想だった。所属、階級、戦歴、それらを示す刺繍あるいはメタル製の徽章で大佐のジャケットは埋め尽くされている。

 中でもマリスの目を引いたのはやはり、陸軍特殊部隊のパッチ。矢尻を象ったブルー地に、イエローの剣と三本の稲妻が鮮やかだ。それらの色の洪水は雲の上、あるいは画面の向こうの存在でしかなかった特殊部隊、その司令部の一翼と対面していることをマリスに生々しく実感させた。

 四十代であろう長身痩躯の大佐からは、感情さえ余分なものとして削ぎ落とされているようだった。鷹を想起させるアイスブルーの鋭い瞳は、冷徹な一瞥で自分の何を読み取られたのだろうかと、誰しもを不安にさせるに違いない。

 敬礼の仕方ひとつでそんな自分の思考も虚勢も筒抜けな気がして、マリスは逃げ出したい気分になった。

 大佐は平坦な口調で遠路の足労をねぎらう。ピリオドの度に置く僅かな間が威圧感となって、ずしずしとマリスの肩へのしかかった。

「本日の用件を伝える」

 一通りの名乗りが済むと、大佐は革張りの椅子に体を沈めて顎を引く。マリスは冤罪で有罪判決を受ける被告人の気分になった。ホワイト大佐の凍て付いた目線が自分を忘れてくれるよう、思わず祈る。

「陸軍特殊作戦軍民事/心理作戦軍団第二心理作戦部隊への転属を命ずる。梶原分析官を准尉に任官、隊長とする。隊の任務はグアヌ準州におけるプレアデス計画遂行である」




 特殊作戦部隊へ配属。新兵マリスの脳は青天の霹靂、あまりに長い師団名、初耳の計画に硬化する。

 速くなり始めていた呼吸に気付き、瞬時に押さえ込んだ。大佐に悟られなかったかと心配になるが、有難くも召集された面々を眺め回す彼の視線の軌道に、マリスは含まれていないようだった。

 並んだ他の三人の反応を窺ってみたかったが、大佐の面前では微動だに出来ない。動くことを許されているのは瞼と心肺のみである。視点を大佐の背後の国旗に固定したまま、説明がなされるのを待った。

「知っての通り、心理作戦部隊は作戦地域住民からアメリア連邦の政策に協力的な人物を選出、彼らに親連邦行動を取らせるための特殊部隊だ」

 そこでマリスの頭は動き出し、知識を検索し始める。

 心理作戦部隊はアメリア連邦に好意的でない国家において、その政権に弾圧された民族や団体などに対し、密かに教育や武器を与えて反政府行動を煽る部隊のことだ。東南アジアの軍事政権国家、中東の独裁政権国家でこれらの部隊が暗躍していたのは有名な話である。

 しかしそれはあくまでも仮想敵国に対してであり、アメリア連邦内の準州に適用されるなど前代未聞だった。グアヌ島といえばマリスの出身国である大和日本国から近く、修学旅行先としても人気の手軽な太平洋の南国リゾートである。

「グアヌ準州には公選の知事が置かれている。だが現知事アルデバラン五世はグアヌのかつての王族であり、事実上の立憲君主制だ。このアルデバラン五世がアメリア連邦から独立しようとする動きが、にわかに顕著になってきた」

 そういった事情と自分との関連性が、マリスは見当もつかない。今朝までのフォートブラッグ陸軍基地同様、グアヌ島は未踏の地だ。親戚知人がいるわけでもない。

「プレアデス計画とはアルデバラン五世の長男、ヒアデス・アルデバランを親アメリア化するというものだ」

 ホワイト大佐はマリスの肩越しに後方へ視線を送った。背後から歩み寄る静かな気配がする。マリスはそこでようやく、召集メンバーと大佐以外の人間がこの部屋にいたことに気付いた。

 大佐の横に立ったスーツの男性は理知的な気品を漂わせ、コーヒー色の髪をした長身の青年だった。

 大和日本人と白人のハーフにも見えたが、それにしては黒にブルーが絞られた珍しい瞳の色をしている。その瞳の焦点は真っ先にマリスへ合わせられた。見つめていたのを知られたかと、マリスは慌てて微かに顔の角度を変えた。

「紹介しよう。ヒアデス・アルデバランの一卵性双生児、スヴァルだ。しかし彼の存在はヒアデスにも、父親であるアルデバラン五世にさえ知られていない。母親は数年前に死去している」

 コン、とホワイト大佐が拳の第二関節をデスクに突く硬い音は、判決を下す裁判長の木槌のように重々しく響いた。

「ヒアデスとスヴァルを入れ替える。アルデバラン五世は勿論、誰一人に悟られることも無く、だ。それが君達に課される使命だ」


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