表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六連星の王座  作者: シトラチネ
第4章 運星を掌に
18/23

§1

「……おはよう、マリス」

 寝室のある二階から下りて来たスヴァルは片足を浮かせたまま、階段の途中で立ち止まっていた。驚いたように三日月形に上がった眉、そこにかかるコーヒー色の髪はまだしっとり水気を含んでいる。

「おはようございます、すみません、すぐ元通りに」

 ヒアデスに襲撃された寺の現場写真を何十枚と広げていたマリスは、朝が来ている事に気付かなかった。明かりで上官と先輩の眠りを妨げてはいけないと思い、地下室ではなくリビングを使っていたのだが、スヴァルの起きる物音でようやく外の明るさを知らされたのだ。

 スヴァルがシャワーを浴びている間にと写真をかき集めものの、カイリに手向けた花の山、靴跡の付いたローテーブルなど片付けるものが多すぎた。リクの渾身のステップでグラつくようになってしまったローテーブルの足を検分しているところで、スヴァルに見つかってしまったのだった。

 スヴァルはふむ、と難しい顔つきで顎を撫でながら歩いて来た。

「ごめんなさい、ちょっとだけ壊してしまいました……」

 ローテーブルを使った階段昇降を始めたのは、他ならぬ自分だ。マリスは責任をひしひし感じて身を縮める。

「マリス。あなたには価値が分かっていないようだ」

 仮にも一時は王としてこの島を治め、長きにわたって準州知事を務めてきた一族の別宅である。調度品がことごとくアンティークか特注品であることは承知していた。

 ボディシャンプーの香りがする距離までスヴァルに迫られて、マリスは半歩後ろに下がった。こんな風にぴしりと言われるのは、フォートブラッグ陸軍基地で偽証罪がどうのと詰められた時以来だ。

 不穏に鳴り出した心臓を手で抑えながら俯く。

「申し訳ありません。あの、弁償しますから……」

「この象牙の如き肌理は、まさに東洋の神秘だ。それをあなたは、徹夜なんぞで曇らせてしまうなんて」

「…………」

 テーブルへの賞賛にしては妙な台詞が、マリスの脳内をくるくると空回る。

「……え?」

「毎日朝から晩まで政治家だか前知事の旧友だか、気難しい老人と顔を突き合せなきゃならない私が、目の保養としてどれだけあなたに頼っているか分かっているのかな? 徹夜が美容に良くないのは世界の常識なんだろう?」

 仰ぎ見たマリスの至近距離で、スヴァルは思いっきり渋面だ。その苦々しさとは対極にある澄んだ、深い藍が絞られたような瞳に覗き込まれていて、マリスの心臓は忙しくまた違う律動を刻み始めた。

「カイリに怒られてしまうよ。化けて出てこう言うんじゃないか……あたしが見張ってないからって、睡眠を削ったりしちゃ駄目ですからね」

 茶化すような口真似があまりに見事で、思わず吹き出しそうになった。懸命に平静を装ったものの、うまくごまかせたか自信が持てない。

「お上手ですね、そっくりでした」

 言ってしまってから、失言だったと気付いた。スヴァルにとって演技は職業、それもクローンの存在意義に直結する養成された技能なのだ。マリスの額の辺りがすうっと寒くなる。

「お褒めにあずかり、光栄です」

 だがスヴァルは大袈裟に西欧貴族風のお辞儀をしてみせた。詫びの言葉を口にする隙を与えない、素早さと優雅さ。

「さあ、掃除を手伝うよ。使用人達には、テーブルは私が寝ぼけて蹴つまづいたとでも言っておこう。今日は足を引きずって歩いてみるかな」

「でも……」

「だが交換条件がある。あなたは掃除終了後、ただちに睡眠を取る事。最低でも四時間。そして私を安心させなさい。これを私がテイトに頼んで正式な軍令にする前にイエスと答える方が、お互い時間の節約だ。そうだろう、泉二等兵」

 やりかねない、いや、この人は本当にやるだろうと確信できた。わざとらしい威圧的な口調も、ノーは受け付けないとの宣言代わりなのだろう。

「了解致しました、お心遣い感謝致します」

「よろしい。ではただちに、当区域におけるクリーン大作戦を開始する」

「ぷっ」

 瞬時に咳払いにすり替えようという試みは完全な失敗に終わった。せめて笑いに肩が揺れてしまうのを抑え込む。

「そんな単語も、プラントで習うんですか」

「北風も太陽になれるなら、覚えた甲斐があったというものだな」

 スヴァルはいたく満足気に、高い鼻先で歌いながらテーブルの位置を直し始めた。




「ところで何があなたを徹夜させたのか、報告してもらわないといけないな。そうでなければ私は今夜から、まさかマリスが徹夜してはいまいかと、毎晩ベッドで気を揉みながら徹夜することになる」

「ヒアデスが襲撃した寺の調査報告を見ていました」

 スヴァルには素直に従うのが一番なのだ。結局彼は思い通りに事を進めるのだから。マリスは資料をファイルに収納する手を休めずに、徹夜越しの懸念を話しだす。

「現場写真に写っているべきなのに、写っていないものがありました。護摩壇です」

「……そういえば、なかったな。護摩炉だけが残されていた。ヒアデスが持ち去ったとすると?」

 答えを求める教師が生徒を指名するように、スヴァルは問いを投げてきた。教師というものは当然、解答を承知している。切花を抱えて悠然と清掃を続けるスヴァルに、マリスは姿勢を正した。

「自分をヒアデス捜索隊に派遣して下さい」

 寺の現場写真と紛失物リストを突き合わせ、導き出された答えは調伏護摩だった。

 アルデバラン五世の遺族としてヒアデスを演じるスヴァルの姿は連日報道されている。逃亡中のヒアデスがニュースを耳にすれば、アメリア軍によってヒアデスという人間の偽造が行なわれた事に気付くだろう。知事邸を襲撃したのがアメリア軍である事は、ヒアデスが奪ったカイリのドッグタグを見れば一目瞭然だからだ。

 アルデバラン家の積年にわたる悲願、グアヌの独立とその王座。替え玉が存在する限り、実現可能性は皆無だ。そうなれば操られたカイリが言ったように、まずスヴァルの存在を消すしか活路は無い。

 そしてヒアデスはスヴァルの名前を知っている。スヴァルが乗っ取って名乗っている、ヒアデス・アルデバランという己の名を。名前さえ判明していれば調伏護摩を仕掛けることが出来るのだ。

 この世にヒアデス・アルデバランの名を持つ者は二名。そのどちらに調伏が降りかかるのか。可能性は半々でも、本物のヒアデスには半分の可能性に賭けるだけの必要性に迫られている。

 スヴァルが既にそのシナリオに気付いていることを悟ったマリスは、説明を省いて単刀直入に嘆願した。だが返って来たのは、硬い表情での拒否。

「したくない。あなたは私のボディガードだ。究極にして唯一の」

「ヒアデスの護摩は強力です。摩利支天の除難符くらいでは防げません。隠形術なら匿えるでしょう。ですがヒアデスが捕らえられるまで片時も離れずに術をかけ続けるのは、実際的にも精神的にも無理な話です」

 小さなため息は、スヴァルの不本意ながらの同意を表明していた。

「ならば、護摩を焚かせなければいいのです。捜索隊発見時にヒアデスが既に護摩修法を始めていたとしても、捜索隊がまた火生三昧に壊滅させられたとしても、自分なら隠形で焔をかわし、封言術でヒアデスの誦呪を止められます」




「摩利支天封言術か……」

 六臂像や八臂像の摩利支天像は針と糸を持している。こうした庶民的な道具は持物として珍しいが、ここにこそ摩利支天の利益が端的に象徴されているのだ。あらゆるものの目を縫い見えなくする隠形、そして口を縫い言葉を封じる封言である。

 密教修法においての必要条件は手指による印契、そして真言の誦呪。どちらかを不可能にすれば、修法もまた完成する事がない。

 摩利支天の封言術は一見、不動明王の術のように攻撃的でなく、相手にダメージを与えることもない地味そのものな修法だ。だが敵が密教修法を操る者となれば、その全ての修法をことごとく封じる強力な手段となる。隠形と同様、防御を徹底する事で勝機を見出す、摩利支天の加護の真髄とも言える。

「あなたをまた、あの窮鼠の毒牙が届くところへ差し出せと? 今度も隠形術が間に合うという保証はないのに?」

「それが自分の任務です。ヒアデスが調伏護摩を仕掛けたら、事態は一刻を争います。この屋敷の地下にいるより捜索隊に加わる方が有効です」

「あなたは、肌が曇るだけではらはらする男に、危険へ身を晒す許可を求めるのか?」

 梶原隊としての作戦の方向転換を提案していたマリスは面食らう。夜を徹して考え、封言術の手順も記憶から完璧に引き出して、対ヒアデスの合理的な戦法に行き着いたつもりだった。スヴァルにここまで難色を示されるとは考えていなかったのだ。

 黙っているマリスの前で、スヴァルの唇に無理矢理な笑みが浮かんだ。

「リクは大した男だ。瞬時にその決断を下したのだから……マリス、あなたの案は的確だと思う。すぐにテイトと協議しよう。だがもしマリスをヒアデス捜索に派遣するなら、リクを同行させなければならない」

 マリスが理由を問う。そこでようやくスヴァルの瞳に、いつもの余裕が射し込んだ。

「数多の歩兵の中からリクを選んだのは、年齢や人種だけが理由じゃない。猪植陸という名前だ。マリス、摩利支天の代表的な像容は女神像だね。何に乗っている?」

「三日月や猪です……あ」

「そう、騎猪像だ」

 青が絞られた瞳の余裕はいつの間にか、悪戯な光を含んでいる。マリスは唖然とした。仮にもアメリア陸軍特殊作戦部隊、それも国家機密プロジェクトを担う分隊員が、縁起担ぎのような理由で選抜されていたのだ。

「リク先輩の近接戦闘能力を高く評価しているからだ、っておっしゃいませんでしたか?」

「勿論。だが、あなたなら分かるだろう? 尊格の名に過ぎない真言が、誦呪によって修法となる。文字と図形が描かれたに過ぎない紙が、勧請することで護符となる。ならば猪の名を冠した猪植陸と摩利支天にちなんだ泉摩利守が、絆によって星を動かす事だって有り得る」

 アルデバランという星を、そしてヒアデス、プレアデスという星団を。スヴァルは彼の運星、運命を左右する星回りの一端を、マリスの掌に託している。マリスはそれを放すまいと強く拳を握った。

「いずれにしろ、マリスの目下最優先の任務は決定済みだ。眠ること、以上」

 ようやく片付いたリビングから地下室へとマリスを追い立てながら、スヴァルは明るく宣言する。調伏護摩を焚かれる恐怖など、微塵も感じていないかのような屈託無い笑顔だ。マリスは地下へと降りる階段の上で立ち止まり、その笑顔を振り仰いだ。

「何か異変を感じたら、すぐに――」

「容赦なく叩き起こすから、安心して眠りなさい」

「午後からすぐに、封言術を確実にする修行を――」

 べた、とスヴァルの大きな掌がマリスの口を塞いだ。物理的な封言だ。呆れたように首を振るスヴァルの仕草は芝居がかっていた。

「さっきはすまなかった。自分の身の不安が理由で、あなたの求める許可に渋ったんじゃないんだ。私なら大丈夫だから、眠るんだ」

 スヴァルは、ヒアデス捜索隊へのマリスの参加に迷いを見せた。隠形術を行える者が離れるのを嫌がっての事だと解釈していたマリスは、その言葉に安心もし、ならば何故と新たな疑問も抱く。だがこれ以上、眠れと繰り返させるのも気が引けて、マリスは素直に頷いた。

「分かりました」

「おやすみ、マリス。静かな、優しい夢を」

 その祈りが心からのものである事を教えるような、柔らかなキスがマリスの額に降り立った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ