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六連星の王座  作者: シトラチネ
第3章 星が落ちた夜
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§6

 もう少しここにいる、と言ってマリス達を先に地下室に戻らせたまま、リクは帰って来ない。

 アルデバラン家別宅の地下室には簡易二段ベッドが二つ設けられていた。マリスの上段を使っていた女性はちょうど二十四時間前に他界した。彼女を手にかけた男性が使っている、地下室の反対側にある二段ベッドの下段。その場所は主を待ちながらひっそりと静まり返っている。

 カイリの一件は準州兵の目撃もあり、テイトがありのままをホワイト大佐に報告したらしい。だがテイトの浮かない顔を見れば、裏切りの原因がヒアデスの護摩修法だと信用されなかったのは明白だった。

 カイリの名誉は著しく傷つけられた。海軍基地からアメリア本土へと移送されるカイリの遺体は、殉死兵とは異なった扱いを受ける事になる。

 リクを苦しめるものは多すぎる、とマリスは思った。慕情より軍令。論理より悔恨。喪失より強奪。人間より兵士。

 ベレッタM93Rを両手でグリップし、スヴァルに向けた時のカイリがマリスの脳裏に蘇る。

 応戦する隙はあった筈だったのに、マリスには出来なかった。目の前でいつもと変わらぬ優しい香りを漂わす女性が、軍用銃と敵意を剥きだしに襲いかかって来る。その状況は準州知事邸で火生三昧の業火に囲まれた時とは、まるで比較にならない混乱だった。

 訓練されたリクがいなければ、スヴァルは銃撃されていただろう。あるいはマリスがカイリを射殺せざるを得なかったが、それが可能だったかマリスには自信が持てなかった。なのにリクだけが一人で重圧を抱え込むのは、不当のように思えた。

 結局マリスはベッドを抜け出して、階上へと向かった。

 暗いリビングでリクはソファに埋もれて、カイリが倒れた地点をじっと見つめていた。そこには既に血痕一つ残されていない代わりに、花の一輪すら捧げられていない。

「……星を落としてやったつもりが、落とされちまったな」

 振り返りもせずにリクが呟いてくる。その声は百パーセント自嘲で出来ていた。

「……スヴァルさんとヒアデスを入れ替えるプレアデス計画の名前は、スヴァルさんの名前がプレアデス星団の和名である昴にちなんでる事から命名されたんだと思うんですが」

 マリスの言葉が予想外の反応だったらしく、リクは僅かに顔を動かす。

 牡牛座が従える二つの星団、ヒアデスとプレアデス。その名はギリシア神話に由来している。巨神アトラスの子であるヒアデス七姉妹とプレアデス七姉妹は異母姉妹だ。

 ヒアデスの遺伝子を使って代理母に産ませたクローンがプレアデスの和名を与えられたのは、この神話に基づいているに違いなかった。

「肉眼で確認出来るプレアデス星団内の星は、大和日本では六つが通説です。でも七つと数える国や伝説が沢山あるんだそうです」

 大和日本では数に含まれない七つ目の暗い星。その暗さの理由は、プレアデス七姉妹の一人であるメロペが人間の妻となったのを恥じて隠れたからとも、別の姉妹であるエレクトラが我が子の建設したトロイアの滅亡を嘆いて彗星になったからとも言われる。

「でもメロペにしろエレクトラにしろ、目を凝らせばちゃんと他の姉妹の傍で輝いてる筈なんです……」

 私達の星は落ちていない、とマリスは伝えたかった。けれど上手く言えずに、リクの動かない背中を見つめたまま立ち尽くす。

 ブラインド越しに射し込む外灯だけの薄暗闇で、置時計がかちこち鳴る音が息苦しく繰り返されていた。




 マリスは大股にソファを回り込むと、リクの前のローテーブルにあった一輪挿しを取り上げる。挿されていたのは優しい卵色のデンドロビューム。それを引き抜くとカイリが亡くなった場所に置く。更に、レースのテーブルセンターを掴んでキッチンカウンターに放った。

「何やってんだ、おまえ……」

 唖然として見上げるリクの目前で、マリスは勢い良くスニーカーの片脚をローテーブルへ掛けた。

「階段昇降です!」

「はあ?」

「Mama & Papa were Laing in bed. Mama rolled over and this is what's she said.」

 ランニングする時の歌を、ローテーブルを使った階段昇降をしながら歌い出す。

「Oh, Give me some. Oh, Give me some」

 ぽっかり口を開いていたリクだったが、そこでふっと苦笑した。

「カイリさんが笑ってたな、それ。ごつい兵士が大真面目にベッドシーン歌いながらジョギングなんて、とか言って」

「P.T.! P.T.! Good for you. Good for me. Mmm good.」

 腿上げがきつい分、この階段昇降はランニングより格段に負担が大きかった。それでもマリスは声を張り上げ、慣れ親しんだ歌詞を歌い続けた。

「よし、マリスが始めたんだからな。後でスヴァルさんに泣きつくなよ!」

 弾みをつけてソファから立ち上がったリクが、マリスと並んで階段昇降を始める。リクの頑丈なミリタリー・ブーツの衝撃で、ローテーブルの継ぎ目が悲鳴を上げた。

「I love working for Uncle Sam! Let me know just who I am.」

「I love working for Uncle Sam! Let me know just who I am.」

 アメリア国家のために喜んで働いている、俺が誰だか教えてくれ。

 何と皮肉な歌詞なんだろう、とマリスは思った。個としての存在など、愛する国の前には掻き消されていくというのか。

 選曲を誤ったかと早くも後悔したマリスの思いを打ち消すように、リクが先に歌う順番をさらった。

「1,2,3,4, Kylie Hanasaki! 1,2,3,4, I love Kylie!」

 マリスは面食らった。ここは1,2,3,4, United States Marine Corps, 1,2,3,4, I love the Marine Corps.と続くところなのだ。それをリクは、カイリの名前に替えて歌っている。

 振り仰ぐマリスの視線を感じていただろうが、リクは強い瞳で前を向き続けていた。

「先輩……」

「My Kylie, your Kylie!」

 My Corps, your Corpsと海兵隊を讃える歌詞は全てカイリへの鎮魂歌になった。マリスはようやく流れ始めてくれた涙を拭いながらリクに合わせる。

「My Kylie, your Kylie!」

「Our Kylie!」

「Our Kylie!」

 気が付くと、リビングの隅にスヴァルとテイトが佇んでいた。前庭の花壇から切ってきたのか、スヴァルの手にはとりどりの花が溢れている。半分をテイトに渡して、二人はそれをカイリの亡くなった場所に捧げた。

 リクとマリスがリビングのローテーブルで階段昇降をしながら大声で行軍訓練歌を歌い、スヴァルとテイトが黙って見守る。これが悼む事をようやく己に許したマリス達の、カイリの葬式だった。


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