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六連星の王座  作者: シトラチネ
第3章 星が落ちた夜
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§5

 在りもしないブランデーを取りに行ったカイリ。不審を抱いた時点で問いただすべきだった、と後悔しても遅い。

 幸い、今は一時的に特殊作戦軍に籍を置くとはいえ、カイリは看護師である。射撃訓練を積んでいない。

 その威力にそぐわぬコンパクトさが仇ともなって、制御が極めて難しいベレッタM93R。カイリの腕は強すぎる銃身の跳ね返りをコントロール出来ず、射撃の正確性は相当低いようだ。

 とはいえ、三点バーストは当たれば同時に三発を食らう事になり、殺傷能力は高い。カイリの攻撃を予期してマリスの腕を引き戻したスヴァルは、間に合って良かったと細い身体を抱え込みながら安堵した。

「ヒアデスにここまでする必要があるの? 彼はただ、自分達の王国を取り戻したいだけよ。彼自身はまだ何も罪を犯していないわ」

 どうして裏切るのかという問いに対して、廊下の奥から訴えるような答えが返ってきた。

「何代にもわたって虐げた挙句に最後通牒もなしに処刑だなんて、ひどすぎるわ。スヴァルさんさえいなければ、ヒアデスにはまだ、アメリア国家と共存していく道が……」

 アルデバラン五世の呪術を有効とするならば、ヒアデスの殺人幇助は確定だ。カイリへの傷害、軍用車の窃盗、挙げればいくらでもあるとスヴァルは考えた。

 だがそれを告げてもカイリには届きそうにない。カイリは心奪われたような熱心さ、何処か浮かされたような口調でヒアデスの命乞いを続けている。

「カイリ、あなたは優しく、フェアで人道的な精神の持ち主だ。だからヒアデスへの同情を募らせての行動かもしれないが、今なら我々の胸の内だけで済ませられる。銃を置いてくれないか?」

「スヴァルさん。あなたにだけは、そんな事を言われたくないわ。ヒアデスに成り代わったあなたには!」

 会話の隙を突いてソファの裏から廊下を睨んでいたリクが、手のサインで敵は一人だと伝えてきた。

 カイリの無謀な反抗にスヴァルは呆れる。頭数、銃の弾数、戦闘の知識と経験でカイリが圧倒的に不利なのは明白だ。奇襲をかけたつもりだったかもしれないが、ブランデー代わりに劇薬を紅茶にたらした方が遥かに賢明な選択だった。

 恐らくカイリは武器収納庫に警報装置が付いているのを知らず、火力に頼ろうとしたのだろう。同情と怒りがカイリの判断を曇らせたのだろうが、そこまでの感情を抱えているのを一切見抜けなかったのが悔やまれた。

「僕の話なら聞いてくれますか、カイリさん! 君の言う事も分かります、まずは武器を置いて話しませんか」

 部下の突然の裏切りに、リクの後ろで青眼を白黒させていたテイトがやっと話しだした。ソファの背から亀のように首を伸ばし、廊下の奥を見やっている。

 この場の説得は間違いなくテイトが適役だろうと、スヴァルは素直に口をつぐんだ。

「梶原さんはいい人だけど、スヴァルさんの友達ですもの、同罪だわ」

 最早、カイリはカイリだけの論理に凝り固まってしまっているようだった。

 スヴァルと同じ結論に達したのか、リクが銃を構えたまま視界確保のためにソファから後退しだした。マリスに援護射撃をさせてカイリに接近し、捕らえるつもりらしい。カイリの気を逸らすためだろう、話し続けろと人差し指を回してテイトに合図を送っている。

 だが、間に合わなかった。

 ブラインドの外に懐中電灯の光の輪が閃いたかと思うと、窓を打ち破って兵士がなだれ込んだ。リビングと、音の方角からすると書斎。門衛の準州兵が警報を聞きつけたのだ。

 カイリは前後を挟み撃ちされた格好になった。追い詰められた者の選択肢は二つに一つ、投降するか、最後の抵抗を試みるかだ。

「くっ!」

 スヴァルの、そして恐らくテイト、リク、マリスの期待さえもカイリは裏切った。廊下の暗がりを飛び出して来る焦った足音。視界の隅でマリスが青ざめている。その指がトリガーを引く事はないように思えた。

「止まれ! 止まらないと――」

 リクの叫びは警告より懇願に聞こえた。

 スヴァルは走ってきたカイリが構える銃の照準が、真っ直ぐに自分の胸を目指しているのを見る。自らの危険を顧みずに思いを遂げようとする必死な栗色の瞳に、スヴァルは息を呑んだ。命を懸けようとする者の目には修法でなくても相手を縛る力が宿るのだと、妙に冷静に納得する。

 パン、と乾いた音がこだます。

 拳銃の銃声というものは映画やドラマで聞くより、実際は遥かに空虚なものだ。爆竹や花火とさほど変わらない。あんな音で人の命が一瞬にして吹き飛んでいくなどと、信じたくないくらいに軽い。怒りさえ覚えるほどあっけない。

「何で……」

 キッチンカウンターにもたれかかり、それから崩れ落ちたカイリの身体の向こうで、リクは荒い息を吐いていた。その手の中で銃弾を発射したばかりのH&K Mk23が震えている。

「何であんたなんだ、畜生」

 準州兵は状況を掴めず、ライフルを手にしたまま忙しなく室内を観察している。ベレッタを捨てたマリスが、横たわるカイリにすがりつく。茫然自失のテイトはへたり込んだままだ。

 音と時間が飛んだような空間に、リクの絶叫だけが響いていた。

「畜生ーっ!」




 翌朝、ラムラナ山中にある密教系寺院が襲撃され、僧侶が射殺されているのが発見された。弾が尽きて捨てられていた拳銃は、ヒアデスにカージャックされた際にカイリが紛失したものと判明した。

 境内には焚いた後の護摩炉が残されていた。現場写真を見たマリスが半円の形から敬愛炉だと答えた。特定の相手の人望や愛情を得る敬愛護摩に用いられる炉だ。

 その脇にカイリのドッグタグが打ち捨てられている一枚を見て、リクが硬直した。

「カイリは裏切ったのではなく、裏切るよう仕向けられたのだ」

 証言能力のある一人は射殺され、一人は未だ逃亡中で、推測の域を出ない。だがスヴァルには、それしか合理的な答えを見出す事が出来なかった。

「ヒアデスは準州知事邸から逃亡する際に、カイリの拳銃とドッグタグを強奪した。敵の一員であるカイリを取り込めば仲間割れや、昨夜のような襲撃をさせられると考えたのだろう。そして敬愛の護摩を焚き、カイリにヒアデスへ好意を抱かせるよう仕向けた。カイリの心優しさがそれを決定的にさせてしまった可能性もある」

 もしヒアデス逃亡時で既にカイリがヒアデスへ心を寄せていたなら、つまり最初から裏切る気でいたのなら、ヒアデスが敬愛の護摩を焚く必要はないのだ。

 ダン、と派手に殴られてテーブルが揺れた。リクは続いて自分の短髪をかきむしっている。

「すいません。カイリさんが拳銃とドッグタグを失くした事、俺は知ってました。カイリさんが梶原さんに報告したと思い込んでて……俺のベレッタを貸したんです。それに、ドッグタグ一つでこんな事になるなんて思わなかった」

 調伏にしろ敬愛にしろ、名前さえ判明していれば護摩修法は可能なのだ。ドッグタグを奪われヒアデスに名前が知られたことが分かっていれば、この事態を予想して対処出来たかもしれない。

 だが密教や修法に馴染みのないリクが、そこまで気が回らなくても仕方のない事だった。

 理解しているのだろう、憔悴甚だしいテイトがゆっくりと首を振る。

「カイリさんはカージャックされた事や直後の隊の忙殺ぶりに気が引けて、紛失を言い出す機会を逸してしまったのかもしれません。これは上官である僕のミスです」

 痩せたテイトの掌は、自責に頭を抱えている部下の肩へそっと置かれた。

「ですが、昨夜のリク君の行動は間違っていなかったと思います。君は兵士として立派に責務を果たしたんです」

「俺はこんな事をするために、軍に志願したんじゃないんだ!」

 テーブルの上で握り締められたリクの拳からは血の気が引いている。

「俺の行動が間違ってなかったとしても、正しかったって気にはなれない……」

 誰も泣けずにいた。泣くには打ちのめされすぎていると、スヴァル自身も思っていた。カイリの死、それも仲間によって手を下される死というヒアデスの反撃は、あまりに手痛かった。

 ヒアデスによって襲撃された寺院からは法具や供物、そして車も奪われていた。次は何を仕掛けてくる気なのか。それまでに梶原隊は立ち直れるのか。

 スヴァルの目はいつの間にかマリスへ向けられていた。マリスの涼やかな瞳、しっとり俯いた睫毛、とにかく何処かに救いを見出そうとしているのを自覚していた。

 だが感情を遮断することでその決壊を防ごうとしているように、マリスの表情は硬いクール・ビューティーに覆われている。今夜も長い夜になりそうだ、とスヴァルは密かに嘆息した。


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