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六連星の王座  作者: シトラチネ
第3章 星が落ちた夜
15/23

§4

 準州知事邸は原因不明の出火、騒ぎに驚いたアルデバラン五世は再び心臓発作に見舞われ急死。

 陸軍特殊作戦軍の用意したシナリオにグアヌ準州民は疑う気配すら無いまま、王族出身の準州知事喪失の悲しみに沈んでいた。

 ヒアデスがカージャックした梶原分隊のバンは郊外で乗り捨てられていた。その後一週間が経過しても、ヒアデスの行方は杳として知れない。

 アルデバラン五世の葬儀を契機に、スヴァルとヒアデスの交替は強行された。

 公的機関の指紋登録書き換え、邸内の指紋や掌紋の清拭、医療機関の治療記録改ざん、廃棄。万が一ヒアデスが我こそは本物と名乗り出たとしても、証言を裏付ける物的証拠は何一つ残されなかった。

 報道で見るスヴァルは、口数が少なく堅そうな印象のヒアデスを完璧に演じている。

 修復中という名の下に陸軍の極秘検証が続く準州知事邸に代わり、ヒアデスとしてのスヴァルは郊外に建つアルデバラン家の別荘に逗留している。内密の突貫工事を経て、テイト以下梶原分隊の面々も別荘の広い地下室に身を潜めていた。

 使用人が帰宅するのを確認してから、分隊は階上に上がる。

 報道、葬儀、弔問客、相続などあらゆる対応とヒアデスを演じる緊張に追われるスヴァルの顔には、回復する間もなく蓄積していく疲労が色濃く刻み込まれている。それでも視線が合った瞬間に安心したように微笑まれると、マリスの心臓はどきりと鳴った。

「もぐらのような生活をさせてしまって、すまない。太陽が恋しいだろう?」

「俺は太陽より、トレーニング・マシンが恋しいですよ。体がなまって腐りそうだ。徒手格闘じゃ、マリスは一分も相手にならねえし……おまえ、ロー・ブローを恥ずかしがってる場合か? 男に勝とうと思うならフェイントでいいんだよ、まず急所をこう」

「すみません、次回は必ず」

 地下室の面積と優先順位の都合から、リクが愛するマシン類は運び込まれなかった。マリスとしては鬼の早朝訓練から解放されて有難い。

 だがその代わりにリクの機嫌は下降の一途で、ストレス発散のとばっちりは新兵マリスに容赦なく降りかかっていた。

 マリスには、それだけがリクの不機嫌の原因でない事が理解出来た。

 死の淵を覗いた混乱、秘密裏に展開される検問や山狩りにもヒアデスが発見されない苛立ち、そして何より上層部への不信感をマリス自身も日が経つごとに痛感している。軍に対して理想の高いリクにとっては、理不尽に加えて失望も甚だしいことは想像に難くなかった。

 ヒアデス逃亡とデルタフォース四名の損失を許したのは、ホワイト大佐の超常力への不理解と情報伝達不備に起因している。だが彼はそれをアルデバラン家の分析不可能な兵器による反撃の結果と断じた。マリスの隠形術が梶原隊を守った事実も認められなかった。ヒアデスとしてのスヴァルの護衛は準州兵に一任された。

 テイトが抗議を試みていたが、干渉権は無いとばかりに発言を遮断された。大佐と一分隊は象と蟻のような関係だ。噛み付こうとする蟻を潰したところで、象は痛みも痒みも感じはしない。

 そうした孤立感と反抗心の中にあって、スヴァルの存在はマリスを奮い立たせた。日々怒涛の情報量と緊張に晒されるスヴァルは、情報戦略面において梶原分隊の助力が無ければ著しい危機に陥るのだ。

 マリスは後方支援に没頭した。それが大和日本を逃げ出した過去を含めた、自分の存在意義を肯定していく作業のように感じながら。




「一息入れましょうか、准尉さん?」

 カイリの提案に時計を見やると、既に日付が変わろうとしていた。テイトと額を突き合わせていたマリスは、すっかり首筋が張ってしまっていることに気付く。

「あ、そうですねえ。いけませんね、熱中しすぎてはいけないと、カイリさんにはいつもアドバイスをもらっているのに」

「ええ、それ以上レンズが厚くなったら、眼鏡の重みで鼻が折れてしまいますからお気をつけて。スヴァルさんはお疲れでしょうし、お休みになっては?」

 それぞれに議論の体勢を解いて身体を伸ばしているのに、スヴァルだけは不動明王像の写真に視線を落として考え込んだままだ。カイリに話しかけられてようやく顔を上げ、ふっと目尻を緩ませる。

「ありがとう。だが、あなた達といる時が一番落ち着くんだよ。……それにまさかカイリの紅茶を飲まないまま、私に寝室へ引っ込めとは言わないだろうね?」

 大仰に絶望的な顔をしてみせるスヴァルに、カイリが華やいだ笑みを返している。

「良く眠れるように、紅茶にブランデーをたらしてあげます。確か書斎のキャビネットに飾ってあったわ。頂いちゃいましょ」

「あっ、特別待遇だ。ずるいなースヴァルさんだけ。カイリさーん、俺も俺も」

 はーい、と快諾を残したカイリの背中が廊下に消え、空気が一段と緩んだ。テイトは眼鏡を外してこわごわと鼻の付け根を揉んでいる。リクはソファの豪奢な生地を意にも介さず、ゴアテックスのごついミリタリー・ブーツを肘掛けにドカンと載せてストレッチを始めた。

 一杯の紅茶より余程和む光景を見回したマリスの注意は、スヴァルの疑問形に寄せられた眉の上で止まった。

 声にならない声でその唇が呟いたのが『ブランデー?』であるのをマリスが読み取った瞬間、邸内に鼓膜を突くようなブザー音が鳴り響いた。




 梶原分隊隊長、テイトには戦闘の知識も経験もない。代わってリクが非常時の行動計画を立て、マリスに細かに叩き込んでいた。

 耳障りな警報音が何であるかを脳が判断すると同時に、マリスはスヴァルの腕を掴んでキッチンに飛び込んだ。アイランド型のキッチンは弾丸を避け身を隠す遮蔽物が多く、外へ通じるドアもある。リクが指示した潜伏場所だ。

 ワンピースの下のレッグ・ホルスターからベレッタを抜き、セイフティを外す。

 特殊作戦分隊として支給されたのはH&K Mk23だったが、マリスはそれを携行しなかった。ブート・キャンプの射撃訓練で親しんだベレッタの方が遥かに扱いやすいからだ。

 リクも警報と同時にテイトを抱えてソファの後ろへ飛び込んだのを、視界の隅で確認する。マリスは射撃ポジションを取りながら、スヴァルに早口で状況説明する。

「地下室の武器庫のアラームです。何者かが侵入して、触れた可能性が……カイリさんが無事だといいんですが」

 やすやすと侵入されるとは、このアルデバラン別宅の警備についている準州兵は何をしていたのか。

 近接戦闘では二名のチームを組み、前進や後退には必ず援護射撃を行なう。リクのバディという立場に置かれたら、マリスは隠形術を施す余裕が無くなるのだ。

 胸をよぎった焦りをすぐに追いやり、聴覚と指先に神経を集中させた。

 地下室へのドアがある暗い廊下の奥から、急いた足音が一つ駆けて来る。マリスの親指が撃鉄を起こした。

「嫌だわ、何なのかしら、このアラーム」

 不機嫌そうなその声でカイリだと気付き、マリスの腕から一気に緊張が抜けた。銃口を下ろすと、カイリにもソファの裏へ身を隠すように言おうと壁の縁から出て一歩、サイド・ステップを踏んだ。

「出るな、マリス!」

 その刹那に何が起こったのか、マリスは分からなかった。リクの雷のような怒鳴り声と、後ろから腕を引く強い力、そして連続した銃声。

 状況は把握出来なくても、覚えのありすぎるその発射音がベレッタM93Rの三点バーストである事を、マリスの記憶が自身に教えた。

 一回に三発が発射される銃弾でえぐられるビシビシと硬く鈍い音は、マリスが遮蔽にしていた壁の縁から聞こえてきた。この三点バースト機構を持つために、ベレッタM93Rは市販されていない。軍人のみが扱う機関拳銃であり、それはつまり軍関係者がマリス達を襲撃していることを示唆している。

「書斎でブランデーなど、一度たりとも見ていない」

 背後からのスヴァルの低い囁き声には悔しさが滲んでいる。ようやくマリスは、自分を遮蔽の裏に引き戻したのがスヴァルだったのだと気付いた。スヴァルには銃撃のタイミングが、そして襲撃者が何者かが分かっているようだった。

 急いでスヴァルの言葉を反復するうち、恐ろしい疑惑がマリスの胸を押し潰し始める。

 見回すと、ソファの裏から廊下側を窺うリクの顔は蒼白だった。

「何で……」

 リクの歪んだ唇から呻き声が漏れる。言葉にならずにいるその続きを、スヴァルが叫んだ。

「どうして裏切るんだ、カイリ!」


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