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六連星の王座  作者: シトラチネ
第3章 星が落ちた夜
12/23

§1

 宗派の頂点にある事を技術的に証明するため、教祖が奥義を独占する。その奥義は死ぬ間際に後継者へ伝授される。特に呪術という絶対的な実力に宗派の存在意義を頼る裏密において、この死の床における奥義継承が繰り返されて来たのは間違いありません――。

 アルデバラン五世の急病に伴い、ヒアデスとスヴァルの入れ替えを急がせるホワイト大佐の意図について、テイトが説明を始めた。その横でカイリは、軍事通信衛星経由で次々送られてくる大佐の指示を端末画面に開いていく。

 ダイニングに集まった分隊の面々は、一様に緊張に満ちていた。

「アルデバラン五世の奥義が何なのかは不明ですが、裏密の性格からすれば当然、呪殺系の修法でしょう。大佐はこれがヒアデスに渡るのを回避したい、その前に早期にスヴァルに入れ替えたいとの意向です」

 スヴァル、マリス、リクが買い物から戻るのを待っていた時に、カイリは作戦実行を繰り上げた大佐を揶揄してこう言った。

『大佐って、裏密の呪術力やマリスの能力に懐疑的な割には、怖がりなんですね』

 それを聞いたテイトは、やんわりとこう答えた。

『孫子を知っていますか。中国の兵法書ですが、そこにこう著されています――兵は拙速を尊ぶ。戦はたとえ作戦が多少まずくとも、相手より速く攻撃を仕掛ける事が重要である……という意味です』

 カイリはその対話を思い出しながら、説明を続けるテイトの横顔を仰ぎ見る。この准尉は軍人らしい強力なリーダーシップは持ち合わせていないが、それを補って余りある何かを内包している。

 プレアデス計画に協力的でなかったマリスを懐柔し、マリスとスヴァルとの軋轢も解消してしまったらしいことに、カイリは気付いていた。

 もしそうした能力を見抜いてテイトをプレアデス計画遂行の分隊長に任官したとしたら、ホワイト大佐は相当の慧眼だと言わねばなるまい。

「マリスさんは、裏密の奥義の見当は付きますか」

 テイトの声で、カイリは回想から現実に引き戻された。

「攻撃性の強い修法なら、やはり明王部、特に不動明王の修法かと思われます。例えば火生三昧かしょうざんまいは修験者の荒行、火渡りの修行として知られています。が、霊力の強い者が行なえば、火焔で張った結界内の生き物を骨も残さず焼き尽くすといいます」

 一瞬も考え込むような素振りが無い。グアヌ入りして数日は塞ぎ込んでいたマリスからの変貌ぶり、それを頼りにしているのであろうテイトの強い目は、太い結束の誕生をカイリに確信させた。

「政敵呪殺に用いていた、大威徳明王護摩の可能性もあるかと思います。衛星写真ではアルデバラン五世が一人で修法を執り行っていました。護摩は通常、単独で行なうものではありません。一週間もかけて焚かれる大威徳明王護摩なら、なおさらです」

 恐ろしい呪術者について淡々と述べるマリスに、カイリはいつも感心してしまう。相手は強力な火炎放射器にもなり、手も触れずに敵の息の根を止めてしまえる生物兵器にもなる、と言っているようなものなのだ。

 職業柄、死の影は患者の上に散々見てきた。だが死の恐怖と同様に、それを進んで与えようとする憎悪に対して無感情ではいられない。何も感じなくなったら、看護師として便利かもしれないが、人間として停止する。

 マリスは、軍人は……カイリがそう考えた時、電子音が大佐からの通信受信を知らせた。背筋を伸ばし直して、メッセージを読み上げる。

「アルデバラン五世は小康状態を取り戻し、数日内に退院の見込み。退院の夜を作戦実行日とする。派兵するデルタフォース一個分隊と合流し、アルデバラン五世とヒアデスの身柄を確保。スヴァルはヒアデスと交替せよ」




 アルデバラン五世とヒアデスの身柄を確保。

 カイリはそれが、二人を拉致するという意味だと理解していた。彼らの身柄はデルタフォースに渡され、カイリたち梶原分隊は関与しない。だが彼らは抹殺されるのだと明らかに予測出来てしまえば、関与しないとは言っても気分のいいものではない。

 父親のアルデバラン五世は心臓発作の予後が悪く、自宅で死亡という筋書きにでもなるのだろう。

 息子であるヒアデスの記憶や言動に多少違和感があっても、父親の死で動揺しているからだと周囲は気遣い、違和感の原因を追求したりしないだろう。いずれ彼は空席となった準州知事の再選挙に立候補し、当選し、親アメリア政府路線の政策を打ち出していくのだろう。

 シーツの冷たい部分を求めて、カイリはまた寝返りを打った。夕方の作戦会議での緊張がまだ体に居残り、眠らせてくれそうになかった。

 アルデバラン家が呪術を行なったのは確かだ。が、その効力は科学的に証明され得ない。裏密の邪悪性についての数々の証言とて、証拠にはならない。これは魔女裁判のようなものだ。

 軍令に疑問を抱いてはいけない。この行為が正しいのか、目の前の敵は本当に敵なのかと躊躇すれば、命を落とすのは自分なのだ。

 勝った者でなければ理由付けは行なえない。故に勝たねばならない。どんなに人類が進化しても、結局は弱肉強食の理論から逃れられずにいる。

「あたしは軍人には、なれそうにないわ……便利な看護師にも」

 看護師カイリの溜息は、不意に聞こえた小さな物音に断ち切られた。目覚まし時計のデジタル表示は四時半を告げている。リクとマリスが早朝訓練をしに地下へ降りる音か、と気付いた。

 少しでも眠らなければ、作戦決行日が近いのに体力を逃がす訳にはいかない。看護師として自分にそう言い聞かせてみるが、最早つかまえるべき眠気の尻尾はどこにも無かった。諦めて身を起こす。

「軍人さんのトレーニング風景でも見学しようかな」




「Mama & Papa were Laing in bed. Mama rolled over and this is what's she said.」

「Mama & Papa were Laing in bed. Mama rolled over and this is what's she said.」

 地下室へ降りる階段の途中から、リクとマリスの歌が聞こえてきた。カイリはその独特の曲調に覚えがあった。軍人がランニングする時に、歩調合せに用いる歌だ。

「Oh, Give me some. Oh, Give me some」

「Oh, Give me some. Oh, Give me some」

 二人の歌は淡々としているが、カイリはその歌詞が実はベッドシーンであると気付いて足を止める。妻が夫に、ちょうだいとねだっている場面なのだ。

「P.T.! P.T.! Good for you. Good for me. Mmm good.」

「P.T.! P.T.! Good for you. Good for me. Mmm good.」

 しかも、イイと嬌声をあげている。軍人の早朝ランニングにこんな歌が使われていたのか、とカイリは思わず笑い出してしまった。

「カイリさん? おはようございます。どうしたんですか」

 マシンの上で走るリズムを崩さぬまま、マリスが首を伸ばしている。

「おはよう。ちょっと様子を見に来ただけなの。そしたら歌が聞こえたから、つい」

「歌?」

 若い軍人二人は走り続けたまま、きょとんと顔を見合わせている。彼らにとってはもうこれは歌でなく、習慣になっているのだろう。

「だって、パパとママがベッドでP.T.、フィジカルトレーニングをするって歌詞じゃない? いかつい兵士達が大声張り上げて大真面目にベッドシーンを歌いながら走るなんて、おっかしいわ」

「もっと卑猥な部分もあるんですよ。カイリさん、先輩にこれはセクハラだって言ってやって下さい」

 ケロリと間接的不平を言ってのけたマリスのこめかみに、リクが苦笑しながら軽く拳をぶつけている。当初はマリスに胡散臭そうな目を向けていたのに、いつの間にかリクは随分とマリスと打ち解けているようだ。

「こんなのが恥ずかしいとかセクハラだとか、そんな甘っちょろい感情が残ってちゃ軍にいられないぞ」

「さっさと大学か寺に行けって言ったは先輩です」

「何とかの何とか法が出来るなら、話は別だ」

「摩利支天の隠形です。先輩、長い大和日本語覚える気ありませんよね」

 普段は見せない二人の軽い会話は、朝早く見学に来てくれたカイリへのサービスなのかもしれない。だが会話の内容がシビアであることに、本人達は気付いていないようだった。

 恥という感情は広い意味で、大和日本人の国民性だ。これは文化人類学者であるルース・ベネディクトが著した「菊と刀」で広く認知されるようになった。よく大和日本は恥の文化で、欧米は罪の文化であると言われる。

 しかしリクは、恥ずかしいだのセクハラだのという感情や罪の意識は軍人に不要だと言った。大和日本の文化も欧米の文化も人間性も切り捨てて、軍人に残るのは何だと言うのか。

 加えて、摩利支天の隠形術が出来るなら話は別、という台詞は、軍人に残るべきものの一つが技術であると示唆している。カイリは曖昧な笑みを返しながら、自分は軍人にはなれそうにないともう一度噛み締めていた。

「昨日ね、梶原さんに話したの。マリスは軍神ですね、って。ほら、ローマ神話の軍神マルスと名前も似てるし」

「カイリさん、褒めすぎですよ。こいつは僧兵です」

 隠形術で尾行を撒かれたのが悔しかったのか、あるいはその罰にベジタリアンフードを食べさせられている恨みなのか、リクが忌々しげに舌打ちしているのが微笑ましい。カイリは、スヴァルに見つからないように肉を差し入れしてあげなければ、と心にメモを取る。

「ふふ。そしたらね、梶原さんが言うには、マリスは神兵なんですって。新しい兵のシンペイじゃなくて、神の兵。摩利支天の加護を受けた神兵だって」

 ありがとうございますと答えるマリスの視線は、はにかんだように下向き加減だった。良かった、彼女はまだ軍人になりきっていない、とカイリは思う。

「カイリさーん、神の兵は人間とアイスを分け合ってイチャつくものなんですか?」

「イチャついてません、スヴァルさんとは映画の話をしただけです」

「おまえ、服一枚買ってもらっただけでコロッと態度変わったよなー」

「反省したんです。洋服とは関係ありません」

 マリスは感情をあまり表に出さないし、話し方も冷静だ。だが感情に乏しい訳ではなく、その内側でちゃんと喜怒哀楽している。それは眼を凝らせば、僅かな視線の動きや唇の端に、ちらちらと浮かんで見えるのだ。

 今も照れているのだろう、頑なにリクの方を向こうとしない。

 物着星は思った以上にデートらしいデートを運んだらしいと踏んで、カイリはそっと微笑んだ。


*歌詞は映画「フルメタル・ジャケット」から転用しています

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