表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六連星の王座  作者: シトラチネ
第2章 迷いの摩利支天
10/23

§4

 アメリア連邦政府、そして陸軍特殊作戦部隊でもほんの一握りしか知らないプロジェクト・ダブルという機密がある。

 ダブルとは映画やドラマ等において、役者の代わりに体の代役を務める者のことだ。プロジェクト・ダブルは画面の中ではなく、現実世界における影武者を養成する計画なんです、とテイトは説明を始めた。

「影武者と言っても本人の身代わりではなく、本人を乗っ取る影武者ですけれど」

 アメリア連邦政府にとって都合の悪い各界の要人。その子供は親の後を継いで、やはり目障りな人間である可能性が高い。政府はそうした要人の子供の遺伝子を盗み、軍の研究所奥深くで何百人ものクローンを育てている。

「ダブルの一環としてのプレアデス計画なんですね。そして軍はいつかスヴァルさんみたいに、本物とすり替える日を狙っているんですか……」

 流石にギリシャ彫刻の仮面も青ざめていた。

 話した事が政府に知られれば、テイトには軍機漏洩罪により鉄格子の中の一生が待っている。あるいは手っ取り早く、銃弾一発の手間で終わりにされる危険もある。

 そうわざわざテイトが注意したわけではないが、マリスは十分に察しているようだった。

「民間でクローン技術に成功したのは一九九〇年代の後半です。羊、牛、猿、マウスで可能なら、人間だって勿論可能です。ただ倫理的な問題で、表立ってその領域へ踏み込む科学者がいないだけですね。けれど軍事レベルではそれ以前にとっくに、人間のクローン製造が実用化されていたんです」

 要人の子供達のクローンはすり替えが実行に移されるまで、プラントと呼ばれる研究所の教育施設から一歩も外に出ることはない。十二歳までは一緒に育てられるが、それ以降はクローン同士の面識は断たれ、個別に各自の本体と同じ知識、同じ仕草を教育される。

「僕は二年前から、アジア系クローン達の宗教関係の教師として雇われているんです。スヴァルには密教の深い知識が要求されますし、すり替えが決まってからは特に緊密な講義が必要でした」

 硬い表情で目を伏せている部下の視線を追ってみて、テイトは歯磨き粉の染みに気付いた。そこを手で払いながら続ける。

「スヴァルは歳も近くて勉強熱心だし、あの通り僕をいつもリラックスさせてくれます。僕はいつしかスヴァルに、講師と生徒以上の友情を感じるようになりました。だから、プレアデス計画が決まった時は嬉しかったですねえ」

「スヴァルさんが、プラントの外で暮らせるようになるからですか?」

「それもありますが」

 クローンは本体が怪我をすれば、同じ傷を付けられる。本体が手術をされれば、同じ手術をされる。

「そして本体が死ねば……同じ事をされます」

 マリスが気を保とうとするように、一瞬強く目を瞑った。やはり刺激が強かったようだ。申し訳ないと思ったが、それでも話したのはスヴァルを理解してもらいたかったからだ。

 大丈夫です、と小さな申告を聞いてから話を再開する。

「本体がアメリア政府にとって脅威でない、反抗的でないと判断されれば、当然クローンは不要になります。そうなればクローンは、こういう言い方はしたくありませんが……処分されるのです」

「嬉しかったのはプレアデス計画で、スヴァルさんの生存が確定したからですね」

 スヴァルはヒアデスになる。遺伝子的に同一とはいえ、他人の名前で、他人の人生を、他人の友人家族と暮らさなければいけない。

 それでも、いつ用済みにされるかと死刑囚のような気持ちであの無機質なプラントに閉じ込められているよりは、遥かに人間的だ。人道的でない出生、人道的でない教育、人道的でない人生のために造られた彼らが、人間として生きる道はそれしかない。

「わたしは、スヴァルさんが……アルデバラン家の地位や名誉か、報酬のためにプレアデス計画に乗ったのだと誤解していました」

 マリスの手は膝頭を強く握っている。指先の血が止まってしまうのではないかと、テイトは心配になった。

「そのうえ強圧的な事を言われて、反感を持っていたんです。ですが、どれだけ必死に計画の成功を望んでいるか、それ故の言動だったんだと、やっと分かりました」




 マリスはスヴァルへの反発を撤回してくれたようだ。そのマリスが先刻まで腰を下ろしていた椅子をぼんやり眺めて、テイトは頬杖をつく。

『私の存在意義は、ヒアデスに成り代わるまで発生しない』

 いつかのスヴァルの言葉が脳裏をよぎった。

 スヴァルは賢い人間だ。国家の敵を円滑に排除し、アメリア連邦の安定と発展を確固たるものにする、とクローン達は洗脳の如く教え込まれている。

 けれどスヴァルは表面上でしかその大義名分を認めていなかった。人権と倫理を歪めてまで、政府が国民に対する制御力を強化しようとするプロジェクト・ダブルを疑問視していた。

 しかしそれはスヴァル自身の存在をも否定することになる。

 スヴァルは生きたがっていた。教育の一部として画面を通して知る外の世界に実際に触れたがり、講師以外の人間と話したがった。

『私がスヴァルでいる限り、私という人間はこの世に存在しない。アメリア軍の駒、未使用で捨てても誰も痛手を蒙らないどころか、使う事なく処分した方が望ましい一個のクローンに過ぎないんだ』

 テイトはそう言うスヴァルを慰めてやれないのが悔しかった。

 十日前に初めてプラントから出たスヴァルには、目にする物も手にする物も、全てが新鮮と感動の連続の筈だ。だが感情を表に出すことで過去の生活を怪しまれないよう、スヴァルは実に理性的にそれを押し隠している。

 グアヌ入り初日に一言、無限に眩みそうだ、とスヴァルは呟いた。プラントの白い壁で仕切られた空間、仕切られた人生から突然に開けた世界の広さと可能性に圧倒されたのだろう。そして恐らく、このまま逃げてしまいたいとも思っただろう、とテイトは考える。

 だがクローン達は遺伝子操作をされており、定期的に投薬されねば生き長らえない。それはクローンを管理するアメリア軍の嘘なのか、真実なのか。

 本体とのすり替え後に脱走を試みたクローンがいたのか、いたとしたらその後どうなったのか、テイトは知らない。友人として、特殊作戦部隊の隊長として、スヴァルにそれを勧めようとは思わなかった。

 スヴァルがヒアデスと替わり、ヒアデスの人生を演じ、アメリア政府の言うなりにさせられるとしても、テイトはプレアデス計画を成功させたかった。ヒアデスという制約があっても、スヴァルに外の世界を生きて欲しかった。

 アルデバラン家に、スヴァルの存在を察知されてはならない。知った瞬間に、彼らは間違いなくスヴァルを呪殺しようとするだろう。

 悟られないためには、マリスが摩利支天の加護をどれだけ受けられるかにかかっている。




 夕食後、マリスからスヴァルとリクへ護符が手渡された。午後いっぱい部屋に篭もっていたのはこの用意のためだったのか、と思い当たった。

「摩利支天の除難の護符です。お持ちになっていれば、周囲の人間や災禍の注意を引かなくなります。隠密的行動の際の助けになるかと思います」

 説明するマリスの口調はしっかりしていた。自信があるらしい。護符に勧請することも満足に出来ないと首をすくめていた昨日からの変わり様はどうだ。テイトはリスクを負ってもプロジェクト・ダブルの話をして良かった、と安堵する。

「マリスは密教の知識があるだけじゃなくて、こんなことも出来るのね。すごいわー」

 カイリが心底感嘆した様子で目を丸くしていた。リクは護符を裏表ひっくり返したりして眺めていて、あまり信用していないようだ。それでもマリスに向けられる視線には驚きと感心が窺えた。テイトは自分の事でないのに誇らしくなる。

「梶原さん、この家にも貼っていいですか? 人目に付き難くなると思いますので」

「それはもう、何千枚でも貼って下さい」

「そんなに貼ったら、逆に目立ちます」

 はにかんで笑いながら、マリスは早速に護符を手にしてリビングから出て行った。それを見送るスヴァルは嬉しそうだ。

 当然だろう、アルデバラン家の呪いをかわす命綱としてのマリスがようやく始動したのだから、とテイトは込み上げる笑みを押さえられない。

「実はね、テイト。さっきマリスが、やっぱり服を選ぶのに付き合って欲しいと言ってくれたんだ。昨日はつれなく断られたのに、一体どういう心境の変化だろうね?」

 こんな風に言う時は、スヴァルは何もかも察していて、確認を取っているだけなのだ。二年の付き合いでそうと知っているテイトはとぼけてみせる。

「さあ、見当も付かないなあ」

「そうかな? まあそういった訳で、明日はマリスとデートだ。すまないが、リクは尾行で護衛してくれるかい」

「勿論です。カイリさんにはダブルデートを断られてしまったし」

 リクはぶすーっとムクれている。リクはカイリがお気に入りなのか、とテイトはそこで初めて察した。

「だってあたしが出掛けたら、誰が梶原さんのランチを用意するの? 自分で作るとなったらロクなもの食べないに違いないわ、この健康管理のなってない准尉さんは」

 腰に手を当てたカイリに、きっぱりと断言されてしまった。部下の恋路をランチ一つで邪魔する訳にはいかない。冷蔵庫から何か見繕って食べますから、と提案してみたが、カイリは金茶色の豊かな髪を振っている。

「いけません、これがあたしの仕事なんです。梶原さんに外出命令をされても従いません。もともと看護師団は軍の命令系統からは外れた独立組織なんですからね」

「はい……」

 逆らえずにうなだれる。カイリは奥ゆかしい日本人気質だと思っていたが、職業意識は人一倍のようだ。

「君は士官向きかもしれないと思い直したばかりだったが、やはり研究者が最適なんだろうな」

 スヴァルは上機嫌だ。リクには後でどうにか謝ろうと思いながら、テイトは首の後ろを掻いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ