第9話「英雄の誕生と自治領の承認」
調査団滞在二日目の朝、事件は起きた。
アルカディアの東に位置する王国の小さな村から、狼煙が上がったのだ。それは、魔物の大規模な襲撃を知らせる緊急の合図だった。
「ゴブリンとオークの混成部隊だ! 数は百を超える!」
斥候に出ていたシオンの部下からの報告に、町が騒然となる。マルクス辺境伯も、宿舎から飛び出してきた。
「ちぃっ、このタイミングでか! 我が隊だけでは数が足りない……村はもう駄目かもしれないな」
彼は苦々しくつぶやき、村を見捨てるかのような発言をした。その言葉に、シオンが喰ってかかった。
「見捨てるだと!? まだ助けを求めている者がいるんだぞ!」
「黙れ、獣人風情が! 王国の騎士たる我々は、無駄死にはしない。戦略的撤退もまた、戦術の一つだ」
辺境伯の言うことも、一理あるのかもしれない。だが、俺たちのアルカディアの理念は違う。困っている者がいれば、手を差し伸べる。種族も、国も関係ない。
「シオン、警備隊を率いて村の救援に向かってくれ」
俺は、静かに、だが力強く言った。
「蓮!?」
「いいのか? 王国の村だぞ。我々が恩を売ったところで……」
仲間たちが戸惑う中、俺は首を横に振った。
「見返りを求めて人を助ける奴がどこにいる。ただ、目の前で助けを求めている人がいる。それだけで十分だろ」
俺の言葉に、シオンは獰猛な笑みを浮かべた。
「へっ、そうこなくっちゃな! あんたらしいぜ、農園主! お前ら、行くぞ! 奴らに、アルカディアの力を見せてやれ!」
「応っ!!」
シオン率いる、獣人や元傭兵たちで構成されたアルカディア警備隊五十名が、腹の底から響くような雄叫びを一斉に上げた。その統率された動きと、一人一人が放つ熱気に当てられ、辺境伯と彼の騎士たちは唖然としていた。
俺たちも、じっとしてはいられない。
「セレスティア、負傷者を受け入れる準備を! ルナミリア、ポーションをありったけ! イザベラ、村人たちのための食料と毛布を用意してくれ!」
アルカディア全体が、一つの生命体のように動き出す。その迅速で、組織的な対応は、王国の騎士団にも決して引けを取らないものだった。
数時間後、シオンたちが村人たちを連れて帰還した。警備隊に死者はゼロ。軽傷者は数名いたが、セレスティアの治癒魔法ですぐに回復した。一方、村は半壊状態だったが、住民は全員無事だった。
「シオン殿……なんと感謝してよいか……。あなた方が来てくれなければ、我々は皆……」
村長は、涙ながらにシオンの手にすがりついた。シオンは少し照れくさそうに、その背中を叩いている。
その光景を、マルクス辺境伯は複雑な表情で見ていた。自分たちが見捨てようとした村人を、自分たちが蔑んでいた異種族たちが、命を懸けて救ったのだ。その事実は、彼の凝り固まった価値観を大きく揺さぶったに違いない。
その夜、俺は辺境伯を再び食事に招いた。今夜は、救援活動で冷え切った身体を温めるための、豚汁と炊き込みご飯だ。献立は、避難してきた村人たちに振る舞っているものと全く同じものだった。
黙々と食事をしていた辺境伯が、ぽつりとつぶやいた。
「なぜ、我々の村を助けた?」
「言ったはずです。困っている人がいれば、手を差し伸べる。それが、ここのルールだからです」
俺は、真っ直ぐに彼の目を見て答えた。
「あなた方から見れば、我々は異分子で、危険な存在なのかもしれない。でも、俺たちはただ、ここでみんなと笑って、美味しいご飯を食べて暮らしたいだけなんです。そのために、俺たちは畑を耕し、家を建て、互いに助け合っている。今日の救援も、その延長線上にあることに過ぎません」
俺の言葉に、辺境伯は何も言わなかった。ただ、深く息を吐くと、差し出された豚汁を静かに飲み干した。
***
三日目の朝。調査団が帰還する時が来た。
マルクス辺境伯は俺の前に立つと、深く頭を下げた。
「……茅野蓮殿。我々の不明を、許してほしい。あなた方の活動は、断じて危険なものではない。むしろ、この荒れた辺境の地に光をもたらす、希望そのものだ」
彼は顔を上げ、宣言した。
「私が責任をもって、国王陛下に進言しよう。このアルカディアを、王国の監督下にある『自治領』として、正式に承認していただくと。内政の自由を認め、王国への税も当面は免除する。それが、あなた方が示してくれた勇気と誠意に対する、王国からの返礼だ」
その言葉に、アルカディアの住民たちから、割れんばかりの歓声が上がった。
俺たちは、武力でもなく、屈辱的な服従でもなく、自分たちの生き方そのもので、王国に認めさせたのだ。それは、アルカディアが国家としての一歩を踏み出した、歴史的な瞬間だった。
馬車に乗り込む直前、辺境伯は俺に小さな声で言った。
「……それと、もし差し支えなければ、あの『すき焼き』の割り下と『日本酒』を、少しだけ分けてはくれないか……。国へ帰って、妻にも食べさせてやりたいのだ」
俺は、彼のその言葉に、最高の笑顔で頷いた。




