第5話「囚われの翼人と集落の名」
コハクが仲間になって数ヶ月が過ぎ、集落はさらに拡大を続けていた。人口は二百人を超え、住宅や共同施設が次々と建設されていく。もはや、ここはただの開拓地ではない。一つの共同体として、新たな名前が必要だと誰もが感じ始めていた。
「皆が心穏やかに、調和して暮らせる理想の場所……そうだ、『アルカディア』はどうだろう」
俺の提案に、皆が賛同してくれた。古代の伝承に登場する理想郷の名。それが、俺たちの新しい故郷の名前になった。
そんなある日、イザベラが交易のために訪れた近隣の町から、深刻な顔で戻ってきた。
「蓮様、皆様。少々、厄介な噂を耳にいたしましたわ」
彼女の話によると、町の裏通りで、違法な見世物小屋が人気を博しているらしい。その見世物の目玉が、生きた『翼人族』だというのだ。翼人族は、その名の通り背中に美しい翼を持つ希少な種族で、高い知性と穏やかな性質を持つと言われている。しかし、その美しさゆえに、悪辣な人間たちに狙われることも少なくない。
「翼を持つというだけで、獣や魔物と同じように扱われているのですわ。鎖に繋がれ、満足な食事も与えられず……あまりに非道です」
イザベラの言葉に、集落の誰もが憤りを隠せなかった。特に、人間からの差別に苦しんできたルナミリアやシオンは、拳を強く握りしめている。
「助けに行こう」
俺は即決した。このアルカディアは、全ての種族が手を取り合って生きていく場所だ。その理想を掲げる俺たちが、同胞の苦しみを見て見ぬふりなどできるはずがない。
「しかし蓮様、相手は町の裏社会を牛耳るならず者たちです。下手に手を出せば、こちらが危険に……」
心配するイザベラを、シオンが力強く制した。
「何を言う。そんな奴ら、私がまとめて叩き斬ってやる!」
「待って、シオン。力ずくは最後の手段だ。まずは、穏便に済ませる方法を考えよう」
俺たちはすぐさま救出計画を練った。まず、イザベラが持つ没落貴族のコネを使い、町の衛兵を買収して見世物小屋の警備を手薄にさせる。その隙に、シオンと俺が内部に侵入し、翼人の少女を救出する。コハクは、いざという時のために集落から遠隔で支援魔法を準備してくれることになった。
計画は夜に決行された。月明かりだけが頼りの裏通りを進み、目的の小屋にたどり着く。イザベラの交渉がうまくいったのか、周囲に人影は見当たらない。俺とシオンは音を殺して内部へ侵入した。
小屋の中は、獣の臭いと埃っぽさが入り混じった、不快な空気で満ちていた。薄暗い奥に進むと、一つの粗末な檻があり、その中に少女が一人、翼をたたんでうずくまっていた。
純白の翼は汚れ、本来の輝きを失っている。着ている服はボロボロで、手足には痛々しい枷がはめられていた。俺たちの気配に気づいたのか、彼女は怯えたように顔を上げた。色素の薄い髪と、空虚さをたたえた紫色の瞳。その表情からは、全ての希望を失ってしまったかのような絶望が感じられた。
「大丈夫、助けに来た」
俺はできるだけ優しい声で語りかけ、檻の鍵を壊そうとする。だが、鍵には特殊な魔術がかけられており、物理的な力では破壊できなかった。
「くそっ、どうすれば……」
焦る俺の横で、シオンが冷静に檻を観察していた。
「蓮、この魔術、コハクが言っていた邪気払いの札で解けるかもしれないぞ」
俺は懐からコハクに渡されていた札を取り出し、鍵穴に押し当てた。すると、札が淡い光を放ち、バチッという音と共に魔術的な錠が弾け飛んだ。
檻の扉を開け、少女に駆け寄る。
「もう大丈夫だ。さあ、行こう」
俺が手を差し伸べると、彼女は怯えたように後ずさった。長い間、人間に虐げられてきたのだろう。その瞳には、深い人間不信の色が浮かんでいた。無理もない。
俺は強引に連れ出すことをやめ、彼女の前にしゃがみこんだ。そして、『豊穣の納屋』から温かいスープとパンを取り出した。
「お腹、空いてるだろ? 何も入れちゃいないから、安心して食べてくれ」
湯気の立つスープの匂いに、少女のお腹が小さく鳴った。彼女はしばらく俺の手元と顔を交互に見ていたが、やがておずおずとパンに手を伸ばした。そして、小さな口で一口かじると、その紫色の瞳をわずかに見開いた。まるで、忘れていた何かを思い出すかのように。
彼女は夢中でパンとスープを平らげた。食事が終わる頃には、彼女の表情から先ほどまでの険しさが少しだけ和らいでいた。
「私の名前はセレスティア……」
か細い声で、彼女はそう名乗った。
***
俺たちはセレスティアを無事にアルカディアへと連れ帰った。ルナミリアが用意した薬湯で身体を清め、新しい服に着替えた彼女は、まるで別人のように美しかった。特に、手入れされて輝きを取り戻した純白の翼は、神々しささえ感じさせた。
セレスティアは治癒魔法の心得があり、その力は集落にとって大きな助けとなった。彼女は、自分を救ってくれた俺たちと、誰一人として自分を異質な目で見ないアルカディアの住民たちに心を開き、少しずつ笑顔を見せるようになっていった。
薬草園でルナミリアを手伝うセレスティアの姿を見ながら、俺は思う。このアルカディアは、傷ついた魂が翼を休め、そして再び飛び立つための場所なのだ、と。俺たちの理想郷は、また一人、かけがえのない家族を迎えたのだった。




